第40話 夢

「昨日ね、奇妙な夢を見たの」


 朝食の席で、大麦のスープを飲みながらシェリンが皆の顔を見回した。


「父が、枕元に立っているのよ。『閉鎖にほころびができている。結界が破れはじめている』ってつぶやいてじっと私の顔を見ているの。父の意識が夢の橋を架けないでも私に伝わるって事あるのかしら?」

「ありますね、肉親の間では危急の事態にはなおさらそういうことが起ります。共有する記憶が多いほど、夢の橋が自然につながるのです。」


 獏男が口の周りからパンくずをぼろぼろとこぼしながら答える。

 昨日の夢は、もしかして父親が受け継いでいた獏家の夢が、結界から漏れて伝わったのか。ヘリットは眉をひそめる。

 それにしても、白い業火ってなんだ。

 どちらにせよ、またもや持っていても使えない技らしい。ヘリットは小さなため息をついた。


「閉鎖が上手くいっていないっていうことは、王都の時間がゆっくりとだが動いているってことか」


 ミホスが額に皺を寄せた。


「もし、私の父の幻影が本物であれば、閉鎖が決壊するのは時間の問題ね」

「こうしている間にも王都に閉じ込められていた魔族が結界のほころびから出て、近隣に攻め入ってくる可能性がありますね」


 マイヤが額に手を当てた。


「急いで王都に帰らなくては――、しかしその前に提案があります」


 彼は視線をヘリットに向けた。透き通った紫と緑の瞳はじっと探るようにヘリットを見つめていた。


「僕とヘリットを魔族の布陣の偵察に行かせて欲しいのです」


 真意を測りかねてヘリットはマイヤを見返す。


「なぜ、すでにはったりの術も効かない役立たずの僕を連れて行くんだい?」

「簡単な事ですよ。主力のミホスとライカは温存しなければならない。癒やしの力を持つシュリンも重要な戦力だから二人と共に居てもらわなければならない。私一人では窮地に陥ったときに逃げることができませんが、ヘリットと共に居れば夢渡りの術で瞬時に移動することができます。逆にヘリットが窮地に陥った時には私が鳳凰になってヘリットを空に逃がすこともできるし」

「僕はここに居残りですか?」


 獏男がつまらなそうに口を尖らせる。


「ヘリットと一緒にいないとなんだか落ち着かなくて――」

「後で菓子をあげますから言うことを聞いてください」


 焼いてもらったのかマイヤがライ麦のクッキーを獏男の目の前にちらつかせる。 

 ごくっと唾を飲み込みながらも獏男はちらりとヘリットの方を向いた。だが、珍しくヘリットが救いを求めるような視線で自分を見ているのに気が付き、未練ありげに菓子を見ながら小さくうなずく。


「でも、僕はヘリットの守護神だからヘリットと離れないほうが……」

「私思うんだけど、ヘリットと獏ちゃんが別々の場所にいたほうが夢渡りをするのも確実だわ。仕方ないわよ、獏ちゃんはお留守番しましょう」


 シュリンに頭を撫でられて、嬉しそうに両目を垂らしてすり寄っていく獏男は一瞬のうちに留守を承諾したようだった。


「え? マイヤと僕と二人きり……」


 相棒の裏切りにあってうろたえた目で周りを見回すヘリットだったが、皆が大きくうなずいているのを見て口ごもる。これはもう決定事項で、彼に反論の余地はなさそうだった。

 すでに逃げることをあきらめて、いろいろな事を観念してしまった彼は偵察が怖いとか役目を失敗する不安はあまり感じなくなっている。物事はなるようになるのだ。

 それよりもマイヤと二人というのが気づまりだった。


 マイヤは五聖獣家跡継ぎの中でも特に若い女性から一番の人気を誇っている。切れ長の目にすらりとした鼻筋、薄桃色の引き締まった唇。おまけに艶やかな薄桃色の長髪は日なたでは首を振るだけでキラキラと光の洪水を起こして異性で無くても見とれてしまう。

 しかも魅力的なのは見かけだけではない。書物が好きな知性派で、話す言葉はややきついが大きく間違った発言はしない。どこかしら妙な振れ幅が大きい聖獣家の面々のなかにあって、彼は比較的まともであった。非の打ち所が無いと言ってもいいだろう。

 だが、ヘリットは彼が苦手だった。


 そう言えば、マイヤに近寄らなくなったのはいつの頃からだろう。

 ヘリットは記憶の箱に手を突っ込んで、マイヤとの思い出を掻き出す。

 幼い頃のマイヤはどちらかというとおっとりした優しい子だった。ヘリットが獏家のくせに何もできないとからかわれていると、風を起こして紅葉をまき散らし皆の話題を変えてくれたり、一人で木の下にうずくまっていると鳳凰家の術を使って雨と風のダンスを見せてくれたり。むしろマイヤはヘリットにとって、ずいぶん長い間一番好きな友達だった。

 なのに、いつ頃から正論をふりかざす、棘のある性格になったんだろう。


 ふと、ヘリットはあの日の光景を思い出す。

 十四歳になるころに、ヘリット達は聖獣式を受けさせられる。それは聖獣家を継ぐ心の準備ともいえる習わしで、各々の聖獣家によって異なる簡単な通過儀礼があった。


 例えばヘリットは聖獣の聖地に連れていかれ一晩祈りを捧げさせられた。あのころはまだ無垢だった彼は、獏家に反感を持ちながらも家を継ぐことは仕方ないと思っていたので渋々だが何も言わずに父親に従った。

 ミホスは凸面鏡で太陽の光を集め火を作り、ライカは一晩中父親と天空を飛び回ったらしい。シュリンは一角獣家に伝わる果実を使った薬の作り方を習ったと言っていた。


 今思えばその頃だろうか、マイヤの雰囲気が変わったのは。

 よく言えば大人っぽくなった、悪く言えば、どことなく皆と距離を置き始めた。物言いがきつくなったのもその頃からかもしれない。聖獣式からしばらく後、ヘリットは彼に聞いてみたことがある。


「ねえ、もしかして聖獣式で何かあった?」


 ぎくりとして振り向いた、その時のマイヤの目は底冷えがするほど冷たかった。


『知らないって、うらやましい』


 そんな言葉がかすかに聞こえた気がした。

 ヘリットが聞き直そうとしたときに、彼の足元を突風がなぎ払う。


「あっ」


 バランスを崩して足を踏み外した彼は、虚空をつかもうと手を振り回すが無駄な抵抗だった。ひっくり返ったヘリットを尻目にスタスタと去って行くマイヤ。怒るのも忘れてヘリットは他人が近寄るのを拒否するかのような後ろ姿を呆然と見つめていた。


 あの日以来、マイヤからは避けられて親しく話したことはない。

 まあいいか。

 諦めの早いヘリットは肩をすくめる。

 それに彼はマイヤと二人きりになれるこの機会に彼の心の中にいた少女、デリットについて聞いてみたかった。

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