第18話 フクロウの鳴く森
暗い森をただひたすら走った。
もう、息が上がって走れない、というところでヘリットは木々の隙間から漏れてくるかすかな月の光をたよりに草が柔らかそうな所に腰を下ろす。
耳を澄ましてみるが食事に夢中だった獏男が追ってくる気配は無い。
繋がっている、とか言っていたが案外離れるのは簡単だった、とヘリットは安堵のため息をつく。
あいつはのんびりしていて、職務にいいかげんで、自分さえ腹が満たされればとりあえずよし、というどうしようもない奴であるが、よくよく考えてみると、思い詰めてしまう質のヘリットにとって、ちょうどいい世の中との緩衝材でもあった。
闇の中でお腹が鳴く。
只でさえ食べるのが遅いのに、シュリンに付き添って部屋まで行ったおかげで、並べられていたご馳走もほとんど残してきた。空腹で朦朧とした彼の目の前にテーブルの上に乗っていたこんがりと焼けた山鳩のローストがちらつく。
生きていることからも逃げたいと思っているのに、何か食べたいという欲求がいやおうなく彼を突き動かした。
ヘリットは必死になって見つけた木の実を震える手でもぐ。鳥も食べ残すような実だ、味は推して知るべしだろう。だが彼はすでに固くなって深い皺が寄っている実を握りしめる。
あさましい、僕はまだ生きたいと思っているんだ。
知らず知らずのうちにこぼれ落ちた涙と共にかじりつくその実は、塩からかった。
ヘリットがいなくなったことに気がついたら、みな彼を追ってくるだろう。それまでにできるだけ距離を稼がないといけない。木の実を食べてから、彼は自己嫌悪を振り払うようにひたすら走って歩く、をくりかえす。
しかし、興奮の極地にあった彼にもついに睡魔が襲ってきた。
歩きながら、ガクリと意識を失う。
「おーい」
一瞬、夢の中で彼を呼ぶ声が聞こえた。
はっ、と目を覚まして周りを見回すヘリット。しかし目に入ってきたのは、細い月光に照らし出される木々のわずかな輪郭のみだった。
フォウ、フォフォッフォフォー
フクロウの声が響く。
「名前を呼ばれたかと思ったけど、鳥の声かなにかの聞き間違いか」
朝になったら、また食べ物探しをしないといけない。それに、水を飲めるところも。
森はいくつかに分かれている。その間に村があるはずであった。村にはきっと井戸の一つもあることだろう。優しい住人がいれば、野菜くずくらい恵んでくれるはずだ。
ヘリットの頭に、割れた人参やしなびた果物を両手に持ってかぶりつく自分が浮かぶ。
がしゅっ。脳裏に浮かぶ幻想なのに、喉に流れ込む人参ジュースのなんと甘いこと。片方の手に持っているのは表面がカラカラの柑橘、でも歯を立てると爽やかな香りとともにすっきりとした果汁がしたたり落ち、慌てて手でほほを拭う――。
「ヘリットっ」
はっ、と我に返るヘリット、疲れのあまり知らぬ間に夢の世界にいたらしい。
しかし次の瞬間、彼は前方に立つ細長い姿を見て息をのんだ。
漆黒の闇の中、それはギラリと輝く金色の大きな双眸だけが浮き出してじっとヘリットを見つめている。枝の間から一筋射しこむ月明かりに照らし出されたその輪郭は、忘れもしない優美な曲線。そして、長い指の先には、黒光りした鋭いかぎ爪が禍々しく光っていた。
「あ、あなたは……古城の女主人」
獲物を見つめる目でヘリットを見ると、メデラは邪気たっぷりに微笑んだ。
だまされた、彼女は魔族だ。ヘリットは慌てて踵を返すと元来た道に走り出す。
その姿を余裕たっぷりに見ていたメデラは、音も無く飛び上がる。と、瞬く間に人が両手を広げたほどに大きな黒い羽根を持つフクロウの姿になりヘリットに追いついた。真っ平らな顔に開いた金色の大きな目が不気味に光る。
がしっ、と背後から鋭いかぎ爪がヘリットの肩に食い込む。吹き出る血飛沫。
「わあああああああああっ」
痛みと恐怖でヘリットが大声で叫んだ途端、ふとかぎ爪の力が緩んだ。その隙に両手でフクロウの足を掴んでかぎ爪を外すと地面にたたき付ける。
「ヘリットっ」
彼の頭にはっきりと呼び声が聞こえた。
「寝てください」
次の瞬間。メデラは再び舞い上がると、彼の首を狙って鋭いかぎ爪を――。
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