第34話 失われた記憶の館(下)

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 夢見と称する神は突然すべての人々の頭の中に現われた。

 『もう同胞と戦いたくない』切々とした人々の願いを彼は叶えることとする。

 そのかわりとして、人々は夢見から提案を受ける。

 

 今回の諍いが起きたのは、爛熟を迎えた人々がお互いの欲を抑えきれなくなったため。

 『それを避けるには、あらかじめ人を減らしておけば良いのだ』

 夢見は人々の欲を材料にしてこの世に『魔』を生じさせる。人が爛熟を迎えて欲が抑えきれなくなった時に、魔が現われて人々を淘汰する。しかし『魔』だけではこの世の調和が崩れる。そのために夢見は魔に対する『聖獣』も生じさせた。そして聖獣を制御する筆頭聖獣として獏を置いた。


 もし、過剰な欲望が魔に変化し手に負えなくなった場合、夢見の力を受け継いだ獏は魔を一掃することができるが、この世の欲は常に一定、人から欲望は消せるものではない。消し去った欲望は人々に取り憑き人々を魔に変える。欲望に捕らわれて魔に変化した人々を解放するには、夢見との決別のため『獏』に『     』を喰わさなければならない。


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「肝心な所で虫食い……か」


 マイヤは、唇を噛みしめる。


「欲望に捕らわれて魔に変化した人々を解放するには、獏に何を喰わせるか、どこか他にも書いていないか。どうすれば、魔を――」

 

 マイヤが頁をめくろうとしたその瞬間、部屋が大きく揺れる。床に散らばっていた、持ち上げられないほど脆弱になった本はお互いにぶつかり、壁に当たり、粉々になって四散する。

 マイヤが本を抱きかかえようとすると、細かい紙片になってバラバラと崩れ落ちた。


『裏切り者』


 部屋の中に少女と思われる甲高い声が響く


『そんなことを知る必要は無いわ』

 

 声が反響し、マイヤの頭に突き刺さる。思わず彼は耳をふさいで跪いた。


「うるさい、黙れっ」


 大切な過去の記録が散らばる。手に当たる本をかき集めようとするも、ゆりかごのように左右に揺れる部屋の中で本達は次々に崩壊していった。


「止めろっ……どうか止めてくれ」

『嫌よ、薄情者。今あなたたちがあるのは、私たちのおかげなのに』


 高笑いとともに壁にヒビが入り、天井の漆喰がボロボロと落下してきた。埃が部屋中に舞い上がり、視界が灰色に閉ざされる。

 ますます激しくなる揺れに、マイヤは扉から飛び出した。廊下にはシュリンも獏男とヘリットも飛び出してきていた。


「どうした? いったい何が起こったんだ」


 ヘリットが叫ぶ。誰からも答えは無かった。

 激しい揺れが起こるたびに壁の亀裂が増え、その隙間も目に見えて広くなっている。このままでは崩壊も時間の問題とは思われた。

 だが、こんな時先頭に立って皆を引っ張るあの男の姿が見えない。


「シュリン、ミホスは?」

「出てこないわ。いったいどうしたのよ、これ」

「わからないけど、すぐに崩れそうだ。ミホスの入った部屋はここだな」


 獏男とヘリットがミホスの入った部屋に飛び込んで朦朧としているミホスを引きずるようにして連れ出した。シュリンが抱きつくようにして癒やすと、ミホスの目がぱっちりと開いた。


 だが。


「ライカがいない。いったい何をしているんだっ」


 マイヤが血走った目でライカの入った部屋に向かった。ライカが入った扉の中から、聞いたことも無い激しい音楽が聞こえている。


「ライカ、ライカっ」


 マイヤが扉に飛びついて開けようとするが、内側から鍵を掛けられているのか固くて開かない。体当たりしても、ミホスが外から炎を吹付けても扉はビクともしない。まるでその部屋がライカを取り込んで離さないかのように。


 天井からの落下物は最初はパラパラとした塗装の欠片だったが、次第に大きな塊が落ちてくるようになった。全体に亀裂を走らせた柱が不気味な音を立てた。


「逃げましょう。柱が折れるわ、館が崩れる」


 シュリンが叫ぶ。

 ミホスはマイヤの腕を掴んで、ライカの入った部屋の扉から引き剥がそうとする。


「だって、ライカがこの中に居るんだ。置いていけるわけがない。きっと何かに夢中になって我を忘れているんだ」


 マイヤが血走った目で首を振った。


「みんな行ってくれ。僕がなんとかする。僕ならなんとかできるかもしれない」


 皆を制したのはヘリットだった。彼の表情は固く、そして彼自身どこか達観したような静謐さを纏っていた。


「ヘリット、あなたどうしたの? 本当にヘロヘロ獏のヘリットなの?」


 確かにシュリンの言う通りいつもの彼ではない。この館で何かあったのか? 皆は彼の変貌に息をのむ。

 ヘリットは扉の前に行き、マイヤの肩に手を置いた。


「集中したいから、君も行ってくれ」

 

