第15話

天空塔の最上階。

そこは、熱狂に包まれたスタジアムの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

​ガラス張りの床。眼下に広がる学園都市の夜景。

そして、その中心に佇む「ラスボス」。

​天導院アーク学園長は、バスローブ姿のまま、まるで孫の相手をする好々爺のような、しかし底知れない笑みを浮かべて私を待っていた。

「……来たね、英雄(ヒーロー)。

サイラス君を倒したその運命力、モニター越しに楽しませてもらったよ」

​「どうも。約束通り、殴り込みに来てやったよ」

​私は肩に担いでいたジュラルミンケース――準決勝で使った「要介護デッキ」が入ったケースを、ドンッ! と床に置いた。

​「さあ、始めようか学園長。

この『運命の道化師(ジョーカー)』で、アンタの鼻も明かしてやる!」

​私がケースを開こうとした、その時だった。

​「――おっと。待ちなさい」

​学園長が、優雅に手で制した。

​「そのデッキはもういい。

あれはあくまで、君たちの基礎能力を測るための『拘束具』に過ぎない」

​「は? じゃあ何を使えっての?」

​学園長は、私の腰――いつも愛用している、ボロボロのプラスチックケースを指差した。

​「君の『本気(ガチ)』を見せてくれたまえ。

その5色ハイランダー……『カオス・パレット・フェスティバル』でね」

​私は目を見開いた。

自分のデッキを使っていい?

Sランクですら苦戦した私の相棒たちを?

​「……いいの?

私がこのデッキを使ったら、手加減なしだよ?

アンタの完璧なデッキでも、粉砕しちゃうかもしれないよ?」

​私が挑発すると、学園長は喉を鳴らして笑った。

それは、猛獣が小動物の威嚇を見た時のような、慈愛と残酷さが混じった笑いだった。

​「ククク……ハハハハッ! 手加減? 心配無用だ」

​彼は懐から、何の変哲もない、真っ白なデッキケースを取り出した。

​「君は、その最強の相棒(1軍)で来なさい。

私は……この『3軍(お遊び)』デッキで戯れよう」

​「……は?」

​「3軍だよ。開発段階で廃棄されたカード、バグで挙動がおかしいカード、あるいは単に私がイラストを気に入らないカード……。いわゆる『失敗作の掃き溜め』だ」

​学園長は、その「ゴミ束」をデュエルディスクに装填した。

​「ハンデだよ、いろは君。君が『ジャンク』の可能性を信じるなら……。私が使う『本当のゴミ』相手に、君の『至高のジャンク』で勝ってみせたまえ」

​カチン、と頭の奥で何かが切れる音がした。

​ナメてる。

完全に、心の底からナメ腐っている。

こっちは人生(ランク)とプライドを懸けてここまで来たんだ。

それを「お遊び」? 「3軍」?

​「……言ったね、クソジジイ」

​私は自分のデッキケースを抜き放ち、ディスクに叩き込んだ。

相棒たち(カード)が、怒りで震えているのがわかる。

​「後悔しても知らないよ。

3軍だか何だか知らないけど……手も足も出ないくらいボコボコにして、その余裕面を恐怖で歪ませてやる!」

​「ああ、怖い怖い。

さあ、始めようか。

神と人との、ささやかな『余興(エキシビション)』を」

​『 Duel Start : Iroha vs Arc 』

​🃏 Turn 1 : Arc (???)

​「先攻は私だ。ドロー」

​学園長の指先が、空気を撫でるように動く。

彼がマナチャージしたのは……『無色のバグデータ』。

​「1マナ。魔法発動、『気まぐれな創造主』。

コインを投げ、表なら2マナ加速。裏なら……自分のマナが全て消滅する」

​いきなりコイントス!?

しかも裏ならマナ消滅って、私の『怠け者の大樹』より酷いデメリットじゃん!

​「……ふむ。表だ」

​学園長が投げる素振りすら見せずに宣言すると、モニターには【表】の結果が表示された。

2マナ加速。合計3マナ。

​「3マナ召喚。『未完成の泥人形(プロトタイプ・ゴーレム)』。

攻撃力0。守備力0。

……ターンエンドだ」

​「……は?」

​フィールドに、作りかけの粘土細工のようなモンスターが棒立ちになっている。

ステータスゼロ。効果テキストも空欄(バグ)。

本当にただのゴミだ。

​「……何がしたいの?」

​「何もしないさ。これは『3軍』だからね。

さあ、君の番だ。その最強の5色で、この哀れな泥人形を壊してみたまえ」

​学園長は両手を広げ、無防備な姿を晒した。

隙だらけ。

なのに……なぜだろう。

​私の本能が、警鐘を鳴らしている。

「攻めるな」と。

​(……不気味すぎる)

​私はツバを飲み込み、デッキに手をかけた。

相手は腐っても学園の支配者。

あの泥人形に、どんな罠が仕込まれているかわからない。

​「……私のターン、ドロー!!」

​引いたのは、私の相棒。

『虹彩の創界神(イリス・ジェネシス)』。

​「行くよ、イリス。

相手が手加減してるなら、こっちは全力で轢き殺すだけだ!」

​5色のマナをチャージし、私は攻撃の態勢を整える。

3軍相手に負けるわけにはいかない。

これは、私たちの「本気(1軍)」の証明戦なんだから!


