第12話「弟の涙と真実」
その夜、月明かりが窓から差し込む頃、ノアの部屋の扉が静かにノックされた。
侍従かと思ったノアが「どうぞ」と声をかけると、おずおずと入ってきたのは、弟のユリウスだった。昼間の謁見の時とは違い、彼はたった一人だった。
「兄さん……。夜分にごめん」
ノアは驚いたが、彼を部屋の中へと招き入れた。二人きりになるのは、何年ぶりのことだろうか。気まずい沈黙が流れる。
先にそれを破ったのは、ユリウスだった。
「昼間は、本当にすまなかった。家の命令で来たことは、事実だ。でも……」
ユリウスは、言い淀みながらも、必死に言葉を紡いだ。
「でも、僕自身の本当の目的は、兄さんがここで幸せに暮らしているか、この目で確かめたかったからなんだ」
その言葉は、ノアにとって予想外のものだった。
「僕は……ずっと後悔してた。幼い頃から、兄さんが両親に酷い扱いをされているのを見て見ぬふりしかできなかった。兄さんが追放されたあの日も、僕は父を止めることすらできなかった……。臆病者なんだ、僕は」
ユリウスの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「兄さんを守れなかったことが、ずっと苦しかった。だから、せめて幸せでいてほしいって、ずっと祈ってたんだ。今日のジャファル陛下の姿を見て、そして、兄さんの穏やかな顔を見て……本当に、安心した」
しゃくりあげながら語られる弟の真実。それは、ノアが知らなかった、弟の長年の苦しみだった。自分だけが辛いのだと思っていた。だが、弟もまた、彼の場所で苦しんでいたのだ。
「兄さんが、心から笑える場所にいられて……本当に、よかった……!」
嗚咽するユリウスの肩を、ノアはそっと抱いた。
「ユリウス……」
もう、彼を憎む気持ちはどこにもなかった。
「ありがとう。心配、してくれてたんだな」
「当たり前だろ!たった一人の、僕の兄さんなんだから……!」
子供のように泣きじゃくる弟の背中を、ノアは優しく撫で続けた。長い間、二人の間に横たわっていた溝が、静かに埋まっていくのを感じる。それは、静かで、穏やかな和解の瞬間だった。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したユリウスは、涙を拭って顔を上げた。
「兄さん、約束する。僕が国に帰ったら、父には『ノア様はバシラの国の重要人物であり、到底帰還は不可能だった』と報告する。そして、二度とリヒトハイム家が兄さんに干渉しないよう、僕が盾になる。今度こそ、僕が兄さんを守るから」
その瞳には、かつての弱々しい光はなく、強い決意の光が宿っていた。
翌朝、ユリウスはバシラを発った。
去り際、彼はノアにだけ聞こえるように、小さな声で囁いた。
「兄さん、幸せにね」
その言葉に、ノアは力強く頷いた。
過去との決別は、決して辛いだけのものではなかった。それは、弟との新しい絆の始まりでもあった。嵐は過ぎ去り、ノアの心には、一片の曇りもない、澄み切った青空が広がっていた。
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