 ヘリットの目がマイヤの心の奥にまで突き刺さるような眼光を放つ。気圧されたようにうなずくとマイヤは扉から離れた。


「獏男も出て行って、外から支援してくれ。わかるだろ、お前が生きてないと渡れない」

「わかりました。絶対に死なないでくださいね」


 逡巡している暇はなかった。獏男が先導して塊の降り注ぐ館から出口に走る。続いて皆が走り出す。彼らに後ろを向いている暇は無かった。

 大きく揺れていた柱が悲鳴に似た音を上げながら一斉に傾いて行く。彼らはそれを間一髪ですり抜けながら出口にひた走った。

 最後尾のミホスが館から飛び出したその瞬間、盛大な土煙を上げて、館が崩壊した。



 まるで砂場をひっくり返した様に肩にかかる粉と瓦礫の粒。

 柱が折れて、天井が崩壊していく軋みが響き渡る。

 しかしヘリットが目をつぶると、彼の心をはちきれんばかりに満たしていた恐怖は一瞬にして遮断された。

 彼は心の奥に深く潜っていく。

 眠りの園へ。


 いつもとは勝手が違っていた。

 極彩色の虹達がグニャグニャとした曲線を描いて彼の周囲を飛び回る。

 かと思ったら、銀色の矢のような光が後方から前方に向かって幾筋もまっすぐに飛んでいく。その後には細かい銀色の粉が煌めきながら散らばり、ヘリットの視界をまばゆい光の洪水が遮った。


 触ると確実に痛そうな、棘の生えた鞭や、鋭いガラスの破片が辺りを跳ねる。

 そこには橋が無く、ヘリットはただその賑やかで物騒な空間に浮いていた。色彩の乱舞の中にひときわ豪華に輝く青い球体があった。

 それは、丸くなって四方八方に青い稲妻を発している龍だった。


「ライカ……」


 楽しそうに龍が唸ると様々な色や形が生み出される。見たこともない光沢のあるピンクやギラギラ光る緑、黄色、紫――、成長していく葉脈のような模様、雲のような、泉に落ちた雨だれの作る円弧のような、雪の結晶のような。めくるめく色と形の宴。音楽に酔いしれて我を忘れているライカの心に、思わずヘリットの心も持って行かれそうになる。


「ダメだ、ライカ。目を覚ませ」

 

 ヘリットは顔を振って自分を取り戻すと、蛙のように泳いで球体となった龍からなびく髭に取りつく。髭はうるさそうに、ヘリットを払いのけた。


「頼む、帰ろう」


 ヘリットは龍の上によじ登って、枝分かれした古木のようなゴツゴツとした角を持つ。龍の顔を、むりやり上方の淡い光の方に向ける。ヘリットの本能はあれが出口だと告げている。しかしヘリットがいくら声をかけても龍の身体は動こうとはしない。

 身体に揺れが伝わってきた。部屋に亀裂が入り、外界の白い光が射しこんでくる。

 もう、時間が無い。

 ヘリットが覚悟したその時。

 光の中から、二本のロープが降りてきた。


「お手伝いしましょう。ほどけないように龍の角に結んでください」


 綱の先から爽やかな声が降ってきた。


「落ち着いて。宿で習ったとおりにやれば大丈夫ですから」




 全身の力を使い果たし地べたに横座りをするシュリン。立ちすくむマイヤとミホス。

 彼らの目の前にすでに失われた記憶の館は無かった。

 気がつくと、彼らは『後の祭り亭』の前にたたずんでいたのである。

 獏男だけがここにはいないヘリット達を探すために、彼らとは少し離れて一人冥想していた。

 呆然とする彼らの前で、突然宿の扉が開いた。そこからよろよろと出てきたのは、白髪の主人だった。


「おお、無事で帰ってきたのか。ところでわしを呼んだのは、あんた達かい?」


 皆は首を横に振る。主人は四方を見回す。


「確かに、誰かに呼ばれたんだが――」

 

 突然、主人の言葉が途切れる。その目が一行の背後の一点に吸い付いて、目尻も裂けんばかりに大きく見開かれた。そして細かく震える唇を伝っていきなり大粒の涙がこぼれ落ちる。

 聖獣家の面々は主人の視線をたどり、振り返った。そこに浮かび上がっていたのは二人の青年の姿だった。


「親父、無事にお客様をお連れしたよ」

「身体に気をつけて、達者でな」

 

 二人は涙の止まらない主人に歩み寄りそっと抱擁すると、呆然と立ちすくむ主人に微笑んで消えていった。

 その後に、うっとりとした目で鼻歌を歌うライカと、それを支えて肩で息をするヘリットが現われた。


「良かった、ヘリットぉぉぉ」


 獏男がヘリットに抱きつく。


「すごいぞ、どうやったんだ」


 ミホスがヘリットの背中を叩きながら訪ねる。


「なみ外れた陶酔は眠りにも似ている。もしかして彼を連れて夢渡りができるかと思ってライカの心の中に入ってみたんだ。だけど案の定ライカが言うことを聞かなくて――この宿の息子さん達が獏男の渡してくれた橋にたどり着くまで手伝ってくれたんだ」


 ヘリットは主人の方を向く。


「きっとお二人はビアン・モーンの精霊になられたのでしょう」


 嗚咽を上げながら主人は何度もうなずく。そして、


「良かったな、良かったな、お前達も無事に帰れて。今日は盛大にお祝いだ」


 彼は一人一人を強く抱きしめると、押し込むようにして宿に連れて入っていった。

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