3 千種忠顕
後醍醐帝の配流地となった隠岐島は、島根出雲の沖合五十キロに浮かぶ諸島であり、古代より出雲国、伯耆国などと並ぶ山陰道八国のひとつとされ、奈良期聖武帝の時代には国分寺も置かれた。本土寄りに島前と呼ばれる三つの島、その北に島後と呼ばれる大きな一島があり、中世には近江源氏の流れを受けた佐々木一族と塩冶一族が、出雲守護と隠岐守護を兼任していた。隠岐には一族の者が守護代あるいは地頭として常駐することもあり、島後の甲尾城を拠点としていた。古代より配流地とされた島で、承久三年(一二二一)の承久の乱で鎌倉幕府打倒に失敗した後鳥羽上皇も、島前中ノ島に流されてそこで崩御している。
この度の後醍醐帝配流もそれに準じると思われたが、状況はより複雑で、後醍醐帝の呼びかけに応えた楠木氏や赤松氏などの悪党や豪族は、帝が囚われて配流された後も、未だ各地で反幕府の抵抗を止めていない。そうした勢力がいつ天皇奪回の行動に出てくるかわからぬわけで、この度監視役を命ぜられて、五百騎近い兵と共に隠岐に常駐する守護の佐々木清高は、帝の在所を島後の甲尾城と島前西ノ島の黒木御所に交互に移し、反幕府勢力の目を欺こうとしていた。
千種忠顕は、この時代の公家の中では主流とは言えぬ六条家の生まれだった。幼少期から文より武を好み、都周辺にたむろする野武士や悪党の類いとも交流があって、放蕩三昧が過ぎたようで結局六条家からは勘当されている。しかし二十歳の頃から即位前の後醍醐帝に仕え、その信頼を受けていたこともあって、『
ただ側近でありながら、後醍醐帝の倒幕計画にはあまり深く関わらせてもらえなかった。忠顕にしてみれば信頼されていないと感じ、大いに不満であったが、それが幸いしたのか、倒幕の企てが露見した後、日野俊基や北畠具行など多くの側近や関係者が、幕府によって厳しく処断、処刑される中で、唯一罪を免れてそのまま帝に仕えることを認められていた。この度も天皇の隠岐への配流に同行し、執事として帝の身の回りのこと一切を取り仕切っている。市井の者達と関わり深かった忠顕は、日々の生活を切り盛りするには欠かせない側近だったのだ。
その千種忠顕は、帝の配流地である島前の黒木御所からほど近い海岸にいる。西ノ島別府の港はそれでも島内屈指の港のはずだが、まともな桟橋は、守護の用いる中型船が係留できるものが一つあるだけの、ごく小規模な港湾だった。ほとんどの船(漁船)は桟橋ではなく砂浜に引き上げられるか、岸辺の杭に繋がれているだけである。
その港町にはそれでも三百人ばかりが住まう、この島では最大の集落があり、その住人たちは漁を生業としながら、港の人足、本土や島後との渡しなどを請け負って生計をたてていた。また島の海産物を加工して本土と取り引する商家や、酒や食事を供するような店もあった。
後醍醐帝の御所は、その港や集落を見下ろす岬の松林の中にある。御所といっても名ばかりで、監視役の隠岐守護佐々木清高の用意した在所は、廃寺であった建物に少し手を入れ、かろうじて雨風を凌げるようにしただけの粗末なものだった。建物としては島後に用意された甲尾城の方がましだったろう。――ここに帝は側室の阿野廉子と住まうのだが、身辺の世話をする女房もおらず、二人ばかり集落の娘が選ばれて下女として働いていた。他に物々しく具足を身につけた守護配下の侍が、常に二十人ほど詰めてはいたが、監視が役目で、日々何の助けにもならない。ここでの帝は明らかな「流人」だった。
守護の佐々木清高も、まとまった数の兵と共に同じ島内にいるはずだが、めったに御所に顔を見せることはなかった。 おそらくは監視役として、万が一にも帝が奪還されそうな場合、帝本人を
季節は冬一月。冬の日本海は灰色の雲が低く垂れ込め、雪の舞う荒れた海である。それでも南の彼方にうっすらと見えるのは、出雲か伯耆の山並みであろう。懐かしい京の都はその遙か彼方にある。今、長く北条得宗家に支配されてきたこの国は、大きく動き始めている。その原動力は間違いなく自分がお仕えしてきた主上(帝)なのだ。手遅れにならぬうちに、主上をこの島から連れ出さなくてはならない。主上もそのおつもりで、隠岐に自分を同道させたのだった。
