中学時代
中学生時代は、正しく「暗黒時代」だ。一年生の頃は、勉強もそれ程難しくなく、友人もそれなりに居たし楽しく過ごせていた。
中学二年生の終わり頃だろうか。所謂「病み期」に入ったのは。人間関係で悩んでいたのである。思春期時代あるあるだ。周りを気にしすぎな性格が、ここでも悪影響を及ぼした。いじめられていた訳では、決してない。だが、周りの雰囲気に段々と適応できなくなったのだ。噂話をしている様子が目に付くと、「私のことが言われているんじゃないか」と卑屈になっていった。
そんな日々を過ごしていた中だ。ある日突然「学校には行きたくない」と、母の佳織に言ったのだ。佳織は心底焦ったであろう。その日一日だけは、休ませてくれた。だがしかし、次の日からは私が願っていた結果とは違ったのである。「学校には行きたくない」という私の思いとは裏腹に、佳織は「学校には行け」と言った。私は驚愕した。「娘である私が、学校に行きたくないと言っているのに、この親は行かせるのか」と落ち込んだのを今でも覚えている。鬼かと思った。引き摺りながら登校させられた。それは流石に誇張しすぎか。しかし、泣きながら自転車を漕いで登校していたことは覚えている。大人になってから聞いた話だが、あの時、佳織は学校の先生に電話していた。「娘を今送り出しましたが、登校途中で帰宅するかも知れません」と。佳織は、私が登校途中で引き返して、家に帰るだろうと思っていたのだ。だが私は、普通なら二十分程度で済むものを、泣きながら一時間程かけて登校した。クソ真面目である。私は「学校に行かなかったら親に怒られる」と、思ったのだ。結果として、あの時心を鬼にして「学校には行け」と言ってくれて、感謝している。
私が通っていた中学校は、受験期間に入るまで、三年間部活動に必ず所属することが規則だった。
私は「剣道部」に入部することにした。田舎の学校なので、選択出来る部活動はそう多くはない。クラスの今で言う、一軍女子が入部する部活動の代名詞である「女子テニス部」に憧れた。だが、入部テストを合格できる自信は無かった。入部希望者が多かった為か、持久走テストがあった。幼い頃から走ることが得意では無かった私は、「このテストを掻い潜ることは出来ないだろう」と、半ば諦めた。次に入部を考えた部活動は、「吹奏楽部」だ。此方も入部希望者の倍率が高い部活動の一つだった。部活動見学の際に、「顧問の先生が厳しそうだな」と思ったので、選択肢から除外された。「美術部」にも惹かれた。静かで落ち着きのある雰囲気が、「私に合っているかも」と思ったからだ。結局「剣道部」に入部することに決めたのだが、その訳を問われたら「自分にできるスポーツは剣道くらいだろうと思った」と答える。自分の体型が気になってくるお年頃だ。運動部に入りたい気持ちの方が強かった。それに、武術の出来る人間に憧れた。部員も少ない部活だったので、「自分に合っているかもしれないな」と感じた。入部した女子生徒は、私を含め三人だけだった。皆、小学生時代の同級生だった。剣道は、意外とお金の掛かるスポーツだと思う。先ず、面や小手、胴と言った防具に、竹刀も必要だ。中学生の部活動ということで、比較的安価なもので揃えたが、当時の価格で五万円ほどしたのではないかと思う。竹刀は、安価なものだとすぐにささくれが起きやすいので、それなりの価格帯がするものを選んだような記憶がある。用品を揃えてくれた両親には、感謝している。
病み期時代には、教室に入ることが怖くなった。所謂「保健室登校」をした。正しくは、私のように通常クラスに通うことが難しい生徒たちが登校するクラスの一員に、三年生の二学期が終わる頃までなった。クラスの先生は、朗らかな雰囲気を持ち合わせていた女性の先生だった。ここに通学している時だけは、心が穏やかでいれた。当然、部活動には顔を出せなくなったので、途中退部した。基本的には認められていなかったが、事情が事情だったので例外で認められたのだろう。だが、面談してくれた先生たちの一人に「ここで退部したら、逃げ癖が着くと思うよ」と言われた様な気がする。「剣道初段」を取ってから退部したので、私的には結果オーライだ。剣道部は退部できたが、基本的に三年間部活動に所属することが規則だったので、新入生の時に入部を考えた「美術部」に入部した。油絵を描いた。心が穏やかになる作業だった。
そして、私が旧「ジャニーズ事務所」、現「STARTO ENTERTAINMENT 」の男性アイドルに夢中になり始めたのも、中学生時代だ。小学生の頃にCDショップで、「KAT-TUN」のデビュー曲「Real Face」を借りた頃から、私の「ジャニオタ人生」は始まった。なんだかんだ、二十年近く「ジャニオタ」をしている。人生で初めて自分のお小遣いから購入したCDは、「嵐」の「Love so sweet」だ。当時流行っていたテレビドラマ「花より男子2」の主題歌だ。道明寺派か、花沢類派かで二極化しているが、私は西門派だ。話が脱線したが、どちらのグループも活動終了または解散している。だが、どちらも世に名を馳せらせた素晴らしいグループだ。ジャニオタ界隈では、自分の推しのことを「担当」と呼ぶことが、ジャニオタ文化の掟である。ここで何度も登場しているジャニオタというのは、現STARTO ENTERTAINMENT に所属しているグループや、タレントを応援しているファン界隈の呼称だ。ジャニオタの語源は、旧ジャニーズ事務所から取ってつけられた物である。何故、今現在ジャニーズ事務所では無くなったのか、気になるであろう。色々あったのだ。正に、青天の霹靂という出来事が起こった。「日本のエンターテイメントが変わるかもしれない」と心底心配した。ここでは語りきれない為、割愛する。
さて、受験期間にはそれなりに苦労した。何故なら、出席点が足りない授業があったからだ。病み期時代に、出席できなかったことが高校へ提出する書類の内申点に当時は響いた。両親への負担を考えたら公立の高校の方が良かったが、諦めるしかなかった。前途多難ありながらも、私は無事に高校へ進学することが決定した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます