第32話 葬られた記憶の館(上)
皆に待っていろと目配せし、まずミホスが門から一歩を踏み出す。
中は白亜の宮殿だった。ファサードを入ってすぐに見える滑らかな白い壁と高い半円アーチの天井には、失われた過去のものだろうか古の技法を使った様々な絵が浮かんだり消えたりしている。柱は金や銀を使った豪奢な植物や生き物の装飾が施されて、キラキラと輝いている。しかしその装飾のモチーフはいずれも奇妙な姿であり、今では見ることもない古代の生き物のようだった。
灯りは見当たらないが、宮殿の中は柔らかな光で満たされている。
誰も攻撃してこないということを確認し、ミホスが皆に合図する。書物が並んだ図書館のような素っ気ない建物を想像していた彼らは、周囲の豪華さに目を奪われながらゆっくりと歩を進めた。
ファサードから前に進むと、左右両翼と真っ正面に進む廊下とに分かれていた。
「お、俺はこっちだ」
ミホスは左に曲がった廊下を指さして、突然首をかしげる。
「誰かが、俺に話しかけた」
「私は右に曲がった部屋から呼ばれたわ」
「俺も左らしいぜ」
皆は周囲をキョロキョロと見回すが、声の主の姿は見えない。
「私はシュリンと同じ方向、右の部屋のようですね。ヘリットは?」
「僕たちは、真っ正面に進んでください、って……」
彼らは頭の中への突然の呼びかけに戸惑いの余り立ち止まっている。
しびれをきらしたのか、彼らの頭上にまるで案内役のように光の玉が浮かび上がる。赤い玉はミホスをツンツンとつつくと自分に付いてこいとばかり彼の目の前で点滅した。
「お、俺は行ってみるぜ。ここまで来たんだからな、腹をくくらないと」
赤い玉についてミホスが左の廊下に歩き出す。青い玉とライカも続く。
桃色の玉について右に行くシュリン、その後を七色に光る玉とマイヤが追う。
そして、ヘリットを誘導したのは茶色の玉だった。
「わざわざ紋章の色を使ってくれるって事は、僕たちが誰かっていうことをこの館は知っているんだね」
ヘリットは獏男に話しかける。
だが、獏男は真っ青になってうなずくのが精一杯。
「どうしたんだ?」
その時光る玉が目の前で消え、代わりに金色で縁取りされた戸が現われた。そこには『獏家』と彫りつけてあった。
顔を見合わせる二人。
まるで誘うように、二人が手を触れる前に戸はひとりでに開いた。
「こ、これは何だっ」
ライカは目をキラキラさせて部屋の中に走り込む。
球形の部屋の半分には、見たこともない楽器が積み上げられており、手を触れるときらびやかな音を立てた。興奮したライカは次々に楽器を触る。心の中で願えば調べや音量は好きに変えられた。振り向けば、もう一方の壁は書架になっていて、黄ばんだ楽譜が一杯に入っている。手を取れば、譜は読めなくてもメロディーが本から流れ出てきた。音楽理論の本は、わからない字でも直接内容が頭に入ってくる。
ライカにとってまさに宝の山である。彼は自分の鼻息が聞こえるほど興奮していた。
彼は夢中になって演奏し、そして本をむさぼり読んだ。
どれくらいの時間が経ったであろう。ふと、彼は皆のことを思い出した。
「も、戻らなくては。それにしても、この楽器や本を持って帰りたいなあ」
「それは無理です。これは原始の源にあった過去から今までの記憶です。実体があるものではありませんから」
どこからか厳かな女性の声が聞こえてきた。最初、彼を案内してくれた声だった。
「そうか……」
皆のところにも戻らなくてはならない。しかし、彼はこの夢のような部屋から立ち去りたくはなかった。
「もう少し、もう少しだけ、この部屋の記憶を吸収したい」
彼は変身して自分の鱗を打ち振るわせて鳴らす。この部屋に並ぶ様々な楽器が合わせるかのように鳴った。髭がピンと張って鱗に触れると鋭く空気を震わせる金属的な音が部屋に満ちた。鳴動する情熱。陶酔する心。音と自分の魂の震えが重なって、高く高く昇っていく――――、ライカの正気はそこで途切れた。
