第3話 勇者の苦悩

「エインハルト様、またしても魔王の魔の手が……」


 幾度も繰り返されるこの茶番の様な寸劇に、僕の疲労はとうに限界を超えていた。


 何度、傷だらけになればいいのだろうか。

 何度、仲間を失えばいいのだろうか。

 何度——魔王へ立ち向かえばいいのだろうか。

 僕の心はすでに擦り減っていた。


 ただの高校生だった僕の心は。


 僕は十年前、この魔法と剣の世界【リーヴェル】に突如『勇者』として召喚された。

 それまでは、日本にいるごく普通の高校生だった。

 突如として告げられた『勇者』という肩書きに、心躍ったのを今でも鮮明に覚えている。


 この世界に来た僕は、まず自分の容姿に驚いた。

 真っ黒だった髪は透き通るような金髪に、何考えているのかわからないと言われる黒目はくっきりとした碧眼に、肌は陶器のような美しい肌に。


 美青年。その一言に尽きた。


 そして、まるでアニメのような、剣と魔法の世界。

 『勇者』と呼ばれ、仲間たちと共に魔王討伐を目指す旅は、平凡な高校生だった僕にとってとても刺激的だった。


 ——そう、刺激的すぎた。

 『勇者』なのだから、その道のりは楽なのだろう。そう思っていた。

 けれど、世界はそんなに甘くなかった。


 勇者としてこの世界に召喚された僕は、間を置かずに力を使いこなす訓練が始まった。

 師は、この国一番の剣士だった。

 片眼を失ってもなお衰えないその剣技に、僕は成すすべなく打ちのめされた。


「勇者なのに?」


 ——そう言いたげな、みんなの視線がひどく痛かったのを覚えている。


「歴代の勇者は、最初から強かったんですか?」


 そう僕が聞くと、みんな苦笑いを浮かべていた。

 その反応で、僕はすぐに察した。

 僕だけが弱いのだと。

 その日から、僕は強くなりたい一心でひたすら剣を振るった。

 だが、ある日、隠れて話していた宰相の言葉で知ってしまった。


 僕は『歴代最弱の勇者』であると。


 みんなの反応からそれはうすうす感じてはいたが、いざ耳にすると耐え切れないほど辛かった。

 血豆だらけの手を無意識に握りしめ、血豆が破れて布団が血に塗れた。

 叫んで逃げ出したかったが、部屋の外には兵士が見張りをしていて逃げられない。

 行く当てもなかった。

 そんな最弱の勇者だとしても、魔王を打ち倒せるのは勇者の力しかないらしい。

 さらには、僕が——今の勇者が生きている限りは、新たな勇者は呼べないのだという。


 だから、僕は決心した。

 強くなろうと。

 弱々しく見える敬語もやめて、堂々とした立ち振る舞いをした。

 筋力をつけ、魔法も上達させ、剣技も師を超えるほど、僕は強くなった。

 僕より何倍もの身体をもつモンスターにだって簡単に勝てるようになった。

 そんな僕を支えてくれる仲間もできた。

 そして、この世界に来てから半年の月日がたった頃。いざ、仲間と共に魔王討伐に向かった。





 勝てなかった。強すぎた。

 魔法は跳ね返され、剣は通らず、ただひたすらに体力を削られた。

 十人はいた仲間も半分以下になり、残ったのは僕含めて四人だけだった。

 その四人は、パーティーの結成当初と同じメンバーだ。

 決死に挑む中、命からがらで、一人の仲間の転移魔術によってその場を抜け出した。

 魔王は追ってくることはなかったが、僕にはそれが強者の余裕に見えた。


 四人だけで帰還した時の、観衆の様子は凄まじいものだった。

 倒して帰ってくるのだと、そう思っていたからだろう。

 盛大に飾られた装飾が、僕達を出迎えた。

 だが、僕たちのボロボロの姿を見て、観衆は言葉を失い、絶望に満ちた顔をした。

 たった四人しか帰らず、その帰ってきた仲間の中には、片足を失った者もいる。

 おそらく、歴代の勇者として初だったのだ。

 これほどまでに、打ちのめされて帰って来た勇者パーティーを見るのは。


「エイン……お前のせいじゃない。相手が強すぎたんだ」


 そう仲間の一人、片足を失った戦士のドラークが言った。

 僕の全てを失ったような顔を見たからだろう。

