第1話  なつと名乗る少女

 (よくよく思い出してみれば勝手に召喚しておいて女が出たからって遊郭に捨てるとかありえない!)


 ふつふつと怒りと困惑が湧き上がってくるがそんなことに時間を費やす暇はない。

 考えていても仕方がないので現状把握をすることにした。


 現場把握といってもまずどうしようかとまた空を見上げると、やっぱり月が二個あるのでさすがに99.999%異世界だが、たまたま月が二つに分裂した日の夜にエキセントリック誘拐犯に誘拐され、しかもなぜか偶然ちょんまげが流行っている町に連れてこられただけという説もある。


 なので道行くちょんまげに話を聞くことにした。


「すいません、私、京都から来たんですけど。ここは京都ですか?」

「ん? 嬢ちゃん誰や?」


(異世界か……)


「お? 嬢ちゃんどうしたんや? お?」


 どうやらここは本当に異世界らしい。


 困惑するちょんまげを捨ておき、またあてもなくふらふらと歩き始める。


 異世界と分かったところで目的がないので何も出来ないのだ。


(……詰んだ? いやいや、どっかでチュートリアルくらいあるでしょ…)


 東雲家でがっつり鍛えられているといえど18歳の女の子だ。


 遊郭街に一人はすこーし怖い思いがある。


「いやぁーっ!! 遊女になんてなりとおございませぇん!!」

「うるさいっ!! 力仕事も出来ないごくつぶしが! あんたはここで少しでも稼ぐんだよ!」

「いやぁーーっ!!」


 突然遠くの方から遊郭の街に甲高い声が響きわたってきた。


「なんだなんだ」と野次馬がわらわらやってきて群がる。


 涼乃も野次馬に混ざってよく見ると、それはどうやら身売りの現場のようだ。


 ピンクの着物を着たおかっぱの少女が母親らしき年増の女に強引に手を引かれ、今にも売り払われようとしている。


 こんなの本当にあるんだなと思った。


 それから、変に関わって危ない目に遭うのも馬鹿らしいのでその場を去ろうとしたのだが――


(郷に入れば郷に従え、っていうし⋯この世界の常識なのかも。慣れていかないと⋯⋯ってんんん?!)


 ある重大なことに気付き、涼乃は返し始めた踵を逆戻しして今にも売られようとしている少女を見つめた。


 みると今にも売られようとしている少女はかなり美形で愛くるしい顔つきをしているではないか。


 涼乃は異世界小説の経験からこの状況を素早く察知した。


 異世界で出会ったかわいい女の子は助けなければならない。


「これ国民の義務!!」


 次の瞬間には意味の分からないことを言いながら身売り現場に割って入っていた。


「あ、あんた誰だい! なんだいそんな奇怪な格好して!」

「あいやたしかにパジャマですけど…⋯そんなことより! その子、泣いて嫌がってるじゃないですか!」


 パジャマに裸足の涼乃に対する年増の女の言い分はご最もだった。変人はどちらかと言えば涼乃の方だ。


「嫌がったって結果は変わんないよ。生活のためには仕方がないんだよ!」


 年増の女は早くどけ、という風に手をぱっぱと振った。


 少女は思わぬ助けに一瞬期待するように顔を上げたが、母親の態度から状況が変わらないことを察したのか、また視線を地面に落としてしまった。


「うちはこの子を買うんだよ、嬢ちゃん、正義感が強いのは結構なこったけどよぉ、どっかいってくんねぇかい」


 買い手の店主とみられる体格の大きな男がぬっと見下ろしてくる。


 こうも敵意を向けられてしまうと、涼乃の心中はとても穏やかとは言えなくなっていた。


「どうしてこんなかわいい子を泣かせて平気なんですか?」

「あん?」

「許せないです!」


 きっと大男を睨み上げて見せると、男は「なんだお前」と涼乃の肩にその大きな手を乗せてきた。


「に、逃げて!変な格好のお姉さん!私は大丈夫ですから!」


 少女が半泣きになりながら叫んでいる。


 こんなに可愛い、まだ幼い女の子にまで気を使わせてこんな事を言わせるなんて。


「――むかつく」

「⋯⋯はっ?」


 涼乃が低く呟き、手を置かれた涼乃の肩が一瞬ぴくっと動いた。


 刹那、店主の右手――5本の指から前腕、二の腕、肩までのすべての骨は涼乃によって粉砕されてしまった。


「⋯ぁああああ゙っ!!!!」


 見ていられないような顔をして痛みに絶叫する店主をみて辺りがぽかんと静かになり、店主の叫び声がさらによく聞こえるようになった。


(おじいちゃんなら背骨くらいまでいけてたかもな⋯⋯)


