相合い傘はくるりと笑う

赤坂しぐれ(旧:いくらチャン)

相合い傘はくるりと笑う


 平成二十三年 八月二十二日


「これ、あげる!」

「ありがとう……私、大事にするから」

「手紙書くから!」

「うん! 私も書くよ! いっぱい、書くから!」


 遠ざかっていく軽自動車の後部座席から顔を出し、最後まで手を振り続ける美月みつき

 一人残された僕は蝉の鳴き声が雨の様に降り注ぐ中、遠くで揺らめくアスファルトの陽炎を見つめていた。


 美月は家が隣の幼馴染みで、生まれた時からいつも一緒だった。

 美月の親父さんの転勤で遠くの町に引っ越しになり、さっきお別れをした。

 夏の日差しが強く、いつまでもここにいるわけにもいかないし、かといって何だか家に帰る気分でもなかった僕は美月とよく遊んだ神社に足を運んだ。

 神社の境内は沢山の木があって影になっているのでひんやりとした空気で涼しかった。その境内の木の中でも一番大きな木の根本。

 地面から飛び出している根のこぶに、僕たちが掘った落書きが残っている。


 それは、美月がふざけて掘った相合い傘。


 引っ越しの一週間前の日の事。一緒に遊んでいると、急に美月が好きな子はいるのかと聞いてきた。

 僕は咄嗟にいないと嘘をついた。

 けれど、本当は美月の事はずっと好きだったし、美月が遠くへ行ってしまうと聞いて本当は気持ちを伝えたかった。

 でも……どうしても恥ずかしくて言えなかった。

 僕は照れ隠しに、美月は好きな奴がいるのかと聞き返した。けれど、美月もいないと言った。

 それが嬉しくもあり、少し残念にも思えた。


 しばらくお互い黙ったままでいると、突然美月は落ちていた尖った石を持ってきて、名前のない相合い傘を木の根っこのこぶに二つ書いた。


『ねえ健ちゃん。もし自分に好きな子が出来たらここに名前を書こうよ。ほら、この神社って恋の神様がいるみたいだしさ、ご利益ありそうじゃない?』

『その神様の木を傷つけてご利益ってもらえるのかなぁ』

『神様だもん、そんな小さいこと気にしないよ! ほら、二つ書いたから、こっちが健ちゃんので、こっちが私の』


 石で無理矢理掘ったのでぐちゃぐちゃな相合い傘になってしまったと、美月が口を尖らせていたのを僕は思い出して笑った。

 片方には美月の名前だけが書かれた相合い傘。

 もう片方には僕の名前だけが書かれた相合い傘。


 僕は近くにあった尖った石を拾ってきて、それを木に擦り付けた。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  

 