天空塔の最上階、ペントハウス。

私の目の前で、少女が怒りに震えながらデッキを構えている。

​「遊崎いろは」。

異界からのイレギュラー。

私が退屈な世界に投じた、一滴の猛毒。

​彼女は本気だ。

私の「3軍(お遊び)」発言にプライドを傷つけられ、殺意すら孕んだ瞳でこちらを睨んでいる。

​「ふふふ……。いい目だ」

​私はワイングラスをサイドテーブルに置き、手札の「ゴミ」たちを眺めた。

開発中止になったデータ。バグで挙動が安定しないテストカード。イラストが気に入らなくて没にしたラフ画。

本来なら、決して表舞台に出ることのない「失敗作」たち。

​だが、彼女は知らない。

「失敗作」ほど、予測不能な牙を持っていることを。

観測記録:全力の殺意 vs バグの壁

​『 Turn 2 : Iroha (Rainbow) 』

​「私のターン! ドロー!!」

​彼女のドローは鋭い。迷いがない。

マナゾーンには5色が揃いつつある。

彼女の手札には、昨夜私が彼女をここへ招いた理由――**『虹彩の創界神(イリス)』**があるはずだ。

​だが、彼女はまだイリスを切らない。

まずは私の出方を見る気か。賢明だ。

​「赤と緑のマナをタップ!

2マナ使用! 出てこい、『着火する小竜』!」

​フィールドに赤い幼竜が現れる。

速攻(ヘイスト)持ちのアタッカー。

私の場には、攻撃力0の『未完成の泥人形(プロトタイプ・ゴーレム)』が一体のみ。

​「まずは小手調べだよ!

小竜で、その泥人形を攻撃! イグニッション・ブレス!!」

​炎の吐息が、泥人形を包み込む。

攻撃力2000 vs 0。

通常なら、泥人形は跡形もなく消し飛び、超過ダメージが私に届くはずだ。

​「……甘いね」

​私は指を鳴らした。

​『 SYSTEM ERROR : Hitbox Not Found 』

​「……は?」

​彼女が目を見開く。

炎は泥人形を「すり抜け」て、虚空へと消えた。

泥人形は無傷。ダメージも通っていない。

​「な、何これ!? 当たってない!?」

​「バグだよ、いろは君」

​私は優雅に解説する。

​「この『未完成の泥人形』は、当たり判定(ヒットボックス)の設定を忘れて実装されたカードだ。

故に、物理攻撃は一切当たらない」

​「はぁぁぁ!? 無敵ってこと!? そんなのズルじゃん!!」

​「無敵ではない。『未完成』なだけだ。

……ターンエンドかね?」

​彼女は顔を引きつらせながら、ターンを終了した。

理不尽。不条理。

そう、これが私の3軍デッキの本質。

「強さ」ではなく「システムの穴(バグ)」を突く、禁断の戦術。

​🃏 Turn 3 : Arc (Glitch)

​「私のターン。ドロー」

​引いたカードを見て、私は思わず噴き出しそうになった。

ああ、これは酷い。

こんなカード、よくもまあ作ったものだ(私が作ったのだが)。

​「マナチャージ。……そして3マナ使用。

永続魔法『メンテナンス中(アンダー・メンテナンス)』発動」

​ピーーーーーーッ!!

不快な電子音と共に、フィールド全体に「工事中」の黄色いテープが張り巡らされる。

​「このカードがある限り、お互いのプレイヤーは、偶数ターンにしか攻撃宣言を行えない」

​「は!? 攻撃できない!?」

​「サーバーメンテナンスだよ。我慢したまえ。

お詫びに、毎ターン『詫び石(1マナ)』が配られるから、感謝してくれたまえよ?」

​「ふざけんな! ここはゲームの中だぞ!」

​「ここは私の庭(サーバー)だ。私のルールに従ってもらおう」

​私はニヤリと笑った。

これで彼女の「速攻」と「物理攻撃」は完全に封じられた。

奇数ターンはメンテナンス、偶数ターンは当たり判定のない泥人形が壁になる。

完璧な遅延(ロック)だ。

​「ターンエンドだ。

さあ、どうする? 殴れない、当たらない。

君の『熱』で、このシステム障害を溶かせるかな?」

Turn 4 : Iroha (Rainbow)

​「……性格わるっ」

​彼女は舌打ちをして、ドローした。

その目から、光は消えていない。

むしろ、この理不尽を楽しんでいるようにすら見える。

​(……やはり、君は良い)

​DクラスやCクラスの連中は、この状況に発狂しただろう。

だが彼女は、即座に思考を切り替えている。

『殴れないなら、どうするか』を。

​「私のターン!

