スーツケースガール
@yu1979
第1話
スーツケースの中は真っ暗で、息をするたびに自分の吐息が熱く戻ってくる。
手首と足首は太い結束バンドで縛られ、口にはガムテープ。膝を抱えたまま丸まっていると、まるで母の胎内に逆戻りしたみたいだと思った。でも、もう誰も私を守ってくれない。
「じゃあ、投げるぞ」
男の声がすぐ外で響く。
「可愛い子だったのにもったいないな」
「可愛けりゃ可愛いほど、沈むの見たくなるだろ」
笑い声。
そして、ぐい、と持ち上げられて——放り投げられた。
落下は一瞬だった。
衝撃。冷たさ。
スーツケースが海面に叩きつけられ、隙間から水が噴水みたいに吹き込んでくる。すぐに膝まで、腰まで、胸まで。
私は暴れた。意味もなく暴れた。スーツケースが揺れるたび、水がさらに勢いを増す。
息ができない。
もうダメだ。
そう思った時、指先が何か硬いものに触れた。
母がくれた小さな髪留め。
金属の細いピンがついたやつ。
いつも「危ないから外しなさい」って怒られてたやつ。
震える指でそれを抜く。
結束バンドを引っ張り、ピンを差し込み、ひねる。
一度目、滑った。
二度目、また滑った。
水が首まで来て、鼻先まで来て——
パキン。
手首が自由になった。
次は足。
そして口のテープを無理やり剥がす。皮膚が裂ける感触がしたけど、そんなのどうでもいい。
蓋の錠前は外側からしか開かないタイプ。
でも、私は小さい。
肩を脱臼させる覚悟で、体をねじり、頭から蓋に突っ込む。
一回、二回、三回——
ガコン。
蓋が少しだけ浮いた。
そこに指を差し込み、全身の力を込めて押し上げる。
海水が顔にかかる。目が開けられない。
でも、私は這い上がった。
スーツケースの外側にしがみつき、ようやく水面に顔を出した。
夜の海は静かすぎて怖かった。
星が無数に降っていて、私を見下ろしているみたいだった。
遠くに灯りが見える。
あいつらの船だ。
まだ近くにいる。
私は髪を海に垂らし、ゆっくりと息を整えた。
冷たい。痛い。怖い。
でも、生きてる。
「……可愛い子だったのに、ね」
小さく呟いて、笑った。
涙と海水が混じって、しょっぱい。
次に会う時は、
私がお前たちをスーツケースに入れてあげる。
蓋を閉める前に、ちゃんと笑顔で見送ってあげるから。
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