鯨町
吉野緑青
第1話
この旅行は幻ではなかった。
旅行というものはいつも幻のような気がしている。
鯨町という鯨だらけの町があるらしい。
私はすこぶる鯨が好きであり、私にとって夢の国なのである。であるから鯨だらけの町を幻視したのであろうか。いや、確実に鯨だらけの町があった。今、手元に、鯨町の民芸品店で買った陶器の鯨の置物があるのであるから。私はその鯨の置物を一撫でした。すると鯨の鼻孔から潮吹きの如く煙が立ち昇った。龍涎香の薫りが部屋に充満した。
私の記憶が確かなのか分からない。この鯨の置物だけが細い糸の切れそうな記憶を僅かばかり繋ぎ止めている。それ程までに、あれ程までの町を埋め尽くす鯨まみれは非現実的であり、本当に鯨町にいったのか訝しくなってしまう。
私には現実感というものがいつもない。すべてが幻のような気がしている。日常でさえ現実感がない。であるならば鯨町など一層現実感などないのではないか。いや、非現実的な程、むしろ現実感があるのかもしれない。私のこの感覚は精神分析的に把握してはいない。精神科医に分析して貰ったらなにか分かるのかもしれない。しかし私は精神分析されたくはない。この感覚は私にとって当たり前なのである。
鯨町へは一人でいってはいない。妻と妻の両親の四人でいった。全員が鯨町にいったのである。みながみな見たのである。集団幻覚でもないはずである。確実に町に鯨が溢れていた。
和歌山県の奥深い地方に鯨博物館があるらしいと聞き、元々私は鯨が好きだったため興味を持ち調べた。丁度その辺りに職場の保養所があると知り一泊二日で旅行することに決めた。妻のお父さんに車を運転して貰い四時間程かかった。奥深いところなのでとても緑が綺麗だった。空も青く海も青かった。
お父さんの車で道を走っていると、急に明らかに鯨に関する看板だとか文字だとかが、異空間に入り込んだかのように増えはじめた。やはりこの辺りは鯨町であるから鯨の絵や鯨料理の店などがところどころにあるようだ。私は鯨料理というものを食べたことがなく、鯨を食べるだなんてと思っていたが、昔はふつうに食べていたらしい。今でも食べるところはある。
「鯨肉って食べたことありますか?」
「よく食ってたよ。昔は豚肉よりも食べてたな。ベーコンみたいだけど、やっぱり違って、鯨独特の肉で旨いよ」
「そうなんですかあ。僕は鯨を食べるなんて考えられませんね。なんかかわいそうで」
「昔は沢山鯨が捕れたからね」
「鯨を捕るって、捕鯨って、なんか凄過ぎて考えられません」
捕鯨船で大海へ出、荒波に揉まれながら、銛で巨大な鯨を捕らえるというイメージ。実際はどういうものなのかは知らない。とてつもなく勇敢な海のバトルなのかな。メルヴィルの『白鯨』という本があるが、いつか読んでみたい。鯨好きとして読まなければならないという使命感さえ感じている。
「この辺に古本屋あるよ」と妻がいった。
妻は旅行にゆくとき事前に古本屋がないかよく調べる。私が無類の古本好きであるので、妻も本は好きな方だが、私の影響もあってか、旅先でもつい古本屋さんに立ち寄ってしまう。
「こんな山奥に古本屋があるのか?」お父さんが訝しんでいる。
私はグーグルマップを開き妻に古本屋の名前を訊き検索する。「鯨書房」。古本屋まで鯨なのか。グーグルマップを頼りにお父さんに運転して貰うと、こんな道ゆくのかよとぼやかれながら連れていって貰う。
人気がなく細くこんなところ車が通るかというような道をゆく。どんどん奥深いところへ入ってゆき、ここはどこだという記憶喪失めいた感覚さえあった。グーグルマップが目的地を示すがそれらしき建物がない。どこにあるのだとみな訝っていたが、グーグルマップをよく見ると山の内部の方を示しており、車は通れない道であった。車をいったん路傍へ止め、お父さんに待っていて貰い、私と妻とお母さんの三人で山道を登り鯨書房を目指すことにした。
「こんなとこに本当にあるの?大丈夫?」とお母さんがいった。
「本当に進むの?」と妻が不安そうにしている。
