3
朝起きると、目が痛い。異物感があった。顔を洗う。ましにはなった。
しかし、コンタクトレンズを装置しようとすると、異物感がひどくなった。荒瀬のように、特殊機能付きコンタクトレンズが使用できないのは、かなり問題だった。日常生活は送れるだろうが、私の補助だけでは仕事の質が保てない、荒瀬はおそらくそう考えている。
荒瀬は仕方がなくメガネを使う。異物案件は目視が出来なければ意味がない。顕微鏡という道具があっても、レンズの向こうを覗かなければ、何もできないのだ。
「いくらあんたがいても、こんなでは、ちょっとヤバイな……」
荒瀬は私に向けたような言葉をつぶやいた。
午後を休みにして眼科に行った方がいいかもしれない、と荒瀬は言った。
「おかしいな。アプリが死んでる」
メーキャップアプリが動作しないらしい。アップデートしようにも、アプリストアに出てこないと言う。
何年も前に買った化粧品を駆使して申し訳程度のメーキャップをする。ファンデーションの乗りが異様に悪いと愚痴をこぼす。箪笥の肥やしだったこのファンデはさすがに品質が古すぎるか、それとも疲れが肌質に表れているのだろうか、やはり午後半休にしよう、眼科に行って、あとは家でゆっくりしよう、などと独りで話し続けた。
出社するなりロッカールームで同僚と鉢合わせた。
「こんな時に悪いんだけどさ、午後休むわ」
荒瀬がそう告げると、相手がしかめ面をする。
「ほんと、ごめん」
頭を下げた。
昨日だけで、異物混入トラブルが数件発生していた。異物は相変わらず皮膚片のようだった。防護服が導入され一時は改善したのだが、その後再発し、むしろ悪化している。
よりによってこういう日に、まあそういうものだろう、悪いことっていうのは重なるものだと、荒瀬と同僚が会話を交わす。
「ところで今朝、『メイク☆カワイイ』使えなかったんだけど」
「ほんとに? 『キレイ魔女Bi』もだめだったよ」
「一斉にダウンしたってこと? へんなの」
メーキャップアプリが使えないのは荒瀬だけではなかったらしい。二人で首をかしげた。それから互いの、アプリによるオートメイクではなく、手指で行ったメイクを称えあった。
荒瀬は他の同僚たちにも断りを入れて、上司に休みを申告した。
午後の診療受付開始から一時間ほど経った頃に受診する。眼科は、混んでいた。風邪の流行期の内科や、花粉症の時期の耳鼻科に匹敵する待ち時間を、受付で告げられる。
待合室の人混みの中、壁際に並ぶ列で荒瀬は、見知った顔を見つけた。
「石川さん」
「おや。荒瀬さん」
「お疲れ様です」
「お疲れっす」
製造部の石川班長だった。今週は早番なのだろう。勤務を終えて眼科に来たのに違いない。
「めちゃくちゃ混んでますね」
「みんな、目が痛いみたいだ」
「え。そうなんですか」
「隣の人の問診票が見えちゃった。あとは、受付でいきなり『目が痛い』って話し始める爺さんとか、たくさんいるからな」
石川班長の軽口に、荒瀬がふふっと笑う。
「私もまあ同じなんですけど。コンタクトレンズがはめられなくて」
「君にとっては死活問題だね。その、補強されているとはいえ、やっぱりレンズは必要なんだろう?」
荒瀬の職場の人間は、荒瀬の弱視の件を把握している。そしてそれらを補う役目を持つ私、つまり寄生型AIの存在のことも、承知している。
「まあそうですね。ただでさえ視力に難があるので、困ったものです」
「俺もまあ、目の異物感で来たんだけど」
「本当ですか? 流行ってますかね?」
「眼の病気がか? でも、あまり聞かないよなあ……」
ほんとですね、困ったね、と二人は小さく笑った。
二時間近く待ち、荒瀬はようやく名前を呼ばれた。医者からは、眼球に小さな傷がついていると言われ、目薬を処方された。診察は、五分で終了した。
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