第2話

東京の端っこ、線路沿いの古いアパートに住む高校三年生の轟 悠斗(とどろき ゆうと)は、いつも同じ時間の電車に乗る同じ車両の、同じ吊り革を握る女の子が好きだった。

名前は知らない。

ただ、毎朝彼女は白いイヤホンをして、窓の外をぼんやり見ている。制服のスカートは少し短めで、冬でも膝丈のコートを着ない。寒そうにしている姿を見るのが、悠斗の小さな秘密の愉しみだった。

ある日、彼女が電車を降りる駅で、悠斗は衝動的に後をつけた。

降りたのは終点の一つ手前、住宅街の小さな駅。彼女はコンビニに寄って、牛乳とパンを買って、細い坂道を上っていく。名前はまだ知らないけど、住所だけはわかった。

それから一週間、悠斗は毎朝、彼女の家の前で待ち伏せするようになった。

カーテンの隙間から見える彼女の部屋の明かり。ゴミ袋に書かれた名前。「神宮 澪(じんぐう みお)」。

好きすぎて、頭がおかしくなった。

悠斗はアルバイト先のデパートで、特大のスーツケースを買った。

ハードケース、90リットル。キャスターが静かで、鍵も頑丈なやつ。店員に「海外旅行ですか?」と聞かれたとき、笑顔で「うん、そう」と答えた。

押入れに隠していたスーツケースを引っ張り出した


計画は単純だ。

夜、澪ちゃんが寝静まった頃に、家に忍び込む。

(両親はもういないらしい。一人暮らしだ)

クロロホルムはネットで買った。

スーツケースに澪ちゃんをそっと入れる。

膝を抱えさせて、ファスナーを閉める。

そのまま自分の部屋に連れ帰る。


実行したのは、金曜の深夜だった。

窓から侵入するのは簡単だった。鍵はかかっていなかった。

澪ちゃんの部屋は、恐ろしく殺風景 「カワイイ」のかけらもない ベッドの横に薄気味悪いぬいぐるみがあって、机の上には参考書が山積み。寝ている顔は、電車で見るよりずっと幼かった。 

「……ごめんね」

小声で謝りながら、ハンカチにクロロホルムを染み込ませる。

澪ちゃんの口に押し当てた瞬間、彼女の目がぱちりと開いた。

「だれ……?」

小さな悲鳴が漏れる前に、意識は遠のいた。

スーツケースに詰めるのは、思ったより大変だった。

体が硬直して、なかなか入らない。膝を曲げて、腕を胸の前で丸めて、やっとのことでファスナーを閉めた。重い。息が少し聞こえる。生きてる。よかった。

キャスターの音を殺しながら、夜の住宅街を引きずっていく。

誰にも見られなかった。運が良かった。

自分の部屋に着いたのは、午前3時過ぎ。

スーツケースを開けると、澪ちゃんはまだ眠っていた。頬が少し赤い。熱があるのかもしれない。

悠斗は彼女をベッドに寝かせて、自分はその横に座った。

ずっと見ていたかった顔を、こんなに近くで見られる。

「……ずっと、好きだったんだ」

澪ちゃんの髪を撫でながら呟いたとき、彼女の目がゆっくりと開いた。

「……ここ、どこ?」 

落ち着いた声。怯えていない。平然としている。 

動揺を隠し悠斗は微笑んだ。

「俺の家。もう、どこにも行かせないよ」

澪ちゃんの瞳に、驚きが広がっていく。そのあとにっこりと微笑んだ

その瞬間、悠斗は気づいた。

この娘は自分の思うような人間ではない、と。

「またスーツケースに入れられるなんて…… でも相手が君でよかった」澪ちゃんは笑った そしてこう言った

「こんなことされたらもう他人じゃないね これからずっと、一緒だから」  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スーツケースガール @yu1979

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る