第3話

 そこからはひたすらに歩いた。

 歩いている間にカペルがたびたび何かを言っていたが、私は途中から気に留めるのをやめた。

 ただ、その事により少しの収穫はあった。

 私たちが歩いている間にはやはりと言っていいのだろうか、人や動物の姿を見ることはなく、車の駆動音や踏切の音、あまつさえ鳥の囀りすら耳にすることはなかった。

 つまり、彼女の言い分は正しかったというわけだ。

 無言のまま空を仰ぐと黄昏時を迎え、一日の終わりへ向かおうとしている。

 そんな時、カペルが一言言葉を放つ。

「綺麗な飴色よね。青い空がだんだんと反転していって、最後には黒に染まる。終末の前にはちょうどいい天気で本当に良かったわ」

「終末……?」

 華やかな彼女から出るとは思えないその相反した言葉に疑問を覚える。

 確かにこの街の有様は言ってしまえば終末のように見えるが、彼女が言葉にした「終末の前には」という言葉が少し引っかかる。

 はぐらかされるかもしれないが、思い切ってその言葉の真意を聞こうと思った時、私たちは目的の場所へ辿り着いた。

 地上六百三十四メートル、この場所で一番高い建物、東京スカイツリーに。

「さ、行きましょう。ゆっくりしていたら夜が過ぎちゃうわ」

「待て、エレベーターは止まっているだろうし……、まさか歩いて上に上がろうなんていうのか?」

「ええ、そのつもりだったけど?」

 唖然とした顔の私なんて気にもせず、カペルは建物の中に入ろうとする。

 私はそれを阻止するように、彼女の腕を掴んだ。

「待ってくれ、一度休憩させてほしい。朝に君にもらったパン以外何も食べていないんだ。さすがにこのままじゃ体が持たない」

「あー……、そういえばお昼を食べていなかったわね」

「それじゃあ……」と言いながらまたもや彼女は腕に掛けたバゲットから何かを取り出す。

「はい、今度はこれ、どうぞ」

「あ、ああ。ありがとう」

 そう言って取り出されたのは丸くて艶のある、中央に黒ごまが乗っていたあんぱんだった。

 またパンか。なんて思ったけど、そもそも食べられるものがあるかもわからないので素直に口にする。

 四分の一程度にちぎり、口に含むと、口当たりのいい柔らかい食感とあんこの程よい甘さが舌を通じて体に染みる。

「日本を象徴する場所で、日本生まれのパンを食べるなんて、すごくいいわよね」

「……」

 カペルの与太話を小耳に挟みながら、ちまちまとあんぱんを食べる。

 実際、あんぱんを渡してくれたのはありがたい。

 ここから彼女が言うように、スカイツリーを本気で頂上まで登るというのなら、二千段近くあると言われる階段を登らなければいけないのだから。

 高く聳えた目の前の建物を見る。

 まるで天にも届きそうなこの建物の先でカペルが何を話すのか。

 冷たい風が吹く。

 茜色の空はだんだんと暗くなって行き、太陽が身を潜めようとしている。

 不安か、期待か。胸の鼓動が高鳴り続けるまま、私は彼女と再び歩み出した。

「さあ、行きましょうか」

 彼女からもらったパンを食べ、水を飲んだ後、私たちは建物の中に入る。

 エントランスに入ると外から照らされるように、橙色の光が室内に反射していた。

 そして昨日まで稼働していた店や何かイベントが催されていたのか、ポスターが張り巡らされている。

 内装は比較的、というよりも一切散らかっておらず、まるでこの場所だけ何事もなかったかのような有様だ。

 その光景はまるで時間が止まったかのようにすら思えてしまう。

「少し登る前にあたりを見てもいいか」

「んー、何か気になることでもあったのかしら?」

「まあ、少し、な」

 一度カペルと別れ、エントランスを一通り歩いてみる。

 あたりを散策していると不思議に思うと同時に、ある一つの疑問が頭に浮かんだ。

 ひび割れた地面に倒壊した建物。そして硝煙の匂いが意味することからすると、大規模な地震や火事などがあったはずだと見て取れる。

 しかし、だ。

 ここまで明らかな災害が起きているのに、なぜ人の死体がひとつもない?

 今考えてみれば人、ましてや生き物に会うことがない、なんてことはどんな惨状になったとしてもあり得ないはずだ。

 それこそ大地が割れ、その隙間にすべての生物が落ちていったなどない限り……

 募る不安に頭を悩ませるが一度頭を振り、踵を返す。

 考えても無駄だ。

 だって、登り続けた先に真実はあるのだから。

「あら、もう良いのかしら?」

「ああ、大丈夫だ」

「そう」

 そう言った彼女は通常時に使われるであろうエスカレーターではなく、見慣れない通路をそのまま進んで行く。

 彼女の後に続くと、それは見えてきた。

「これは……」

「関係者以外立ち入り禁止」と書かれているその扉は、金属製で無骨な作りになっており、今まで飾っていた明るい雰囲気には似つかない。

「さ、行くわよ」

 ギィィィ。

 ゆっくりと取っ手を回し、重厚な扉を押すと鈍い音が鳴った後、冷たい空気と共にその先が映し出される。

 狭く薄暗いコンクリートの通路が螺旋状に天へと伸び、壁には所々に非常灯の小さな光が点々と揺れている。

 足元は鉄製の階段で、踏むたびに低い金属音が響き、まるで外界と関わりが断たれたようにすら思えた。

「なんでここだけ電気がついてるんだ。ってのはさすがに聞かない方がいいのか?」

「そうね、そんなこと今は気に留めるだけ無駄だと思うわ」

 無駄話をしながら私たちはひたすらに同じ景色の続く、永遠とも思えるほどに長い階段を上へ上へと登り始めた。

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