今まで呼吸をしていたこと

蓬葉 yomoginoha

今まで呼吸をしていたこと

 柚麻ちゃんが風邪をこじらせて仕事を休んだ。

「はあ……」

 暑い日と寒い日が交互に続いて、柚麻ちゃんを蝕んだのだろう。そこに私の問題が入って、トリガーになった。

「ごめんね」

 赤い頬をしている柚麻ちゃんに、枕元で小さく謝ると、柚麻ちゃんは苦笑した。

「なんで、柚花が、謝るの」

 とたんに顔をしかめて咳を吐く。熱は40度に達しようとしていた。



 柚麻ちゃんは物静かだ。だから、分かりづらい。そう言われて育った。

 一方の私は感情型と言われて育った。

 言いたいことを飲み込んで我慢する柚麻ちゃんと、思ったことはすぐ口にする私。そのコントラストが私たち双子のあり方だとずっと思っていた。


 けれど、今、私は柚麻ちゃんに、そして柚麻ちゃんは私に近づきつつある。

 柚麻ちゃんは、思いを私に届けてくれた。

 私は、その前に逃げて、連絡を絶った。柚麻ちゃんが引っ張りあげてくれなかったら、私は陽の光に背を向けて深い湖の底に沈んでいくだけだっただろう。



「あつ……」

 柚麻ちゃんは額の汗を拭って、毛布をまとう。言っていることとやっていることがちぐはぐだ。瞳は天井を映しているのに、朧月のように靄がかかっているように見えた。

「……なってから、気づく」

「え?」

「なる前は、わかんない」

「柚麻ちゃん?」

 柚麻ちゃんは枕に顔を埋めた。

 意識の混濁はなはだしく、柚麻ちゃんは寝息をたて始める。



 妹、萌和が高校から帰ってきた。

「おかえり」

「……ただいま」

 萌和はそれだけを言うと部屋の扉を閉めた。

 因果応報だけれど、萌和は私に冷たい。

 あれだけ何度も連絡をしてくれたのに、すべてを無視して閉じこもった私に、萌和は怒りさえしなかった。母が私を抱きしめて泣いて、よかった、と言いながら、心配させるなと怒ったのと対照的だった。かといって、父のようにおかえりと迎えることもなかった。

 自業自得なのに、鬱がおりのように心の底にまた溜まっていく。



 柚麻ちゃんのところだけが、私の安息地だった。ボロボロになっても戻るべきよるべだ。

 彼女は横向きに眠っている。

「柚麻ちゃん」

「柚花。柚花だ……」

「うん」

「描かないの?」

「えっ?」

 柚麻ちゃんはひひと笑った。珍しい笑い方だ。

「絵。描かないの」

「いまは、いいかな」

 東京で打ちひしがれた私は絶賛休学中の身だ。絵など描いていられるだろうか。だって、描けるなら、帰ればいい。東京に、戻ればいい。

「うーん」

 柚麻ちゃんは枕を抱いてうなる。

「うううんん」

「柚麻ちゃん」

「そっかあ」

 柚麻ちゃんはそうつぶやくと、あおむけになって私を見た。頬が赤くなっていて、ひどく蠱惑的だ。

「ふふ」

「どうしたの柚麻ちゃん。そんなに、笑って」

 熱が回ってつらいはずなのに、柚麻ちゃんはなぜかずっと笑顔だ。

「柚花がいるから」

 どきっとする。柚麻ちゃんはずるいな、と思う。

 柚麻ちゃんは普段思いを伝えてくれない。思わせぶりなことも言わない。なのに、ふと気が向いて、そういうことを言ったときのインパクトはほんとうに強いものだ。    

 私はそうはなれない。私の言葉は、私自身はきちんと伝えているつもりなのに、するりとこぼれおちてしまう。

「ねむむ」

「おやすみかな」

「うん......」

 そう言ったそばから、彼女は眠りに落ちていった。

「柚麻ちゃん......」

 部屋にはリクルートスーツがかかっている。仕事は私服なのでしばらく着ていないだろうけれど、柚麻ちゃんは自分で自分の道をつかんだ。

「自分で選んだ道だもん。責任は自分にあるからね」


 柚麻ちゃんは、私に劣等感を持っているとよく言った。でも、そんなの私だってそう。柚麻ちゃんはすごいな、かっこいいなってずっと思っていた。そりゃあそうだ。私たちは、根っこのところで似ているんだもん。私たちは、そういう星なんだから。片方が嫉妬をするなら、もう片方だってそうするに決まってる。対称で合同。それが私たち。

 ぴこん。

 柚麻ちゃんのスマホがついた。

 そうだね。

 柚麻ちゃんは、あるんだね。まだ、あなたの世界。

  ︎︎柚麻ちゃんを見る。

  ︎︎柚麻ちゃんはむむむむと唸っている。可愛いな。私のお姉ちゃん。大好きな......届かないあなた。

 スマホを取る。

 柚麻ちゃんと同じだけの友だちがいる箱庭。高校を卒業してからも、ゆるりと繋がっていた証。

 もう、限界だった。




 目を覚ました。

 ずっと柚花が近くにいた気がする。だからなのか、ふつうに薬が効いてきたのか、ずいぶん身体が軽い。

「いい天気」

 風邪をひくと、それまで呼吸をしていたことを思い出す。

 怪我をすると、それまで当たり前に腕を動かしていたことを思い出す。

 誰かがいなくなれば、その人がいてくれたことの意味に気づく。

 私たちは、本質に気づくのがいつも少しだけ遅い。

 部屋から出る。柚花はどこだろう。

「あ、柚麻姉」

「萌和。おはよう」

「柚花は?」

「柚花姉? 柚麻姉と一緒にいたんじゃないの?」

「えっ」


 いい天気だったはず。

 それなのに、たったわずかな時間で、雲が差し込んでいた。

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今まで呼吸をしていたこと 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

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