第1章第9話 一緒に食べる朝ごはん

あれから1ヶ月が経ち、この家を自分の家だと錯覚するほどに

この家での暮らしはつばきにとって安心するものとなっていた。

朝の光が、部屋の隅で柔らかく揺れていた。

昨日は気づいたら眠ってしまっていたらしい。

蓮華が鍋をかき混ぜる音が、かちゃん……と静かに響いている。


つばきは布団からそっと顔を出し、

昨日より少しだけ軽い足取りで部屋を出た。


蓮華が気配に気づいて、優しく声を落とす。


「おはよう。……よく眠れた?」


つばきは小さく頷く。

耳がふわりと揺れた。


蓮が炊き立てのお粥を持ってくる。


「つばきちゃん! これ、あったかいよ!」


つばきは微笑んで受け取った。

前まではこんな少しのことにも驚いていたなぁと思うと

自分でも自分の変化に驚いていた。

蓮は受け取ってくれたことに驚き目をぱちぱちした後

「ゆっくりでいいよ……!」と言った。


つばきは湯気を嗅ぎ、そっとさじに手を伸ばす。

「……ありがとう。」

小さな声で、しかしはっきりと伝えた。


ひと口。

胸の奥にやわらかな温度が広がっていく。


「前よりも、ずっと落ち着いて食べられてるわね」


蓮はニコニコしながら自分の皿に手を伸ばした。


つばきは耳をぺたんと倒し、

小さくつぶやいた。


「……おいしい……」


その一言に、蓮は跳ねるように喜び、

蓮華の目にも驚きと安堵が混じった光が浮かんだ。


朝食を終えると、蓮華は後片づけを始めた。

蓮は外で木の枝を集めている。


つばきは、戸口の近くにちょこんと座ったまま、

両手を膝の前でぎゅっと握っていた。


胸の内がそわそわしている。

喉の奥に、言いたいのに言えないものがつかえている。


(……たべもの、もらって……

ねるところもあって……

わたし……なにも……してない……)


蓮華は洗い物を終え、ふとつばきの方を見る。

けれど近づいてはこない。


必要がなければ干渉しない、

その優しさが胸にしみていく。


つばきは両手をそっと握りしめ、

勇気を集めるように息を吸った。


「……あの……」


蓮華は動きを止める。

つばきが“自分から話す”のを、ただ静かに待った。


つばきの耳が震え、

尻尾がぎゅっと体に巻きつく。


でも――逃げなかった。


「……わ、わたしも……なにか……できる、こと、ありますか?……」


言葉にした瞬間、

つばきの肩がほんの少し震えた。


蓮華は驚いたように目を見開いたが、

次の瞬間にはゆっくり微笑みを浮かべた。


「……ありがとう。

そう思ってくれただけで、十分よ」


“母性”ではない。

“守るべき弱者”としてでもない。


つばきを、一人の存在として尊重する声。


蓮が外から走り込んでくる。


「ぼくも手伝う!

ねえねえ、いっしょにやろうよ!」


つばきは驚いて目を丸くしたが、

蓮の無邪気な笑顔につられ、

ふっ……と小さく笑った。


本当に、小さな笑み。

けれど確かな笑み。


耳がゆるりと倒れ、

尻尾の先が静かに揺れる。


胸元の鈴がふるえて、

ちりん……と淡く鳴いた。


世界に触れたつばきの小さな勇気を、

鈴の音がそっと肯定した。

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