朝起きると、目が痛い。異物感があった。顔を洗う。ましにはなった。

 しかし、コンタクトレンズを装置しようとすると、異物感がひどくなった。荒瀬のように、特殊機能付きコンタクトレンズが使用できないのは、かなり問題だった。日常生活は送れるだろうが、私の補助だけでは仕事の質が保てない、荒瀬はおそらくそう考えている。

 荒瀬は仕方がなくメガネを使う。異物案件は目視が出来なければ意味がない。顕微鏡という道具があっても、レンズの向こうを覗かなければ、何もできないのだ。

「いくらあんたがいても、こんなでは、ちょっとヤバイな……」

 荒瀬は私に向けたような言葉をつぶやいた。

 午後を休みにして眼科に行った方がいいかもしれない、と荒瀬は言った。

「おかしいな。アプリが死んでる」

 メーキャップアプリが動作しないらしい。アップデートしようにも、アプリストアに出てこないと言う。

 何年も前に買った化粧品を駆使して申し訳程度のメーキャップをする。ファンデーションの乗りが異様に悪いと愚痴をこぼす。箪笥の肥やしだったこのファンデはさすがに品質が古すぎるか、それとも疲れが肌質に表れているのだろうか、やはり午後半休にしよう、眼科に行って、あとは家でゆっくりしよう、などと独りで話し続けた。

 出社するなりロッカールームで同僚と鉢合わせた。

「こんな時に悪いんだけどさ、午後休むわ」

 荒瀬がそう告げると、相手がしかめ面をする。

「ほんと、ごめん」

 頭を下げた。

 昨日だけで、異物混入トラブルが数件発生していた。異物は相変わらず皮膚片のようだった。防護服が導入され一時は改善したのだが、その後再発し、むしろ悪化している。

 よりによってこういう日に、まあそういうものだろう、悪いことっていうのは重なるものだと、荒瀬と同僚が会話を交わす。

「ところで今朝、『メイク☆カワイイ』使えなかったんだけど」

「ほんとに? 『キレイ魔女Bi』もだめだったよ」

「一斉にダウンしたってこと? へんなの」

 メーキャップアプリが使えないのは荒瀬だけではなかったらしい。二人で首をかしげた。それから互いの、アプリによるオートメイクではなく、手指で行ったメイクを称えあった。

 荒瀬は他の同僚たちにも断りを入れて、上司に休みを申告した。

 午後の診療受付開始から一時間ほど経った頃に受診する。眼科は、混んでいた。風邪の流行期の内科や、花粉症の時期の耳鼻科に匹敵する待ち時間を、受付で告げられる。

 待合室の人混みの中、壁際に並ぶ列で荒瀬は、見知った顔を見つけた。

「石川さん」

「おや。荒瀬さん」

「お疲れ様です」

「お疲れっす」

 製造部の石川班長だった。今週は早番なのだろう。勤務を終えて眼科に来たのに違いない。

「めちゃくちゃ混んでますね」

「みんな、目が痛いみたいだ」

「え。そうなんですか」

「隣の人の問診票が見えちゃった。あとは、受付でいきなり『目が痛い』って話し始める爺さんとか、たくさんいるからな」

 石川班長の軽口に、荒瀬がふふっと笑う。

「私もまあ同じなんですけど。コンタクトレンズがはめられなくて」

「君にとっては死活問題だね。その、補強されているとはいえ、やっぱりレンズは必要なんだろう?」

 荒瀬の職場の人間は、荒瀬の弱視の件を把握している。そしてそれらを補う役目を持つ私、つまり寄生型AIの存在のことも、承知している。

「まあそうですね。ただでさえ視力に難があるので、困ったものです」

「俺もまあ、目の異物感で来たんだけど」

「本当ですか? 流行ってますかね?」

「眼の病気がか? でも、あまり聞かないよなあ……」

 ほんとですね、困ったね、と二人は小さく笑った。

 二時間近く待ち、荒瀬はようやく名前を呼ばれた。医者からは、眼球に小さな傷がついていると言われ、目薬を処方された。診察は、五分で終了した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る