まあいってみましょう、と私はずんずん歩いてゆく。妻とお母さんは不安な様子を見せながらもついてくる。
そんなに歩かずして、古民家のような建物が見えたが、あれが古本屋なのか、いやふつうの家ではないのかと訝しみながらも覗いてみると、「鯨書房」と達筆に筆で書いたような文字の看板が現れ、ここだ、よかったと三人は安堵した。
引き戸をがらがらと開けると、古民家を改装した趣のある異空間な古本屋が広がっていた。灯は薄暗くインド音楽のような音が鳴っていて、木の薫りがした。ほんのり珈琲の薫りもした。茶色い木でほとんどできており、床が軋んだ。
四匹の猫が微動だにせずお出迎えしてくれた。白、黒、灰、茶の四匹の猫だ。若い女性店員に猫の名前を訊くと四匹ともたまだという。四匹のたまである。四匹のたまはまったく人を怖れておらず、人懐っこくもなく、ただ定位置といわんばかりにそこに佇んでいる。
「鯨書房」はその店名通り鯨の本が豊富に揃っている古本屋であった。もちろんメルヴィルの『白鯨』はあった。私は運命的な出会いだと感じこの本を購入するためにレジにゆくと、熊のような男性店員に声をかけられ、「珈琲でも呑んでゆきませんか?」と誘われた。
妻とお母さんは離れたところで本棚を喋りながら見ていたが、折角なので私は珈琲をいただくことにした。こちらですと奥の方のスペースについてゆくと、数人の人々が珈琲を呑んでいる。この中に珈琲を作っている方がいて、本日の珈琲を淹れてくれる。様々なマグカップがあり、どれがいいですかと訊かれ、ガラスのマグカップを選ぶと、珍しいですねと、ガラスのマグカップの珍しさを力説された。
旨いですねえ、などといっていたが、特に話すこともなく沈黙が流れいづらかったので早々に辞去した。みなさんやさしい人たちで、また呑みにきてくださいねなどといっていた。
私はまだ本を購入してないことに気づき、レジの若い女性店員に『白鯨』を渡すと、この本凄いですよといって、鯨書房オリジナルのカバーをかけてくれた。鯨の絵のついたカバーで、カバーマニアである私は大変嬉しかった。鯨もカバーも好きなので、最高のカバーだった。
驚くことにペイペイが使え、ペイペイで払おうとするも山奥なので電波が悪く、すみません外に出たら繋がりますのでといって外でバーコードを読み取りペイペイと鳴って支払いが完了された。なぜ電波が悪いのにペイペイ決済を導入しているのかは分からなかった。
本を購入した後はいつもほくほくしているので、大変あたたかい気持ちになった。妻もよさげな本を見つけることができ上機嫌であった。鯨の絵本の洋書であった。なかなかに珍しかった。私たち夫婦は鯨のものに目がなく、鯨のものを見つけては購入してしまう癖があった。
「好きな動物はなんですか?」
「鯨です」
「私も鯨好きです。なんで好きなんですか?」
「でかいからです」
付き合いたての頃、こんな会話をしていたのを思い出した。
「鯨書房」を出るとすっかり辺りは夜の海のように深い暗青色が広がっていた。山道の深緑も相まって青緑青緑していた。山なのに海を感じた。なにか懐かしさを覚えた。
僅かばかりの山道を下るとお父さんが車で眠って待っていた。さぞ待ちくたびれたようで、夢でも見ていたに違いない。
「お待たせしました」と声をかけると、お父さんは深い眠りから覚めたように、「待ちくたびれたよ」といった。どこかの遠い大海で鯨が潮を吹いたような気がした。
暗くなってきてしまったので早く保養所へゆかなければならない。チェックインの時刻はとうに過ぎている。
保養所は少し古びたホテルだったが、昔はいいホテルだったんだろうと思われ、今はレトロな感じで味があった。山の上に建てられ、段々畑のように部屋が連なっていた。広々とした空間で窓からは空港が見え飛行機が飛んでゆく様子が見れた。空は深海のような暗青色をしている。飛行機の光が黄色く輝いて星のようで映える。飛行機はどこまでも飛んでゆくような気がした。
私たちはホテルに着くや否やベッドへダイブし眠ってしまった。みな疲れていたのだ。
