第10話「偽りの和解と王の盾」

 謁見の間に通されたノアは、そこに立つ人物を見て、息を止めた。


 故郷の国の正装に身を包み、緊張した面持ちで佇んでいるのは、紛れもなく双子の弟、ユリウスだった。最後に見た時よりも少しだけ大人びたその姿。けれど、自分と同じ青い瞳に浮かぶ不安げな色は、昔のままだった。


「兄さん……」


 絞り出すような声で、ユリウスがノアの名を呼ぶ。


 ノアの心は、予期せぬ再会に激しく揺れていた。憎しみ、悲しみ、そして、わずかな懐かしさ。様々な感情が渦巻き、言葉が出てこない。


 ノアの隣には、守るようにジャファルが座っている。彼の瑠璃色の瞳は、鋭い光を放ち、目の前の使者を値踏みするように見つめていた。


 ユリウスは、ジャファルの威圧感に一瞬怯んだようだったが、意を決したようにノアの前に進み出ると、その場に深々と膝をついた。


「兄さん!今まで、本当に申し訳ありませんでした!」


 そして、涙ながらに過去の仕打ちを謝罪し始めた。


「僕が、僕たちが、兄さんにしてきたことは、決して許されることではないとわかっています!でも、父も深く反省しているんだ!兄さんの噂を聞いて、自分の過ちに気づいたと……!だから、どうか……どうか、僕たちと一緒に家に帰ってきてほしい!」


 必死の懇願。その言葉の一つ一つが、ノアの心を鋭く抉る。


(反省……?あの父が?)


 信じられるはずがなかった。ユリウスの言葉の裏に、自分を利用しようとするリヒトハイム家の醜い思惑が透けて見えた。自分を追放した時と同じ、冷たい打算の匂いがした。


 きっと、この国で僕が役に立っていると聞いて、また利用価値ができたと思っただけだ。僕自身のことなど、誰も心配してなどいない。


 そう思うと、急速に心が冷えていくのを感じた。ノアは固く唇を結び、顔を背ける。その拒絶の態度が、何よりの答えだった。


 ユリウスの顔に、絶望の色が浮かぶ。


 その時だった。


 今まで沈黙を守っていたジャファルが、静かに、だが腹の底に響くような低い声で口を開いた。


「―――話はそれだけか」


 その声には、一切の感情が乗っていなかった。それがかえって、底知れない怒りを感じさせた。


「ノアを散々傷つけ、雨の中に放り出した挙句、今になって都合よく連れ戻したい、と。随分と身勝手な言い分だな、リヒトハイム侯爵家」


 ジャファルはゆっくりと立ち上がると、ノアの前に立ちはだかった。まるで、外敵から宝を守る巨大な盾のように。


「彼の居場所は、ここだ。このバシラだ。私の隣だ」


 冷たく言い放つジャファルの言葉に、ユリウスは息を呑む。王の全身から放たれる威圧感は、尋常なものではなかった。


「貴殿らが彼に与えたのは、絶望と孤独だけだ。だが、私は彼に安らぎと愛情を与えた。彼はようやく、心から笑える場所を見つけたのだ。それを、再び奪おうというのなら……」


 ジャファルの瑠璃色の瞳が、危険な光を宿す。


「―――誰であろうと、容赦はしない」


 それは、一国の王としての、そして一人の男としての、絶対的な宣言だった。


 ノアは、自分を庇うように立つジャファルの広い背中を、ただ黙って見つめていた。不安と恐怖で震えていた心が、その背中を見ているだけで、不思議と落ち着いていく。


 もう、僕は一人じゃない。


 この人が、守ってくれる。


 その確信が、ノアに過去と決別する勇気を与えていた。

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