3話 一次試験①
伯爵の引退宣言から三日後の朝。
山あいの冬の冷気が石造りの伯爵家を包み、吐く息が白くほどけた。薄霧の差し込む大窓の下、広間には張りつめた静けさが沈んでいる。
中央には対面式の長机が二つ、距離三歩。まるで決闘前の剣士のように向かい合い、空気までもが鋭く構えていた。
奥には審査官席。フロート伯爵は背筋を真っ直ぐに伸ばし、静かな眼差しで二人を見据える。隣の筆頭執事グラハムはいつもと変わらぬ穏やかな表情だが、組んだ指先だけが硬い。さらに王都からの査定文官が控え、場の重さに拍車をかけていた。
壁際には家臣団が整列し、ひそひそ声が飛び交う。
「レオン様が勝つのは確定でしょ」
「まあ儀式みたいなもんだな。跡継ぎ確認だ」
「次男坊……ちゃんと起きてるよな? 椅子から落ちたりしないよな?」
広間の九割は「レオン圧勝」の空気で染まっていた。
そしてそのレオンは――
熱を含んだ深紅の上衣は皺ひとつなく、背筋は刀身のように一直線。焦げ茶の髪は厳格に整えられ、横顔には静かな決意が宿っていた。
(今日ですぐに決める。俺が跡を継ぐべきだと証明し、この領地を正しく導く)
その意気込みは一挙手一投足に滲んでいた。
一方の――ルーメル。
「……椅子かたい……寒い……お腹……ぐるぐるしてる……」
背もたれにだらしなくもたれ、青い上衣を着崩して座る姿勢はまるで飽きた子供。まぶたは半分落ち、やる気は広間のどこを探しても見当たらない。家臣団の顔が一斉にひきつる。
「……だ、大丈夫かあれ。寝るぞ、絶対寝るぞ」
「期待するだけ無駄だったな」
その後ろに控えるミリア。金髪ショートを乱さぬよう完璧な姿勢で立つが――内心は大嵐だった。
(ルーメル様ぁぁ!! 「お腹痛いから負けました」だけは……絶対にやめてください……!!)
抱えた書類は、統計・補助資料・予測……十数冊。けれどミリアには薄々わかっていた。
(……これ、私が用意した緻密なデータ、一文字も使われない未来しか見えません……!)
そこへ、ルーメルがのんびりと振り返る。
「ミリア、この椅子ほんと硬い……座布団ない?」
(いま!? 試験開始の三分前にそれ言います!?)
ミリアの笑みは完璧だが、口元がぴくりと震えた。
「……ご用意が……できれば……よかったのですが……あいにく、持ち合わせがございません……」
「そっかー。じゃあ、我慢する。……あ、飴ある?」
(ありません!! そして私は動けません!!)
ミリアの心が崖っぷちから転がり落ちたところで、伯爵の重い声が響いた。
「それでは一次試験──『経営判断』を始める」
「本試験は、与えられた月ごとの『領内の問題』に対し、最適な経営判断を下す能力を測るものです。政策の妥当性、優先度、実行性――領主としての総合判断力が問われます」
グラハムの説明後、伯爵の鋭い声が響いた。
「では、始め!!」
◆一月目
試験官席の前で板札がぱたりと裏返る。
《例年より気温が低く、冬越しの備蓄不足の恐れ。薪の追加を求める村多数》
レオンは即座に、迷いなくペンを走らせた。
「市場価格を即座に調査。在庫分を適量支給。村ごとに上限を設け、無用な浪費を防ぐ」
家臣団が小さくどよめく。
「完璧だ。無秩序な配分を防ぐ、実務的な回答だ」
一方、ルーメルは札を見て、ぽつりとこぼした。
「うわぁ……寒いのつらいよね……わかる……」
(状況説明はいりませんルーメル様ぁ!)