疲れていたから気づかなかったけれど、ベッドが鯨の形をしていた。尾鰭がついており青い丸味のあるフォルムで寝るところは平らになっておりボリュームのある白い布団が引かれてあった。
知らぬ間に鯨の上で眠っていた訳だ。記憶が途切れたように眠りまったく夢を見なかった。寝る前と起きた後でまるで自分じゃない感覚がし、来世の人生を歩んでいるような気がした。私たち四人ともが知らない他人のように誰だっけという感じになった気がしたが、そんなことはなく、よく寝たなあなどといいあい、お腹すいたねとかいっていた。時刻は二十一時であり、チェックインのときに夕食を頼んでいたので、ホテルの食堂へと向かった。
鯨料理が出てきて、お父さんが「懐かしい、子供の頃よく食べた」といった。私は鯨を食べるのか、とかわいそうな気持ちになってしまった。しかし食べない訳にはいかなかった。なるほど、確かにベーコンのようだが、また違って鯨独特の味がし、これが鯨肉かと思った。特段旨いとも思わなかった。これが鯨かと思った。わざわざ食べる程のものでもないと思った。
「無性に食べたくなるときがあるんだよなあ」とお父さんがいった。
「そうかしらねえ」
「私はよく分かんない」
鯨料理にそこまで感動することもなく、こんなもんかあという感じで、味気なく食事が終わってしまった。調理場から少し独特の匂いがした。私はなにも気にならなかったが、お母さんがこの匂いなんか苦手とつぶやいた。
なんとなくふわふわした気持ちで、部屋へ戻り、また鯨のベッドに寝っ転がった。鯨が大きな包容力で包んでくれるような気がして、また少し眠った。
「だめだめお風呂入らなきゃ」お母さんがいった。大浴場があったが、女性陣は厭がり部屋のお風呂に入った。男性陣は気にしなかったので大浴場へいった。大浴場は一階にあり、エレベーターで降りるのだが、作りが斜めになっておりごとごといいながらエレベーターは下がっていった。大浴場へゆくと鯨風呂というのがあり、鯨の形をした大海のように広い風呂だった。龍涎香の薫りが漂った。リラックス効果が半端なく、私は風呂に浸かりながら眠りそうになってしまった。
気持ちよかったですねえといいあいながら部屋へ戻り、鯨風呂というのがあってねと興奮した様子で妻へ話し、疲れ果てて鯨のベッドで眠ってしまった。
次の日念願の鯨博物館へいった。鯨町であった。鯨、鯨、鯨で溢れていた。
まずは道の駅に寄ったのだが、鯨グッズが豊富にあり、止めどもなく買ってしまった。もうここにはくることはないだろうという気がして、買いそびれて後悔しないように欲しいものは買った。
鯨のポストがあるということを事前に調べていて、辺りを見渡すと鯨のポストがあったので、自分たち宛に書いていた手紙を投函した。後日手紙が家に届いたのだが、鯨の印はなにもなくただのふつうの手紙だったのだが。
大きな鯨の親子のオブジェが出迎えてくれた。鯨博物館は存在し、様々な鯨の展示があった。鯨のペニスが聳え立っていたが、やはりでかかった。鯨ブックカフェというスペースがあり、ありとあらゆる鯨の本が置いてあり『白鯨』もあった。鯨珈琲を呑んだ。鯨珈琲の豆を買った。
鯨博物館の敷地に生け簀のような小海があり、夥しい程の鯨が泳いでいる。私たちは小海の鯨を見ていると、鯨はどんどんどんどん増殖してゆき、陸地にも上がってきて、所狭しと溢れ出てきた。私たちは大量の鯨に押し潰されそうになりながら、鯨だ、鯨だ、と喚きながら鯨の間をすり抜け、なんとか脱出した。
鯨博物館に併設してある民芸品店でも沢山の鯨グッズを買ってしまった。旅行というものはついお土産を買い過ぎてしまいお金を使ってしまう。お土産を買うというのも旅行の醍醐味でもある。その土地のものを買うということ。旅行が終わり家に帰ってお土産を見てまた思い出す。
よい旅だったなあ、あの旅行は幻ではなかったんだ、と鯨の置物を撫ぜ思い出すのである。
鯨町 吉野緑青 @yoshinorokushou
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