第1章第11話 薬草っていい匂い

昼下がりの光が、庭に淡く降りていた。


蓮華が干した布団を揺らしながら言う。


「今日は薬草を洗っておきたいの。

蓮、桶と水をお願いね」


「はーい!」


蓮はぴょんと跳ねながら、庭の隅の井戸へ走った。

つばきはその様子を、戸口に座って眺めていた。


(……薬草……

さっきみたいに……おてつだい……できるかな……)


胸の中が、そわそわとあたたかくなる。

でも同時に――胸の奥で何かが重く揺れた。


ほんの一瞬だけ、視界がふらりと傾く。


(……あれ……?)


つばきは慌てて膝に手をつき、

その場に座り込んだ。


痛みではない。

気持ち悪さでもない。

ただ、体が動き出す前に、

どこかの糸が緩んだみたいに力が抜けた。


(……ねむい……?

……ちがう……なんか……へん……)


でも、ほんの一瞬だった。


蓮が桶を引きずりながら戻ってくる音が聞こえ、

つばきは慌てて立ち上がる。


蓮華はつばきのふらつきを見ていない。

ただ自然に声をかけた。


「つばきちゃんも、一緒にやってみる?」


つばきはこくりとうなずく。


(……だいじょうぶ……できる……)


そう思いたかった。



桶の前に座り、

蓮が嬉しそうに薬草を差し出す。


「これね、“ほうこう草”。

すりつぶすと、すっごくいい匂いするんだよ!」


蓮の説明は、いつも風みたいに軽い。

聞いているだけで気持ちがほぐれる。


つばきは桶の水に手を入れ、

薬草をそっと揺らした。


水面がひんやりしていて、

触れていると少しほっとする。

ふわっと香る匂いも心地よかった。


(……つめたい……きもちいい……)


蓮が隣で薬草を洗いながら話しかける。


「つばきちゃん、ぼくさ……

お姉ちゃんのお手伝いしてくれるの、すっごく嬉しいんだ」


つばきは驚いて手を止める。


蓮は真剣なまま続けた。


「ひとりより、ふたりの方が楽しいし……

だれかが“やりたい”って思ってくれるのって……なんか、いいよね!」


その言葉が胸の奥にぽたりと落ちた。


(……私のお手伝い……喜んでもらえてる……)


お昼ご飯の菜葉ちぎり。

今の薬草。

そして蓮や蓮華の横に座る時間。


全部、

“やらされている”のではなく、

“自分からしたかった”。


知らない間に、そんな気持ちが生まれていた。


つばきは少し恥ずかしそうに、

でも確かに小さく笑った。


蓮はそれを見て、目を輝かせる。


「また笑った!!

えへへ……なんか、いいね!」





そのとき。


――ふらっ。


つばきの視界が、再びかすかに揺れる。


桶の水がぐらりとゆれ、

指先から薬草がすべり落ちた。


(……また……?)


蓮が気づく。


「あっ!つばきちゃん、大丈夫?」


つばきは慌てて首を横に振る。


「……だ、いじょうぶ……」


本当は、少し息が早い。

胸がぎゅっと締まるような感覚もある。


でも、蓮に心配をかけたくなくて、

つばきは必死に笑おうとした。


蓮はそれに気づかないまま嬉しそうに頷く。


「じゃあ、つぎの薬草もあらお!」


蓮華は少し離れたところで洗濯物を干していて、

つばきの小さな異変にはまだ気づいていない。


つばきは薬草を手に取りながら、

自分の胸元へそっと触れた。


鈴が静かに揺れている。


り……ん。


音は普段どおりなのに、

胸の中に落ちる響きが少しだけ違って聞こえた。


(……なんだろう……

なんか……へん……)


わからない。

でも怖さではない。

痛みでもない。

ただ――


“どこかがずれていく兆し”


そんな気配だけが、

静かに、ゆっくり、忍び寄っていた。


つばきは気づかぬまま、

薬草を洗い続けていた。


その小さな違和感は、

なんなのか、幼いつばきにはまだ分かりようがなかった。

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