シュリンが入ったのは、明るい茶色の部屋だった。一台の厚い本棚が無雑作に置かれており、そこには背表紙に平易な古語で『癒やしの術』と書いてある本が一冊だけ立っていた。
彼女が手に取ると、本がひとりでに開いてパラパラと頁がめくれた。開いた所には一角獣家の術に関する、意味や練習法が書かれていた。慣れない古語を夢中で読み進めるうちに、文字が揺らめくと真珠色に輝き彼女の額に光となって吸い込まれていった。
気がつくとシュリンの頭には、読んでいない部分も動く絵となって様々な鍛錬が記憶されていた。
「簡単ではないけど、努力するしかないわね」
シュリンは大きくうなずく。と、目の前に再び桃色の光が現われた。導かれるままに付いていくと、その部屋の奥にはもうひとつドアがあった。
シュリンが入っていった次の間は、淡い茶系の調度がしつらえてあるこぢんまりとした部屋であった。フリルの付いた小花柄のカーテンが付いた窓から漏れる光が部屋を優しい明るさで満たしている。窓際には刺繍の入ったクロスが掛けられた丸いテーブルが置いてあり、背もたれ付きの小さな椅子が2脚添えられていた。
テーブルの上には湯気の立つカップが置いてあり、あたりには甘い香りが漂っている。カップの傍らに置かれた小さな皿にはバラとスミレの砂糖菓子が数個のっていた。
登山中にシュリンが夢に見たすべてがそこにあった。
「おかけなさい、シュリンさん。ビアン・モーンではくじけずによく頑張りましたね。それはあなたのためのお茶ですよ。飲めば体力が回復します、遠慮なくお飲みなさい」
声に導かれるように窓際の席に座るシュリン。
手に取ったカップの温かさが両手に広がる。その温かさは喉を通って身体全体に染み渡った。砂糖菓子を口に含めば、花々の香気と頭の芯まで蕩かす甘さが疲れを忘れさせ、彼女の心を幸せでいっぱいにした。
ふと見ると、目の前に全身が白い曇りガラスの様に透けた長い髪の女性が座っていた。
「お疲れ様、シュリン。辛かったわね」
貴婦人は優しく微笑んだ。いつの間にか、シュリンは無骨な登山用の服ではなくて、赤色のサッシュベルトのついたピンクの服を纏っていた。
「奥方様、あなたはどなたですか?」
「あなたの問いを問うものです」
シュリンは大きく目を見開く。葬られた記憶の館、過去の叡智を集めたこの場所におられる精霊の方か――。
観念したかのようにシュリンはため息をつき、口を開いた。
「お察しの通りです。私は自分の持つ問いがわかりません。心の中でいつも答えを求める何かがもやもやと渦巻いているんですけど」
シュリンの気持ちがわかるのか、女性はそっとうなずく。促された気がしてシュリンは言葉を続ける。不思議なほど抵抗なく、心に閉じ込めていた思いが言葉に織られていった。
「私がいつも心の奥に葬ってきた、この苛立ちとか、焦りはなんなのでしょう。自分がどうすればいいのか、いろいろなことがよくわからなくなって……」
「言葉にはできないわよね、本当に辛いことは」
女性の言葉は、シュリンの胸の一番奥のところに染み入った。
透き通った緑の目からつうっ、と滴が陶器のような白い頬を伝わっていく。その涙は不思議と心地よく、それに導かれるように心の奥深くに閉じ込めた感情が言葉となって流れ出した。
「昔から女の子の友達ができませんでした。仲良くなっても皆すうっ、と離れていってしまうんです。一緒に居たくないって」
いつも横に居た友達から言われた言葉が頭の中に蘇る。『一緒に居ると疲れる』『あなたといると気を遣ってしまうの』『でしゃばりすぎない?』
