第41話 罪

 もともと会話を好む方ではないヘリットだが、真横を歩く者とほぼ一日何も話さないのは初めての経験だった。マイヤを包む透明な殻があるようで、ヘリットがチラチラ視線を送ってもことごとく跳ね返される。


 もしかして、僕は案外社交的だったのかもしれない。

 マイヤとの会話のとっかかりを見つけようとして失敗しながらヘリットはそんな事を思っていた。なにせ、昼の食事も勝手にマイヤが止まり、自分でリュックを開けて、村で貰ったパンをかじり、食事が終わっていないヘリットを尻目にさっさと立ち上がって歩き始めるのだ。


 そっちがその気なら、こっちも受けて立ってやる。ヘリットはぎゅっと唇を結び、一言も発しない誓いを自らに課した。

 今までの所、王都に通じる広い街道にはオーク達の侵攻を疑う痕跡は無かった。だが偵察に出たオークの小隊は狭い山道を進んでいるのかもしれず、いつ何時出くわすかもしれない。ひとときの油断も許されなかった。


 日も傾きかけたころ、彼らは森に沿って走る街道に出ていた。出発してからろくな休憩もとらずに歩き続けたヘリットは、先ほどから目の前がかすんで生あくびが止まらない。ちらりと振り返ったマイヤはヘリットが限界だと判断したのか、街道沿いの藪から今日のねぐらを探すため森の中に歩みを進めていった。


 程なく彼らは木々の合間に小さく開けた場所に着いた。マイヤはさっさと敷物を敷くと荷物を下ろして焚き火の準備を始める。魔族に見つかる可能性はあるが、危険な動物や夜の寒さを考えればやはり焚き火は必要だった。ヘリットも森の中で薪になりそうな小枝を探して、マイヤの集めた薪とは少し離れた場所に積み上げた。


 固いパン、干した果物と肉を水と交互に口に入れながら二人は無言で火を眺めている。ときおり鳥や獣の激しい鳴き声が響く森の中にあって、ひとときも同じ形を取らない火の踊りの美しさはパチパチとはぜる静かな音とともにヘリットの心を落ち着かせた。

 徐々に睡魔が彼を襲う。ガクリ、と首が後ろに倒れ、後頭部がもたれかかっている幹に当たる。しかし半ばまどろんでいるヘリットは痛みを感じなかった。


「寝たのか?」


 遠くでマイヤの声がする。返事をするのも億劫で、ヘリットはそのまま目を閉じていた。

 静かだが、荒い息遣いがヘリットの耳元の空気を揺らす。彼は瞼の裏に焚き火の光が遮られて黒いベールのような影が差すのを感じた。

 ヘリットの首に冷たくて細い指が触れる。


「何をする気だっ」


 叫びながらヘリットは両目を開けて体を起こす。

 だが。


「止まれ」


 首にまわされたマイヤの手首を掴もうとしたヘリットの手が空中で止まる。

 鳳凰家に伝わる相手を少しの時間思い通りにできる術だ。

 何の真似だ。叫んだつもりだったが、喉から出たのはかすれた息だけだった。手首さえ握れれば、ヘリットの方が腕力がある。取っ組み合えば、華奢なマイヤを組み伏せることも可能だった――もちろん今となっては遅いが。


 たちまちヘリットは喉を絞められたまま仰向けにされる。馬乗りになったマイヤの手が無抵抗のヘリットの喉を絞めた。

 マイヤの指が震えている。あの時、彼の心の奥に住み着いていた少女デリットに会った時もそうだった。徐々に指に力が入る。


「な、なぜ……」


 ヘリットは必死でかすれた声を喉から絞り出す。彼のことは苦手であるが、氷の裂け目から落ちた時に、命がけで助けてくれたのも彼だった。殺すのなら、あの時助けなければ良かったのに。だが、考えている暇は無かった。


 とりあえず、逃げないと――夢渡りだ。

 彼は獏男と連絡を取ろうと目をつぶる。しかし、いつもならたとえ心の奥深い暗闇の中でも光ってすぐつかめるはずの獏男の心の緒が見つからない。彼の額から冷や汗が吹き出た。  

 なぜ? マイヤの術のせいか。もしかして獏男は何か薬でも盛られているのか。


 それ以上考えている暇は無かった。結論として夢渡りはできないのだ。他の者の意識にこの状況を伝えて獏男を起こす余裕はない。

 獏男に何をした? ヘリットは目を開けてマイヤをにらみつける。

 この世と別れを告げるなら、せめて理由を知りたい。すでに声は出ない。彼は心の中で絶叫する。


――お前はデリット、なのか?


 声は出ないが絶体絶命の状況が無意識のうちにヘリットに夢語りに似た状態を作り出させたのか、マイヤの目がつり上がった。

 頬が紅潮し、指に力が入る。抗おうにもヘリットの身体は何かに縛り付けられたかのように硬直していた。ヘリットの白目に赤い血管が浮き出し、全身が小刻みに震え始める。


「ヘリット、鳳凰家の秘密を知ることができるのは獏家だけだということはわかっていた。本当は知らないままでいてほしかったよ。でも、残念ながら知られたからには、口を塞がなければならない。私たちは我が鳳凰家の名誉を守らねばならないのだ――」


 ヘリットの頬に何かが当たって跳ね返る。それは、続けざまにぼたぼたと落ちてきた。

 マイヤの涙だった。

 ヘリットの頭にデリットの言葉が蘇る。『私を守るために彼は強くなった』

 あの聖獣式の時に、彼には鳳凰家が代々守ってきた秘密を明かされたのだろうか。性格が一変するような、重大な『デリット(罪)』の秘密を。


 その時、彼の脳裏にあの声がよみがえった。

 デリット! そうか彼女の声だ。

 村での戦いのとき、獏が無力であるとオークたちに告げた甲高い声。あれはデリットの声だったのだ。


 なぜ、魔がマイヤの中にいるんだ?

 マイヤ、僕にできることはないか? 君を助けたいんだ。


 ヘリットの視界は急速に暗くなる。

 不思議と怒りはなかった。マイヤもまた聖獣家に翻弄されて、苦しんできたのだ。彼の哀しみや苦悩が、ヘリットにはわかる気がしていた。


――マイヤ、僕の心を受け入れてくれ。悪い夢は僕が喰ってやる。


 極限まで追い詰められたヘリットの心がマイヤに向かって絶叫した。その叫びはマイヤの心に光の矢のように刺さり、心の障壁を突き抜ける。

 不意に首にまわされていた手の力が抜けた。


――助けてくれ、ヘリット


 家名やしきたりやプライドによって心の奥底に押し込められていたマイヤの本心が表面に浮かび上がる。同時に代々鳳凰家に受け継がれてきた記憶の奔流が、いきなりヘリットの頭に流れ込んできた。

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