ミリアの胃がぎゅっと痛む。だが、彼が書いた内容は驚くべきものだった。
「薪を追加支給。特に高齢者家庭を優先し、体力低下による凍死を未然に防ぐ。火災予防の巡回もセットで」
査定文官が眉をひそめ、次いでわずかに頷いた。
(優先順位の付け方が、単なる数値管理ではなく『人命保護』に直結している……。合理的だ)
家臣団からも、先ほどとは違う戸惑いを含んだ低いざわめきが漏れる。
「……弟君、普通に良い案じゃないか?」
「偶然か? いや、しかし……」
(偶然じゃありません!! 「やればできる子」なんです!!)
ミリアの書類を持つ拳がぶるぶる震えた。
◆三月目
《旅商人による買い占めで物資高騰》
レオンは隙なくペンを走らせる。
「関税を一時的に強化し、市場監査を実施。不当な利益を得た商人は追放する」
これ以上ないほど模範的な武人の回答。だが、ルーメルは少し考え、
「……直接話せばいいんじゃないかなぁ。怒る前にさ」
ミリアが内心でひっくり返る。だが、記された内容は――。
「旅商人ギルドに書簡を送り、将来の安定取引を条件に適正価格を要求。村の負担削減を最優先とし、ギルド側の体面も守る」
家臣団が静まり返る。そこへ、王都からの査定文官が、感情を削ぎ落とした声で口を開いた。
「……一点、確認したい」
視線が、書面からルーメルへと向けられた。
「次男殿の案は、確かに理にかなっている。だが、その『将来の安定取引』が成立しなかった場合、誰が、どう責任を負う?」
広間の空気が、急速に凍りつく。
「商人ギルドは善意で動く組織ではない。交渉が決裂すれば、物資はさらに絞られる。理想論には危うさが伴うが?」
家臣団が息を呑む。ルーメルは一瞬だけ考え、不思議そうに首を傾げた。
「んー……その場合は……」
少し間を置き、さらりと言う。
「……別の人に頼むかな。商人がだめなら、村同士で融通してもらうか、最悪――伯爵家が一時的に損をかぶろうよ」
広間が、静まり返った。
「損をかぶる、だと?」
「うん。だって領主なんだし。寒さや高騰で人が死ぬよりは、そのほうが、あとで立て直せると思うしね」
あまりに自然な答え。査定文官は初めてペンを止め、ルーメルを凝視したあと、紙に何かを書き足した。
「……承知した。続けましょう」
◆四月目〜六月目
【四月目】
《村同士の水源争いで治安悪化》
レオンが「兵による警備強化」を唱える中、ルーメルは「中立地帯に共同井戸を掘る」という長期的な根本対策を提示した。
【五月目】
《山道が土砂崩落で交易停滞》
レオンが「修繕班の派遣」を書き、ルーメルは「地元の職人を税控除で雇い、迅速に復旧させる」という地元連携案を出した。
【六月目】
《村祭りの資金難で内紛》
レオンが「規模縮小」と断じたのに対し、ルーメルは「住民参加型への転換と寄付による資金補完」を提案。
家臣団はすでに騒然となっていた。
「……弟の方が……祭りの運営も、村の心理も掴んでいる……?」
「いや何だこれ……どっちが長男なんだ……?」
レオンの胸に、初めて明確な焦りが灯る。
一方のルーメルは、ゆっくりとした筆致で書き続けながら、
(……ふぁ……あと何ヶ月……? おしり痛い……)
ミリア。
(そこなんですかぁぁぁ!! 集中してくださいルーメル様ぁぁ!!)
だが同時に、彼女の胸の奥は熱くなっていた。
ミリアが準備した膨大なデータ。それをルーメルは、今日一つも見ていないかもしれない。だが、彼が導き出す答えは、彼女が「最高の結果」として予測していたラインを、軽々と越えていく。
(全部……全部的確……ルーメル様は……やっぱり……)
家臣団の視線が変わっていく。嘲笑は驚愕へ、驚愕は期待へと。
レオンの拳が、机の上で震えていた。
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最強秘書は今日も愛が重い。 ~有能秘書と魔族少女に想われる新米伯爵の勘違い領地運営~ くぴやん @qupi-yan
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