確かに気の強いシュリンは押しが強く、はっきり物を言う性格だった。しかし女友達には強く当たらないようにできるだけ注意していたつもりだ。でも、時々出てしまう本音が彼女たちの気に障ったのかもしれない。
でも、一番衝撃を受けたのは、この言葉だった。
『シュリンって、いつも男の子に色目を使うよね』
シュリンはお洒落が好きだ。自分のこの体型も顔も気に入っている。自分をより美しく見せる事で何か力を得るような感じがして、鏡の前で数十分もポーズを取ることさえある。
だけど、ことさら男の子にそんな……。そんな気は無いけど、彼女たちにはそう見えていたのか。一角獣家は異性を誘う力がある。そんな噂もたって、思春期を迎えたシュリンは女の子の友達を作るのを止めた。
成人をするとシュリンに言い寄る男性が多くなった。
みなギラギラした目でシュリンに近づいてくる。恋人がいる男の子がシュリンに言い寄って来たことも一度や二度ではない。
『気が強いけど、一角獣家だけあって色気がすごい』『つやのある唇が誘ってる』『何よりもあの胸の形がたまらない』など、漏れ聞くシュリンを評する噂には聞くに堪えないものも多かった。
自分にそんなつもりはないシュリンは余計に腹がたった。そういう無礼な連中に対して、彼女は身分にかかわらず皆の前で罵倒したり、時には得意の剣技で屈服させる事もあった。『女のくせに』いつしか男性も彼女を遠巻きにするようになった。
疲れる。女として生きていくのに、シュリンは疲れ果てた。
だから、全く自分に興味を示さないヘリットに惹かれたのかもしれない。振り向かないヘリットを振り向かせることに夢中になってしまったのかも。名門獏家の名が手に入るという打算もあったが、本当は彼の淡泊なところに惹かれていた。
でも、古城のベッドの上で彼が血走った目で迫ってきたとき、一瞬にして気持ちが冷めてしまった。覚えてないふりをしたが、あれからチラチラ自分を見てくるヘリットの視線がうっとうしくてたまらない。
「私、どうやったら、男の人から勘違いされないようにできるのかしら。一角獣家の力かもしれないけど、知らないうちにぷんぷん匂う『女』をまき散らす自分がいやなの。もう『女』を止めてしまいたい。でも、心の中にはどうしようもなく『女』な自分もいるの」
半透明の女性はゆっくりとうなずいた。最初は若い女性に見えたが、今は老婆の顔に見える。女性は皺の寄った優しい目でシュリンに微笑んだ。
「嫌な目にあってきたんだねえ。心に棘が生えるくらい」
こんなことを他人に話したのは初めてだった。小刻みに震えているシュリンの左手を老婆の痩せた両の手がそっと包む。
「間違ってないよ、あんたの生き方は。変な目で見る方が悪いんだ。でも、それは生き物なら仕方ない部分でもあるのさ。普段は、ほとんどの男達が彼らなりに一生懸命理性でそういう衝動を押さえ込んでるんだよ」
それは、わかっている。わかっているんだけど……。
シュリンはうつむいて、唇を噛みしめる。
「毅然と生きればいいと思うわ。無理に仲間や友達を作ろうと焦らなくてもいい。ただまっすぐに生きていれば、いつか理解者が現われる。自分という力強い味方が、ね」
はっ、とした表情でシュリンは顔を上げて半透明の女性を見る。今見る彼女は、若い女性の姿で、顔は――自分自身だった。シュリンは目をしばたたかせる。
「あなたは、私……なの?」
「ええ、あなたが葬ってきた自分よ。あなたを誰よりも理解して、あなたが正視してこなかった問いの答えを持っている――」
「私、頑張っても、空回りして上手くいかないことが多くて。いつも疎んじられている気がして……皆が離れていく自分が大嫌いだった」
「孤独を恐れないで。そして、もっと好きになって欲しいわ、自分自身を。そうすれば人を受け入れる余裕ができる、まずはここからじゃない?」
