第4話 闇
それは少し昔のこと。
容赦のない冷たい風が街角の小さな喫茶店に吹きつけています。三本の桜の木は、もしも動けるならお互いに身を寄せ合いたいだろうと思わせるほどでした。枝と幹だけで寒空にさらされています。
三本の桜の木と喫茶店はどんなお客様でも迎え入れます。
真夜中の喫茶店は今日も静かで賑やかな時間です。時計の針の音とカタカタと風が窓を揺らすリズムと人には聞こえることのない妖かしや幽霊たちのささやきが響いています。
チリーンと静かに呼び鈴の音、静かに扉を開きお店の温度と灯りを冷ましていきます。暗い闇を背負ったお客様です。闇の正体は強過ぎる恨みや執着。怨霊です。
幽霊たちは少しざわめきましたが直ぐに普段通りに談笑を続けています。妖かしは特に珍しいものではない様子です。ただ仔狐さんたちだけは少し怯えながらも好奇心を抑えきれずテーブルの影から観察していました。
妖かしも幽霊も多少お節介なところはありますが、人間同士の恨みや因縁には干渉しません。強く関われば容易く垣根を越えてしまうから、これが妖かしたちのルールでした。
怨霊のまるで冷たく重い鎖を引きずるような足取りで一番奥のテーブルに静かにつきました。
何も無い空間を見つめ続けて声を出さずに独り言を呟き続けていました。
「こちらがメニューです」
「特製ブレンドコーヒーと旬の魚介が美味しい日替わりパスタがおすすめですよ」
他のお客様同様、笑顔の接客でメニューとお水をお渡ししますが怨霊は無言です。視線をこちらに向けてくださることもありません。ただ静かに座り続けてご注文はありませんでした。
夜明け前。朝の六時前、房子さんと早苗さんがご来店いたしました。二人は店内を見渡し空いてる席を探します。二人は躊躇する様子も見せずに怨霊の前に座りました。
普段通りの世間話や噂話に花を咲かしています。房子さんたちも怨霊も互いの存在を気にする様子はありませんでした。
日が昇り始める頃、妖かしたちの時間の終わり、店内は私と房子さん、早苗さんだけを残して昼間の時間に備えていました。
翌日も怨霊は来店しました。昨日と同じ席について、何も注文はありません。
昨日と同じく房子さんと早苗さんは戸惑いも躊躇もなく相席しました。
「それって変よね。そう思わない?」
なぜか、怨霊に同意を求めています。が、怨霊は返事や相槌を打つ様子もありません。
房子さんはそれがないことを気にする素振りもそれを待つ様子なく早苗さんとの会話に戻ってしまいました。
そんな日を重ねるうちに怨霊の闇が少しづつほどけていくように見えました。ほどけるたびにお店の気温も戻っていくようです。時折りご来店なされない日もありました。そしてまた、ご来店なされますと闇が少し強く濃くなっておられます。
それでもこのままご来店して下されば、そんな期待は胸の中にしまっておくことにします。
たとえ何も無い闇の中にも微かな変化は存在します。少しづつだけど闇は薄まり続けて、仔狐さんが時折り鼻先を怨霊へ近づけたりするとそっと手を伸ばそうとしたり微かに表情が柔らかく見えることもしばしばあります。
けれども、怨霊は言葉を発する事も無く、ご注文される事もありませんでした。
ある日を境に怨霊の姿が消えました。それでも夜の喫茶店は普段と変わらずに営業いたしております。もう少しだけでも闇がほどけて欲しかったし、コーヒーを味わっていただきたかったです。
一月程が経ちました。喫茶店の扉の前に怨霊の姿があります。以前よりも暗くて哀しい闇をまとっています。より濃く、振りほどけ無くなってしまった闇です。暗闇の中、赤く染まった手だけがやけにしっかりと目に焼き付きました。
ただ、何となく分かったのは達成してはいけない目的を達してしまったであろう事。
怨霊はずっと立ちすくしたまま、店に入る様子はありません。夜の喫茶店は入店を拒みませんが誘い入れる事もありません。
ただ、いつか少しだけでもあなたの闇が晴れるなら、是非コーヒーを一杯。
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