メンテナンス? バグ? 知ったことか!

アンタがシステムで遊ぶなら……私は**『質量』**で押し切る!!」

​彼女は全マナをタップした。

赤、青、緑、白、黒……5色の光が収束する。

​「来るか……!」

​「マナチャージ完了!

現れろ、私の相棒! 世界に虹を架ける神!

『虹彩の創界神(イリス・ジェネシス)』!!」

​ゴゴゴゴゴ……ッ!!

天空塔のガラスが震える。

七色の光を纏った女神が、メンテナンス中のフィールドに降臨した。

​「攻撃力は……墓地とマナの色の数×1000!

現在5色……5000!!」

​「ほう。だが、攻撃はできないよ?」

​「攻撃なんてしなくていい!

イリスの効果発動!

『登場時、フィールドのカード1枚を対象とし、持ち主のデッキの一番下に戻す』!!」

​彼女が指差したのは、私の『泥人形』でも『メンテナンス中』でもなく。

​「消えろ! アンタの『マナゾーン』!!」

​「……なに?」

​イリスの光が、私のマナゾーンにあった『無色のバグデータ』を吹き飛ばした。

​「マナがなけりゃ、魔法も維持できないでしょ!?」

​パリーン!!

マナを失ったことで維持コストが払えなくなり、『メンテナンス中』の結界が砕け散る。

さらに、マナ不足で『泥人形』も消滅した。

​「ロック解除!

これで殴れるよね、学園長!?」

​(……なるほど。盤面ではなく、リソース(根源)を断ったか)

​力技だが、的確だ。

私の「バグ」は強力だが、それを維持するマナがなければただのガラクタ。

彼女は本能で、私のデッキの脆さを見抜いた。

​「やるじゃないか、いろは君。

だが……イリスは召喚酔いだ。このターンは攻撃できない」

​「わかってるよ!

ターンエンド!

さあ、次のターンで更地になったアンタを、イリスで粉砕してあげる!」

​🃏 Turn 5 : Arc (Glitch)

​「私のターン。ドロー」

​フィールドは更地。マナも減らされた。

次のターン、攻撃力5000のイリスが襲ってくる。

絶体絶命?

……いいや。ここからが「3軍」の真骨頂だ。

​「ふふふ……。君は優秀だ。

私のバグを、正攻法で攻略した。

……だが、君は一つ勘違いをしている」

​私は、引いたばかりのカードを、裏向きのままセットした。

​「3軍デッキとは、『弱い』デッキのことではない。

『強すぎて(あるいは危険すぎて)、ゲームバランスを崩壊させるから封印された』デッキのことだよ」

​「……え?」

​私は残ったマナを使い、手札から1枚のモンスターを召喚した。

​「召喚。『テスト用ダミー人形(Ver.99)』」

​現れたのは、的(マト)の絵が描かれた、貧弱なカカシ。

攻撃力0。守備力0。

​「そして、私はこのダミー人形に……『とっておきの装備』を与える」

​私は、裏向きでセットしたカードを表にした。

そのカードのイラストは、「自爆スイッチ」。

​「装備魔法『責任転嫁(スケープ・ゴート)』」

​「せ、責任転嫁……?」

​「効果はシンプルだ。

このカードを装備したモンスターが破壊された時……

『その破壊による敗北判定を、相手プレイヤーに移し替える』」

​「は……はいィ!?」

​彼女が素っ頓狂な声を上げた。

​「つまり、次のターン。

君がイリスでこのダミー人形を攻撃し、破壊した瞬間……。

君のライフが0になり、君の負けだ」

​「な、ななな、何それぇぇぇ!!?

そんなのあり!? 殴ったら負け、殴らなくても次のターンで……!」

​「殴らなくても、私は自爆特攻するからね。

……さあ、どうする?

最強の神(イリス)を出したが故に、君は『攻撃』という選択肢を人質に取られた」

​これが私の「教育」。

強すぎる力は、時に自分を滅ぼす枷になる。

理不尽な「即死ギミック」を前に、彼女はどう足掻く?

​私は彼女の顔を見た。

絶望しているか? 怒っているか?

​……いいや。

彼女は、笑っていた。

​「……あはっ。あはははは!」

​「……何がおかしい?」

​「いやさ、最高だよ学園長!

アンタ、本当に性格悪いね! 大好きだよそういうの!」

​彼女の瞳が、虹色に燃え上がった。

​「理不尽な即死ゲー? 上等じゃん!

だったら……その『ルールごと』ぶっ壊して勝つまでだよ!!」

​彼女の闘志は折れていない。

むしろ、この絶望的な状況を楽しんでいる。

​(……素晴らしい)

​私は、背筋がゾクリとするほどの歓喜を覚えた。

これだ。私が待ち望んでいたのは、この「光」だ。

​「見せてみろ、遊崎いろは!

私の『バグ』を上回る、君の『奇跡(エラー)』を!」

​神と英雄の遊戯は、クライマックスへと加速する。

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