1-2 学校でMorning

「起立、気をつけ、礼」

「おはようございまーす」


 今日も、いつも通りの朝が始まった。

 と言っても、俺――八朔ほずみ日向ひなたが高校に入学して、まだ一か月。


 桜はすでに散り、柔らかな春の日差しは、肌を刺すような初夏のものへと変わりつつあった。

 春の短さには少し辟易するが、文句を言っても仕方がない。

 今は、朝会の時間だ。


「ひなっち、なに朝から変な顔してるの?」

「誰が変な顔だ……。お疲れさま、陸上の朝練」


 軽口を叩いてきた方向に、視線を向ける。


 隣の席のショートカットの小柄な女の子――秋野あきの小豆あずき

 中学からの同級生だ。


 陸上部の朝練を終えたばかりの彼女は、限界を迎えたスライムのように、机に突っ伏していた。


「ほんと……疲れたぁ。シャワー浴びたい。放課後頑張るから、朝練なくならないかな……」

「頑張れ。頑張った分だけ返ってくるって言うじゃん」

「部活してないくせに」


 ……確かに、部活は何もやっていないが、応援くらいはしてもいいだろう。


「お母さん言ってたよ。ひなっち、小さい頃から優秀で、やればできる子だって。部活とかすればいいのにって」

「恥ずかしい……。どこで会ったんだよ、俺の母さんと」

「うーうん、私のお母さんが言ってた」

「なんでだよ」


 小豆とは、中学からの同級生だ。  

 彼女の母親が、俺の幼い頃を知っているはずもない。


 もし自分の母親が、同級生の女の子に息子の自慢話などしていたとしたら……

 それは、辱め以外の何ものでもないだろう。


「はぁ……朝から汗かきたくない……」

「まあ、臭いとか気になるし」

「……でも、私、においしないよね?」

「…………」


 机の上に突っ伏している彼女と目が合った。

「……え?」

「ごめん、冗談」


 すぐに訂正したが、小豆は絶望した顔から、怒りの表情に変わり、俺の足をげしげしと蹴ってきた。

 それは甘んじて受け入れよう。


 実際、彼女からは制汗剤のさわやかな匂いしかしなかった。


「おはよう!! なに話してんだ?」

「うるさい!!!」


 元気に挨拶してきた男に対して、小豆は負けず劣らずの声量で叫ぶ。


「なんでだよ……」


 しょんぼりしているその筋骨隆々の大男は、前の席に座る木通きどおし大和やまと

 小学生からの幼馴染で、高校まで一緒になってしまった腐れ縁だ。


「なんで姐御、機嫌悪いんだよ?」

「ひなっちが、悪口言ってきたから」

「それは……ごめん」


 確かに、女の子に対して臭いの話をするのは、デリカシーに欠けていたかもしれない。


 ちなみに、大和が小豆のことを「姐御」と呼ぶのは、実は姉弟だからという理由わけではない。

 中学時代、色々あって彼女に迷惑をかけ、そして助けられたことがあった。

 それ以降、大和は彼女を「姐御」と呼ぶようになった。

 かくいう俺も迷惑をかけた側の人間なので、彼女には頭が上がらない。


「まあ、悪口はよくねえな……筋肉に悪いからな」

「なんの話?」

「知らねえのか?植物に悪口言ったら枯れ、誉めたら元気に育つ。筋肉も同じように褒めたらデカくなんだよ。筋肉の常識だろ?」

「知らないよ……」


 小豆はそう言った。

 だが、まあ実際そういう話を聞いたことはある。  

 眉唾ものだが、常温で放置した白米に優しい言葉を掛けたら、カビが発生しなかったという研究もあるそうだ。  

 筋肉の常識についてはよく知らないが、そういう世界もあるのだろう。  

 世の中には、自分が知らない不思議であふれている。


「あー、ひなっち、後で数学の宿題だけ教えて」

「いいけど、俺も自信ないぞ。難しかったし」

「なんか、宿題難しかったよね! もうやだ……」  


 小豆は、嘆くようにそう言う。  

 確かに、今回の数学の宿題は難度も量も多かった。


「しゅく……だい……?」


 大和は初めて聞いた言葉のような顔をしている。


「昨日、先生、最後に言ってただろ……」

「ふっ。そんな言葉は知らねぇな。俺は義務教育、受けてねぇからよ!!」

「なんで、高校にいるんだよ……」


 そんなやり取りをしているうちに、一限目の先生が教室へ入ってきた。


「授業始めるぞー」


 こうして、いつも通りの一日が始まった。


 ***


 キンコーン、カンコーン。


 気が付けば、今日の授業はすべて終わっていた。

 窓の外からは、すでに部活に励む生徒たちの声が聞こえてくる。


「帰ろ」


 小豆は陸上部のため、毎日遅くまで頑張っているらしい。

 大和は家庭の事情から高校に許可をもらい、アルバイトに励んでいる。


 二人を見ていると、自分も何か始めたほうがいい気はするが、やりたいことは特に思い浮かばなかった。


 まあ、無理やり作るものでもないだろう。  

 鞄に教科書を詰め、教室を後にする。


 寄り道もせず、そのまま家へと帰った。

 家に着き、自室で宿題を片付け、漫画を読んでいる間に外はすっかり暗くなっていた。


 今は、母が作ってくれた夕飯を食べ終え、リビングのソファーに腰を下ろして家族団欒のひと時を過ごしている。

 といっても、父は県外に単身赴任中のため、今は母と妹との三人暮らしだ。


「キラッキランラン~♪」


 ……小学六年生の妹、八朔ほずみ柚葉ゆずはが、プ〇キュアを見ながら楽しそうに踊っていた。

 この時間帯は、いつも妹がテレビを独占しており、家族そろってプ〇キュアを見るのが我が家の日課になっている。

 我が妹ながら、元気だなと思う。


「どーん!!」


 ソファーでくつろいでいる俺に向かって、妹が頭から突っ込んできた。


「危ないだろ」

「柚は丈夫だから」


 諭すように優しく言ったが、伝わらなかったみたいだ……俺の体は心配してくれないらしい。


「お兄ちゃんって、……プ〇キュアなりたい?」

「いや、別に……」 

「そっか……まだまだだね」


 俺は、まだまだらしい。

 成長したらプ〇キュアになりたいと思う日が来るのだろうか?

 実際にプ〇キュアの恰好をした兄が目の前にいたらどういう反応をするのだろうか……、いつか試してみよう。


「柚がプ〇キュアになったら、助けてあげるから」

「……ありがとう。じゃあ、待っとく」

「だから、ジュースとアイス取って」

「なんでだよ」


 それぐらい自分で取れよ。と思ったが妹には逆らえない。

 年の離れた妹には、どこの兄でも似たようなものだろう。

 ソファから立ち上がり、冷凍庫を開けてみたが、中は空っぽだった。


「母さん、アイスない?」

「ごめーん、買ってないかもー」

「えー、じゃあいいや! お兄ちゃん、なんかゲームしよー!」

「いや、いいよ。俺、適当にアイス買ってくる」


 そう言って俺は靴を履き、家を後にした。

 妹が少し寂しそうな顔をしていたのは気のせいだろう。

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