第2話


肉体は其処まで弱くは無い、柔らかな肉付きをしているレアンの肉体は、しかし逆を言えば筋肉では無く、殆どが脂肪で出来ている様なものだった。

虐待を受けた肉体に、精神的に衰弱していれば、実力を発揮出来ないのは明白だ。


「はぁ……はぁ……」


彼女の憂いを帯びた瞳が地を見詰めていた。

瑞々しい唇から漏れる吐息は生気を零すかの如く呼吸をする毎に弱々しくなる。


「ブレイカル・エッジくん」


声を掛けようとする折原刃に、魔の声が響きつつあった。

折原刃は視線を相手の方に向けると、其処にはバルバコア・ナインが立ち尽くしている。

何故か、無機質な雰囲気を纏う彼の姿に、折原刃は思わず喉を鳴らした。

何よりも、バルバコア・ナインの背後には、複数の低層怪人を引き連れている。

その光景は、使えない怪人を抹殺する為の、リンチによる処刑に似ていた。

まさか、このまま自分が処刑されるのではないか、と。

そう思った矢先に、バルバコア・ナインの表情は歪に歪んだ。


「レアンさま、大総統さまからの御命令で御座います」


ビクリ、と身を震わせるレアン。

蒼褪めた表情を浮かべると共に、視線をバルバコア・ナインに向ける。


「先程のレアンさまのご状況をご報告した際、生産効率の悪さと、本体性能の劣化を指摘された後……そのまま、処分しろ、との事でございます」


ニタリと、バルバコア・ナインは笑っていた。

これまで生産性の悪い彼女の担当をしていたバルバコア・ナインは、あまりの愚鈍さに少なからず腹を立てていたのだろう。

だが、最早彼女に対する怒りを浮かべる事も無い、むしろ、処分と言う名目で彼女を亡き者にするのが嬉しいらしい。


「はっ……ぁ、はァ……ッ」


彼女は胸元に手を添えて、何度も何度も呼吸を行う。

過呼吸になった事で、彼女は苦々しい表情を浮かべて、涙を流した。


「ごめ、んなさい……お父様」


「謝罪の言葉は、地獄でお願いしますよ」


ポロポロと大粒の涙を流して泣きじゃくるレアン。

彼女は死ぬ事が怖いわけでは無かった。

肉親である父親からの拒絶、自分が無能である事に涙を流していた。


「もっど、がんばりまず、やぐにだじまずっ、だがら……」


それでも、バルバコア・ナインは首を左右に振った。

上の命令に逆らう事など決して出来ない、いや、する事自体が間違っている。


「その願いは適わない……さあ、やりなさいブレイカルエッジくん」


近くに居た折原刃に向けて、バルバコア・ナインは命令を下した。

当然、その命令は茶化せるものでは無い。

上からの命令は、末端は首を横に振る事等出来なかった。


「ぁ……うっす」


ゆっくりと立ち上がる折原刃。

地面に座ったまま泣き続ける彼女を見ながら、かち、かちかちと、掌から音を鳴らす。


「悪いな、お嬢、……俺ももっと、上を目指したいからよ」


カッターナイフの刃を掌から生み出すと、大きく腕を振り上げて彼女を狙う。

せめて、苦しまない様に、首を狙って振り下ろそうと考えていた。


「ひぐっ……ごめんなざいっ、やぐに、だでなぐて、ごべんなざい……」


刃が天を向いた時、折原刃は口を閉ざした。

ゆっくりと思考を巡らせて、彼女を殺す事に対する正当性を弄る。


(俺はもっと、上を目指す、高みを目指す、その為に、他の何を犠牲にしても、……けど)


命令に従順に、多くの仕事で成果を遺し、より強く、魔改造を施される。

そうする事で、下位から中位、中位から上位へと成り上がれる。

その為に様々な命令を熟して来た筈だ、だが。

折原刃の脳裏に過るのは、果たしてこれが、正解であるのかどうか。


(俺が欲する強さって……こんなもんか?)


目の前には、死んだ自分の命を救ってくれた少女だ。

彼女にとっては、人間から怪人へ変化させる為の手段。

けれど、少なくとも、折原刃はそれによって生かされた。

命の恩人を、このまま殺す事こそが、彼の求める強さに繋がるのか?

否、彼が強さを求める根底は……レアンにあった。

彼女に救われたのだから、彼女の為に強くなりたい。

その根底の願いを覆してまで、生きたいのか?

肉体は悪に染まった、だが、信念までは悪に蝕まれた記憶はない。


「おい、どうしましたかー?ブレイカル・エッジくん」


背後から上司の声が聞こえて来る。

気が付けば、折原刃はカッターナイフの刃を地面に向けていた。

深く息を吐き捨てる、その選択は状況下の中では一番の最悪。

けれど、怪人が悪を選んで何が悪い?


「……ああ、違うわコレ」


かちかち、と、掌から生やしたカッターナイフの刃を掌に収める。

掌から垂れ流れた血液を見詰めながら、硬く、強く、握り締めて拳を作る。


「はい?」


聞こえなかった、そうバルバコア・ナインは耳を傾けた。

折原刃は、後ろを振り返りながら、彼女の前に立つかの様に、怪人の群れに視線を向けた。


「すんません、先輩、オレこの会社、辞めますわ」


一応は申し訳なさそうな表情をしながら、折原刃はそう告げた。

流石にその台詞は聞き捨てならず、バルバコア・ナインは細い目を血走らせ、額に青筋を浮かべながら憤りを見せる。


「……は?なにを言ってんですかァ?」


次第に、口調が荒れて来た。

それが可笑しく感じたのか、折原刃は笑みを浮かべながら言う。


「いや、だって……むさ苦しいオッサンのご機嫌取りするよか、可愛い子を助ける方が何百倍も良いっすもん」


上司との付き合いは、これまで我慢して来たが、最早その我慢もしなくて良い。

本心を口にしながら、段々と舌が回って来た折原刃は気分が快調となりながらお道化る。


「おい……おい、テメェ、コラ、もうイッペン言ってみろやコラ」


バルバコア・ナインは牙を剥いていた。

今まで散々、目を掛けてやった相手からこの仕打ち。

今、謝罪をすれば、受け入れる気はあるが……。


「給料は良いけど、こんなんじゃあ、オレぁ強くなれねぇ……それよか、秘密結社あんたらに喧嘩売った方が、面白そうだ」


その挑発は看過出来なかった。

企業に喧嘩を売ると言う事は、バルバコア・ナインを含める全ての怪人を敵に回すと言う事。

即ち、『エンダーテイムレスメイン総合秘密結社』を敵に回すと言う事であった。


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