 慰めるように口にしたその言葉は、僕に重くのしかかった。


「エイン。もう一度、もう一度戦おう」


 涙ぐみながら、獣の耳をペタンとさせて獣人のキリナが言う。

 全身の綺麗な赤毛の獣毛は、所々刈り尽くされ、痛々しい生傷が露わになっている。


「エインハルト様、わたくしは貴方を信じています」


 転移魔術で僕達を連れ出した、聖職者のミレーナが手を組み祈りながらそう言った。

 彼女は遠くで支援していたからか、外傷はほとんどないが、おそらく、激しく魔力を消費したせいで立っているのもやっとのはずだ。

 残った三人の仲間の言葉が、僕の胸にただ重く、重くのしかかる。


「僕に、勝てるのだろうか」


 ポツリと呟いた僕の呟きは、誰に聞こえるでもなく、風に乗って消えていった。


☆☆☆


「勇者様、私たちを仲間に入れてください」


 それから、半月が経った頃。

 新たなパーティーの一員として、やって来たのは僕より小さな子どもたち四人だった。

 国王や宰相が選定した子どもたちだろう。

 僕のパーティーには、今はもう二人しか残っていなかったため、新しいメンバーを追加されるのは当然の話だ。


 戦士のドラークは片足を失って戦力外通告をされたと言っていた。

 残ったのは、獣人のキリナと聖職者のミレーナの二人だけ。

 魔王と戦うには心許ない人数であった。


「ありがとう、よろしく頼むよ」


 子どもたちは、僕がそういうと飛び跳ねて喜んだ。

 勇者パーティーの一員というのは名誉あることだかららしい。

 以前、獣人のキリナもそう言っていた。

 素直に喜びの声をあげる子どもたちをみて、僕は今度こそ、魔王を打ち倒す。

 そう再び決意した。


☆☆☆


 それから半年が経った。

 僕の右に出る者はもはや居ないほど、僕は強くなった。



 なのに、魔王に勝てなかった。

 僕と共に魔王を倒したいと、目を輝かせていた子どもたち。


 彼らは全員死んだ。


 獣人のキリナも死んだ。


 今回の戦いで残ったのは、僕とミレーナだけだった。


 もう嫌だった。戦いたくなかった。

 本当は傷がつくだけで、叫びたいほど痛くて、手の豆が破れて血を垂れ流しながらも剣を握るのは耐えられなかった。

 目の前で何度も仲間が焼かれ、切り裂かれ、沈められ、地に落ちていく。

 そんな姿を見るのはもう嫌だった。

 だけども、みんな口を揃えて言うのだ。


 「次、勝てばいい」、「また、挑めばいい」と。


 それから何度も何度も挑んだ。

 その度に新たな仲間が補充され、そして死んでいく。

 そんなことを続けて——気づけば、この世界にきてから十年が経っていた。


 傷ついた僕の心は、もう限界だった。

 そんな時、ふと思った。


(僕じゃなくてもいいのでは?)


 自分が死ねばいい。

 そんな、現実逃避みたいな事を考えながら、王都の街をフラフラと歩いていた時だった。

 一つの看板が僕の虚な瞳に飛び込んできた。


『悩める方へ、どうぞこの一杯を 喫茶店【縁】』


(喫茶店……?)


 なんだか懐かしい響きだった。

 日本にもあるような名前の喫茶店を見て、自然に足が向かっていた。

 扉の前に立ち、手をかけようとした時、ハッとする。


「姿を隠さず店に入ることは、人々の為にもやめてください」


 そう、ミレーナに言われていたことを思い出す。

 彼女の言い分として、勇者である僕は、英雄と崇められているので、僕の姿を見ただけで騒ぎになってしまうから、ということらしい。

 本当は、いつまで経っても魔王に勝てない僕が、誰からも責められずに済むよう——そんな配慮なのだろう。

 店に入るのを諦めようとしたその時、看板に書かれた小さな文字に気づいた。


『扉を開けた瞬間に、貴方はこの喫茶店で最も相応しい服装になります。そして、中の者は一切貴方の素性は知りません。安心してお悩みをご相談ください』


 なんと親切な。

 そこまで書いてあるのならば、そう思い僕は店の扉を開けた。

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