帝を唆した罪で、幕府に捕らえられ首を切られた日野や北畠らが、わざと自分にだけに声をかけなかったのは、今にして思えばこうした状況を想定してのことだったのだろう。……彼らや主上の信頼に応えなくてはいけなかった。
しかし監視役の守護佐々木清高はなかなか油断のない男で、配流在所を一カ所に留めようとせず、常に移動させて直接自分の目で監視している。今この時も姿こそ見せないが、忠顕には黒木御所周辺に、守護の厳しい視線を感じられるのだった。守護清高の関心は、廃位させられ有能な側近を多く奪われた主上が、かつての後鳥羽院のように都への復帰を諦めて、この辺境の島で朽ち果てていくかどうかを見届けるという一点にあるのだろう。
しかし千種忠顕は知っている。主上とは長いつきあいである。――後醍醐帝は決して諦めない。執念と言うべきか情熱と言うべきなのか、こうと決めたらそこしか目に入らないお人である。いくら挫折しようが、どれだけ多くの配下を失おうが、一切ためらわない。この度幕府に処刑された日野ら側近達も、そして忠顕自身も、各地で幕府軍と戦う武士達も、すべて主上の願望、――この国を自らの手で支配したいという願望を、叶えるための捨て駒に過ぎないのだ。 監視役の守護は抜け目のない人物かも知れないが、自分が監視する相手つまり主上が、どのような人物か正確に理解しているとは言い難い。そして北条得宗家が支配する幕府も。
現に今こうして千種忠顕がひとり海を見に来ているのも、主上から命じられたからだった。主上は冬の日本海を渡るおつもりなのだ。荒れて冷たい山陰の海である、確かに監視の目は緩んでいるだろう。……この海を乗り切って無事に本土に着けさえすれば、各地に散らばる反幕府、反北条の同胞達も勢いづき、大きく歴史も動く。
忠顕はただぼんやり海を見ているわけではなかった。地元の漁民達から冬の天候や海の様子を聞き出さなくてはならない。ただし迂闊に聞いて廻れば、その意図が守護に漏れる可能性が高い。幸い、島に来てすぐ忠顕は幾人かの島の娘と懇ろな関係になっていた。もともと女好きで、六条家を勘当されたのもそれが原因と言ってもよかった。若く男前の都人からすれば、島の娘を籠絡することなど赤子の手をひねるようなもので、毎夜のように娘達の所へ通いながら、寝物語に冬の海の情報を聞き出すのだった。先夜も、これは娘ではなく漁師の夫を海で亡くした女が、粗末な小屋のような家の中ではあったが、忠顕に抱かれながらいろいろと語ってくれた。
「もちろん冬の海は荒れてるさ。ただ新年満月の頃だけは、岸から見ると波が高くて荒れてるように見えるけど、沖まで出てしまえばけっこう穏やかで、大物が浅いところまで上がってきてる。それを当てにして船を出す漁師もいるのさ。……うちの亭主もそれ狙ってたんだが、やっぱし船が小さすぎたんだね。沖に出る前に横波にさらわれちまって。そう、佐々木様の船くらいの大きさがあればねェ」
この情報は後醍醐帝を大いに喜ばせ、すぐに忠顕は脱出用の船を準備するように命じられた。しかし、実のところそれが最大の課題だった。守護が黒木御所の監視を比較的緩くしていたのは、万が一主上が御所を抜け出しても、船の管理さえ徹底していれば、決してこの隠岐から出ることはできないからだった。そこで守護は島中のすべての船を、いかな小舟であっても厳重に管理し、一艘でも所在が曖昧な船があった場合、徹底的に捜させ、持ち主を厳しく罰した。また、海岸には死角のないように昼夜見張りを立て、密かに接岸しようとする船を監視していた。
主上と側室の阿野廉子、そして自分が乗り込んで、冬の海を渡るだけの船を調達することはかなり困難だったのだ。
次の更新予定
2026年1月16日 16:00 毎日 16:00
神器争奪 寶石 史 @takaraishi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。神器争奪の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます