第4話 慈愛の司祭:終焉
クレアと一緒に辺境と自宅を往復する生活を送るようになってもう十年になるかしら。辺境の小さな問題を解決して回る私たちは『辺境の英雄』なんて呼ばれてる。
それはクレアのことが心配で、そして離れることが耐えられなくて。
その二つの理由から大きな事件を避けるようにしてた。
クレアの
やがて乗合馬車は自宅近くの停留所に停まる。
「あー! やっと着いたわね」
大きな伸びをしながら言うと、クレアは微笑みを返してくれる。
「お疲れさまでした」
「クレアもね」
その微笑みに笑顔を返したあと、家のことを考えて小さなため息を吐き出してしまう。
「でもね、我が家はたぶん大変なことになってると思うわ。なんせ三か月振りですものね」
クレアはそっとうなづいてくれた。
「とにかく、家に帰ったらお掃除して、それから三日は休むぞー!」
「そういたしましょうか」
すっとクレアが私の荷物の半分を持ってくれる。あなたは、いつもそう。
「きゃー、郵便受けがあふれてるわ!」
もう笑うしかないくらいぎっちり詰まった郵便受けを開くと、ドサドサと信書が落ちてくる。思わず笑うとクレアも声を上げて笑った。信書を二人で抱えてリビングへ。旅の荷物を解くよりも先に信書の区分けをしていく。
「これは私、これはクレアのね」
私は声に出して作業をすることでクレアの注意をそらしつつ、クレアが触っている信書を注意深く観察する。
彼女が分けた信書に司教様の封蝋のあるものがあった。私は知っている、あの司教様の封蝋は、人事の、それも承認された人事のときにのみ使うもの。
心が
「これでよし、っと。まだまだ辺境にはたくさんの問題がある、ってことだけがわかったわ」
これ以上は耐えられない。私室にさっさと戻るための言い訳として、自分宛ての信書を確認しましょう、ということにした。
私室に戻り、乱暴に信書を開封していく。どれもこれもみな『辺境の英雄』宛。そして『辺境の英雄』とはクレアのこと。私には何も価値はない。
親指の爪を噛んでしまう。どうにか、どうにかしなければ。
一晩考え、思いついた解決策を実行するために早朝から行動を開始する。まずは手紙を残す。旅の間使っていた矢立からペンを取り出し、書きつける。
『今日、クレアの誕生日のお祝いをします。なのでお買い物に行ってきますね』
まずは懇意にしている酒屋から。この酒屋の看板商品はカモミールとレモンバームを漬け込んだリキュール。鎮静作用があるということでナイトキャップに人気。
次に薬師の店。ここではニガヨモギ、ラベンダーの抽出液とはちみつを。
そして市場へ。様々な食材とスパイスを。
両手に荷物を抱え、家に戻る。
「ただいまー! クレアー、いるー⁉」
「おかえりなさいませ、エリザベート様」
穏やかな表情のクレアがリビングに佇んでいた。出会った頃の彼女を思い起こさせる真新しい白銀の法衣姿にキリキリと胸が痛む。それを隠す司祭の仮面。
「お誕生日のお祝いするわね」
「それはいいのですが、エリザベート様の誕生日のほうが近くありませんか?」
クレアの表情は出会ったころよりも柔らかくなった。その口調も。
その距離の近さが、私を
「んー、でも私はクレアのお誕生日を祝いたいの」
「なるほど。では私もエリザベート様のお誕生日をお祝いいたしましょう。まずは一緒に料理を」
料理に手を出されては困る。慌てて理由を考え、口にする。
「あの、ね……とても言いにくいんだけど……クレアはその……」
実際、クレアの料理は料理と言っていいものか。栄養最優先、味や見た目はあまり気にしないタイプだった。
「知ってますよ、冗談です」
「んもう!」
はじけるように笑うクレアを軽く叩く。きっと司祭の私はそのように振舞うから。
「では私はリビングの飾り付けをいたしますね」
クレアは買い物袋からオーナメントを取り出した。キラキラと輝く星は、クレア。その星の下にぶら下がる、小さな球ですらない、私。
「あら、素敵ね。じゃ、お願いするわ」
これ以上彼女を見ていられなかった。キッチンへ引っ込む。
リキュールにニガヨモギのエキスを混ぜる。入れすぎては気づかれる。でも足りなくては効果がない。苦みをごまかすためにはちみつを加える。甘すぎては量が飲めない。でも足りなければ飲み込めない。若干薬っぽいにおいになってしまうのを防ぐのにラベンダーを混ぜ込む。混ぜ込みすぎては嫌味になる。でも足りなければ薬と同じで嫌がられる。
味を見ている間に、私にもその効果が表れてきた。普段の硬い仮面が剥がれ落ちているのがわかる。期待に口角が上がり、絶望に眉が下がる。自分の感情が乱高下している。
でも、今日は祝いの席。少しくらいおかしくても、わからないわよね、きっと。
クレアに料理と酒を進める。口当たりをよくした、実は強いアルコール。もともとクレアはあまりアルコールに強くない。生あくびを噛み殺していたが、ついに大きなあくびをひとつした。
「あら、珍しい。クレア、もう眠いの?」
「そう……ですね……」
「じゃあ、危ないからお風呂は明日起きてからにしなさいな」
クレアはうなづくと立ち上がりふらふらと歩く。
「危ないわ! ほら、肩につかまって」
熱を帯びた彼女の体を支える。私の頭はどうにかなってしまいそうだった。クレアはぐったりとしており、私の顔を見ていない。それが救いだった。
何とかクレアをベッドに寝かせる。
「ふふ、お休みなさい」
返事の代わりに穏やかな寝息が聞こえてきた。あともう少し。
私は私室に戻り、華美な装飾の儀式用ナイフを取り出す。
「これで、あなたを、そして、私も」
クレアの部屋に戻り、手桶に湯を張ったものをベッドのわきに置き、横たわる彼女の左手を取る。手首をそのナイフで傷つけ、手桶に浸ける。
彼女の命の灯が徐々に小さくなっていく。私は彼女の髪を撫でつつ、それを見ていた。
しばらくするとクレアが小さくつぶやいた
「シシィ」
耳を疑う。そんな。彼女の口に耳を寄せる。
「私を受け入れてくれて、ありがとう。あなたのために」
そこで言葉が途切れる。私は狂ったように彼女の机の引き出しを開ける。一通の手紙。
推挙ありがとうございます。
ですが私は長年司祭様に仕えており、彼女のためにこの生涯を捧げる決意をいたし
私は自らの喉を突いた。彼女の血が私の中に入る。こんなときにそんな愉悦を感じるなんて。
私は、やっぱり、私が、嫌いだ。
こんなに綺麗な執着が
『愛』なんて醜い言葉に
当てはまるわけがない
愛という名の感情 ナード @Nerd
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