「自分が好きになれるかしら。そして、こんな私を本当に好きになってくれる人がいるかしら、自信が無いわ」
「あなたなら大丈夫。自分を信じて」
半透明のシュリンはにっこりと笑った。
「世界は広いよ、そして狭いよ。一角獣家のシュリン、心を開いてみたら? きっと思いがけない出会いが待っているわ」
ミホスが入ったのは、天井の低い正方形の部屋であった。見渡す限り上も下も真っ白、そこは静謐で、ガランとした何もない部屋だった。彼が入るとパタンと軽い音を立てて戸が閉まる。
「ミホス、お前の願いは何だ」
天井から太い声が降り注ぐ。
「どうすれば、魔族をやっつけることができる? 聖獣家が揃うと大きな力が使えるのか? それに獏の力とは何だ。」
部屋中に低い笑い声が響き渡った。
「それは獅子王家が持つべき疑問ではない。他にはないのか」
それは聖獣家筆頭である獏家の者が聞くべき疑問という訳か。ミホスはうなずくと天井に向かって叫んだ。
「俺は獅子王家の力を使いこなして強くなるための方法を知りたいんだ」
天井から返事はなかった。
「ちぇっ、自分で努力しろってことかい。命をかけてここに来たのに、つまんねえ館――」
つぶやきが終わらないうちに、後ろから飛んで来た矢が彼の頬を横切った。振り返りざま、ミホスは引き抜いた剣で二の矢を両断する。
彼の目の前には甲冑に身を包んだ男が狙いを付けて弓を引き絞っていた。
ミホスは跳躍しながら獅子の頭に変身し、男に切りつける。男は弓と共に真っ二つになって消えていった。次に長い剣をもった古代の剣技を駆使する戦士が現われた。かなりの使い手だが、それでも武人として鍛え上げられたミホスの前では子供同然だった。
「ふん、こいつら俺をよくわかっているぜ。書物が苦手だから、直接鍛えてやろうって訳だな。だけどこの俺様を鍛えられる奴なんかそうそういないぜ」
次々に現われる様々な武器を持った男達。しかし、ミホスは彼らを難なく片付けていった。だが、切れ目無く続く攻撃に、さすがのミホスも肩で息をしはじめる。
容赦なく剣風が背後からミホスを襲った。床に倒れ込んで身体をかわし、相手の剣が床を切りつける間に背中に回って蹴り飛ばす。それは剣を持った人型の炎だった。再度切りかかってくる人型の炎を両断したミホスだが、その瞬間、炎は二つに分かれて左右からミホスに襲いかかってきた。跳躍し、片方の炎に切りつける、と炎はまた二つに分離。三体の敵がミホスを囲んだ。
「き、切れば切るほど、増えていく」
ミホスは三方から人型の炎に囲まれる。
「さあ、どうする?」
太い声が響いた。
「このままでは炎人(えんじん)達に切られてお終いだぞ。獅子の中でも選び抜かれた神格の獅子である獅子王の名を継ぐ戦士がこんなところで果ててしまうのか?」
ミホスが唇を噛む。
「ここにヘルートがいれば――」
勇敢な祖先である戦士グラマシャーンは、戦い方に行き詰まると獏家の若き当主ヘルートに相談していた。そのたびに賢者へルートはしばし目をつぶると、じっと瞑想して良い策を授けてくれた、らしい。
一行に賢者ヘルートが居れば……、ええい、なんであの頼りないヘリットなんだ。
「残念だなミホス、この場所で頼れるのは自分自身だけだ」
考えろ、ということか。
炎の剣士達が繰り出してくる一撃になんとか反応しながらミホスは必死で考える。
考える、考える、考える――。
しかし、三方から切りつけてくる剣に対処しながら考えるのは無理であった。
「うおりゃあああああっ」
頭の中を真っ白にしながら彼は剣をさばく。だが剣の切っ先が走るたびに炎人は際限なく増えていった。
「ええい、俺は頭が足りないから考えることが苦手なんだよっ」
ミホスは絶叫した。
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