 すかさず少女をさっと抱きかかえた。


「⋯⋯っと、この子、貰っていきますからね!!」

「え? えっ、ちょっ、わっ、わぁぁーっ!」


 少女をお姫様抱っこし、放心状態の野次馬を飛び越えて駆け出していく。


 100m走4.3秒という東雲家によって世界に秘匿されていた信じられない豪脚を飛ばして走ると遊郭街を抜けて薄暗い路地に出るまでそう遅くもなかった。


 追っ手は何人か来ていたが、およそ人間の速度では無い涼乃に追いつける訳もなく、あっけなく見失ってしまった。


 ちなみに祖父、東雲龍源は現在齢八十九にして100mを4.0秒で走る化け物である。


「いやー、危ないところだったね、お嬢さん」

「お、お姉さん⋯⋯とんでもないですね⋯」


 走ったのは涼乃のはずなのに何故か少女のほうがぜぇぜぇはぁはぁしている。


「危ない所を助けていただきありがとうございました⋯えっと⋯変な格好のお姉さん?」

「私の名前は涼乃だよ。東雲涼乃。君はなんていうの?」

「なつと言います⋯⋯涼乃さん、お礼したい気持ちは山々なんですけど、ついさっき身寄りを失くしてしまいまして⋯」


 なつと名乗った少女はしゅんとしてしまう。


 ついさっき捨てられた身なのだから当たり前だ。


 そんな中で泣きわめかないだけしたたかな子である。


 そして気付く、自分自身も身寄りがない。


 異世界で早速詰んでいる。


「⋯⋯もしかして私、余計なことを⋯」

「い、いえ! この身体を売ってしまうくらいなら死んだほうがマシだと思っていましたので⋯助けていただいたこと、本当に感謝してるんです」

「死んだほうがマシって⋯⋯そんなこと言っちゃだめだよ!こんなに可愛いのに!」

「ぁ⋯ぁりがとうございます⋯⋯」


 耳を赤くしておかっぱ頭を俯かせるなつにまたきゅんきゅんしてしまう。


(異世界最高! 異世界最高! なつちゃんさいこう!! フゥゥゥ!!)


 そうは考えるもしかし、詰んでいる状況に居ることを思い出し、とろける表情筋をきっと引き締めなおす。


「⋯⋯でも実はね⋯私も今身寄りが無いんだぁ⋯」

「⋯えぇ?!大変じゃないですか!」

「えっへへ⋯どうしようかね?」

「なんか楽しそうですね……?」

「いやぁこれも醍醐味っていうか……」

「……???」


 若干引き気味のなつである。


(いとらうたげなり……)


 涼乃はなつを愛でるがあまり何故か古語になってしまう。


 二人の間にしばらく沈黙が流れた。

 なつはこれからのことを考え、涼乃はなつを鑑賞する為だ。


(異世界と言ったらこれだよぉなぁ……可愛い女の子が居なきゃ異世界とは言えないよぉなぁ……)


 ちなみに涼乃にずっと漂っているおじさん臭さは使用人の世奈譲りである。


 初めて世奈に異世界系を教えてもらった時、「異世界の醍醐味は俺TUEEEEとハーレムです! それ以外は邪道! リピートアフターミー! 邪道!」と熱く演説されたせいだ。


「……あっ、山爺さまのところに行けばなんとかなるかも…」


 なつが突然ぽつりと呟いた。


「山爺さま?」

「はい、山霧住朧正やまぎりじゅうおぼろまささまという刀鍛冶のおじいさんです、昔よく私にご飯を食べさせてくれました」

「おぉ思ったよりゴツい名前やね……どこに行けば会えるの?」

「荒鎚山という山の麓です」


 どうせ身寄りも無ければやる事も無い。


 それに山爺さまこと山霧住朧正に会えれば何か変わるかもしれないというのであれば会いに行かない選択肢はなかった。


 早速なつをひょいと持ち上げた。


「わわわっ……す、涼乃さん、?」

「今から行こっか、その荒鎚山?ってところ」

「え、えぇ?! ここから結構遠いですよ?!」

「大丈夫大丈夫! けど、道分かんないから案内よろしくね?」

「……はい!誠心誠意案内いたします!⋯けど、自分で歩けますよ?私はもう14になるんですから!」


 そこまで気張らなくてもと思うが、張り切ってて可愛いので何も言わないことにした。


 夜の暗闇の中、なつを背中に乗せた涼乃は長い道のりを歩き始めたのであった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る