第5話 祭りと静寂

 お祭りの日です。

 大きな神輿の威勢の良い声と小さな神輿の大きく可愛い声が聞こえてきます。

 葉を落とし始めた三本の桜の木が、風に揺れて掛け声と一緒に踊っているようです。


 街の人達は皆、お祭りに夢中。稲荷神社から反対側にある喫茶店は、閑古鳥が鳴いています。


 それでも、店主はいつもの時間に起きてきます。

 普段通りに準備をして、普段通りの開店時間です。

 仕込みの量は今日は少し控え目です。


 お客様はいなくとも店主は忙しそうに働きます。

 お店の中をすみずみまで、お掃除してから桜の木の落ち葉を掃き掃除します。

 そして、またお店の中をお掃除です。

 そのテーブルを拭くのは何度目ですか?


 隙間だらけになった桜の葉っぱの間から溢れる陽射しがテーブルを更に磨きあげているようです。


 お客様のいない、静かな喫茶店の時間はゆっくりと流れていきます。

 店主がふと時計を見上げるとまだ午前十時半。

 

「ちょっとひと息入れましょう」


 決して聞こえることはないけれど、私は店主にご提案しました。


 店主は窓際の陽当りが一番気持ちいいテーブルにコップ一杯のお水と一緒に席に座りました。


 もしかして、聞こえたのかしら?


 店主とお陽さまがピカピカに磨きあげたテーブル。

 目の前の座席、失礼します。

 店主は緩めの暖房とお掃除で少し汗ばんだ体を冷たいお水で冷ましています。


「ご苦労さま。ありがとうございます」


 私とコップのお水が店主をねぎらいます。


 店主は半分ほどお水を飲んだ後、綺麗にお掃除された店内を見渡しました。

 あまり飾り気のない店内。いつもピカピカに磨きあげられたテーブルと三本の桜の木が作る優しい陽射しと涼やかな木陰が自慢の喫茶店です。

 店主は満足気な顔で残り半分のお水を飲み干しました。


 チリーン。

 静かな店内に扉に取り付けた呼び鈴の音がしました。壁に掛けた日めくりカレンダーがびっくりしたのか少し揺れています。

 けれども扉は開きません。こんな時は風のいたずらか妖かしのご来店です。


 祭りを抜け出して喫茶店まで遊びに来た稲荷神社の仔狐さんたちです。

 お祭りのお誘い。

 仔狐さんたちは私のスカートの端を咥えて店の外へ連れ出したいようです。


「ごめんなさい。仔狐さん、私はここで十分お祭りを楽しんでますよ」


 仔狐さんたちは首をかしげて、しばらくしてから理解したのかしないのか、可愛らしいしっぽを元気いっぱいに振って楽しそうにお祭りに帰っていきました。


 仔狐さんたちの退店を見届けたのでしょうか、店主はキッチンに立ちます。ちょっとばかり遅めの朝食です。

 厚切りのトーストにサラダ、それと玉子焼き。目玉焼きではなく玉子焼きです。オムレツやスクランブルエッグでもありません。

 お醤油が良く合う玉子焼きです。

 これが当店、人気のモーニングセットです。

 今日はそれにもう一品じゃがいものポタージュを付けていただくようです。

 

 店主は食事を終えても食器を片付けようとはしませんでした。

 三本の桜の木を静かに見詰めて、しばらくすると誰もいない店内を見詰める。外から聞こえる掛け声に会わせて指でリズムをとります。

 私は向かいの席でそれをじっと見ています。

 まるで遠い昔に戻ったようなゆったりとした懐かしくて暖かな時間。

 店主は大分、歳をとってしまったけど。


 午後三時。遂に観念したのか、店主は入口のノブに準備中のフダをかけました。


 カウンターの中で何やらノートとにらめっこしてます。

 ノートにはこれまで試したコーヒーのブレンドやメニューのレシピがびっしりと書き込まれています。

 豆を挽いて、ドリップして。

 どうやら今日は特製ブレンドコーヒーの試作をするようです。

 味見をしてはため息をついたり難しい顔をしたり笑ったり。

 今日くらいはもっとゆっくりすれば良いのに……

 昔からこの子は生真面目に過ぎます。


 やっと、気に入るブレンドが出来たのか、出来上がったコーヒーをふたつカップに注ぎます。

 小さなカップと大きなカップ。

 大きなカップはお店で一番古いカップです。

 唯一、私を知ってるカップ。


 大きなカップはカウンターに飾られたお花の前にそっと運ばれました。

 きっと私の為に入れられたコーヒーです。


 店主は小さなカップでゆっくりと味と香りを楽しんでいます。

 私はカップとコーヒーの影を手に取り、先ずは香りを楽しみます。

 一口、味を楽しんだ後は少しお行儀が悪いかも知れませんがグイグイと飲み干していきます。

「美味しい!」口から感想がこぼれます。

 とても優しくて暖かな味と香り、思わず成仏してしまいそうなくらい。


 コーヒーの影が飲み干されたころ。

 店主はそっと大きなカップを手に取り片付け始めました。

 手に取る瞬間、ふと顔をあげて優しく微笑んでいました。

 一瞬だけど目が合った気がしました。

 おそらく気のせい。


 「ごちそうさま。美味しかったよ」


 思わずそう告げてから微笑みを返しました。

 一方通行の微笑み返し。


 三本の桜の木だけが見ていた喫茶店の一日です。


 


 


 

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夜の喫茶店 〜誰からも気づかれない物語〜 あるふみ @masahiko7

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