 令和二年 八月十日


 田舎のおばあちゃんが亡くなったと連絡がお母さんから来たのは、丁度大学の夏休みを利用して行く予定の旅行の計画を立てていた時だった。


「うん、じゃあ明日昼頃に駅に着くから……うん、大丈夫。じゃあ、13時に」


 スマートフォンの終話をタップして、早速帰る準備を始める。

 おっと、その前に加奈子に連絡をしなきゃ。


「もしもし、加奈子? うん、あのね………………だから、ほんとごめんね? 今度また埋め合わせするから。じゃあ」


 高校からの友人である加奈子に旅行の断りを入れる。

 夏の北海道に行ってみたいと言っていたので、電話口では笑っていたがきっとがっかりしているだろう。

 今度バイト代が入ったらうんと美味しいものをご馳走してあげよう。


「田舎、か……もう何年ぶりだろう」


 最後に田舎のおばあちゃんの家に行ったのが高校の時だったのでかれこれ四年程前だ。

 幼馴染みの健吉君が、県外の中高一貫の学校に進学してしまっていたので、再会できなかったのが残念だったのを覚えている。

 健吉君と最後に会ったのは、あのお別れの時だったからなぁ……元気にしているだろうか。


 私が引っ越した後はしばらく手紙のやり取りもあったけれど、歳を重ねるにつれ私が遠慮をしてしまった。

 健吉君も年頃の男の子なんだから彼女くらい作るだろうし、そんな所に幼馴染みとはいえ同級生の女子から手紙が定期的にきているとわかれば修羅場不可避だ。

 なので、高校三年の秋を最後に手紙のやり取りは無くなった。

 本当は続けたかった気持ちあったけれど、仕方がないと自分に言い聞かせながら書いたのを覚えている。


 その返事は私の事を心配する内容と、手紙のやり取りの終了を同意する文だった。

 本当のところをいうと、手紙を続けたいと言ってきてくれるのを少し期待していた私は、酷く落ち込んだのを覚えている。


 そんな事を思い出したせいか、その日の夢に昔神社で木に二人で落書きを掘ったことを思いだした。

 目が覚めた時、その恥ずかしさからベッドの上で悶えてそのまま落下し、おでこをしこたま打ったのは内緒の話だ。



 翌日の昼過ぎ。田舎まで直通の電車が無いので、最寄りの駅まで電車を乗り継ぎそこでお母さんに車で拾ってもらい田舎へと向かった。


「美月、お疲れさま」

「お母さんこそ、お疲れさま。もうお葬式の準備は終わったの?」

「うん、お義姉さん達も今朝到着したからね。あたしはお手伝い程度よ」

「そっか……あ、ねえお母さん。ちょっと寄って欲しい所があるんだけど……いい?」

「いいわよ。美月は別に今日はなにもすること無いしね。あ、でも向こう着いたらちゃんとご挨拶するのよ」

「わかってるよー。じゃあ、恋木神社に寄って貰っていいかな」

「あら、懐かしいわね。どうしたんだい、急に」

「ん~……ちょっとね」


 それから少しの間車に揺られながら田舎の景色を眺めていた私は、あの時の事を思い出していた。


 あの日、本当は健吉君に好きだと告白をするつもりでいた。

 けれど臆病な私は、止めとけば良いものを保険をかけるように健吉君に好きな子はいるのかと聞いてしまった。

 今に思えば、もしも『いる』と答えられたとしても、それが私である保証なんてなかったんだけどね。

 結局、健吉君はいないと答えた。

 それを聞いた私は両想いじゃないなら、伝えるのも心残りになると臆病な蓋で自分の心を仕舞いこんだ。


 そこからは何とも照れ隠しの誤魔化しまみれ。

 勢いで相合い傘なんて書いたけど、私は書くタイミング無いし健吉君の言う通り罰当たりな事をしているわで、もう滅茶苦茶だ。

 けれども、昨日の夢で見てしまったものは仕方がない。

 とうなったかを確認をしないと気持ちが悪いというものだ。


「じゃあ、ちょっとそのままお寺に行かなきゃいけないから。帰りはどうする?」

「いいよ、近くだし。直ぐに帰るね」


 お通夜と葬儀の打ち合わせに、急遽お母さんが行くことになってしまった為、私は神社で降ろしてもらいお母さんを見送った。

 神社の境内は昔と何一つ変わらず、まるで時間がここだけ止まってしまったかのようだ。

 神社に到着した私はお目当ての木に真っ直ぐ向かっていく。

 そしてその地上に飛び出してコブの様になった根っこのひとつ。

 一番大きな根っこの裏を覗き込む。そこには私が書いた相合い傘が……


「ない…………痛っ!」


 私は思わず驚いてしまい、急に顔をあげたもんだからおでこを根っこの出っぱりにぶつけてしまった。おでこを擦りながら辺りを見回すも、やはり記憶が正しければこの根っこのはずだ。

 私の頭の中に何故とどうしてが交互に浮かび上がる。焦りからか背中をつーっと汗が流れるのがわかった。

 もしかしたら記憶違いなのかも知れない。

 そう思った私が他の木を探そうとしたその時。


「雨……」


 ぽつぽつと私の頬を叩く雨粒に顔を見上げると、いつの間にか大きな雲が空に浮かんでいた。

 いっそ雨に打たれてしまえば頭も冷めて落ち着けるだろうかとも思ったけれど、ポケットにスマートフォンを入れっぱなしだったことを思いだし、急いで拝殿の軒下へと駆け込む。


「もう……最悪……」


 私が書いたはずの健吉君との淡い思い出。

 なぜ、それが消えてしまったのかはわからない。

 もしかすれば、他の子供が見つけて消してしまったのだろうか。

 それとも風化して自然と消えてしまったのか。

 もう今では分からない事だけど、それでもひとつだけ分かることは、もうあの思い出の落書きは消えてしまったという事。


バチが、あたったのかな……」


 あの日、健吉君が困った様な顔をして罰が当たると言っていたのを思い出した。

 きっとそうだ。恋の神様の住む神社の木を傷つけたし、大好きな健吉君を困らせたし、これはきっとその罰だ。


 悪い考えというものは、一度頭の中を走り始めると止まるどころか徐々に速度をあげていく。

 おんなじところをグルグル、グルグルと、何度でも何度でも回りながら。

 天気と同じ灰色になってしまった私の心の空模様。

 空から零れた雨粒は、ぽたりぽたりと地面へと落ちてすっと地面へと溶けていく。


 その時、ジャリジャリと玉石を蹴って、誰かが境内を歩いてくる音が聞こえてきた。

 こんな雨の中にお参りにきたのかなと顔をあげ、邪魔にならない様に隅の方へ移動しようとした時。

 近づいてきた傘がひょいっと横にずれて懐かしい面影のある男性が立っていた。


「よっ、美月。久しぶり」



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  



 平成二十九年 十月二日


「おー、おかえり健吉。手紙、来てるぞ」


 大学受験の為の特別講習を終え、寮の自室に戻るとルームメイトの笹岡が既に帰ってきており、ベッドに寝転がって漫画を読んでいた。


 笹岡は適当な言動が目立つが、その実はかなりの努力家であり、成績はいつも上から数える事が出来る位置をキープしていた。

 しかし、進学では無く実家の家業を継ぐからと、進学校に入りながらも受験をしないのだから、やはりこいつは変わり者だ。


 俺は自分の勉強机に向かうと、美月から送られてきた手紙を開封した。

 以前は女の子らしい可愛い封筒や、便箋を使って送られてきていたのだが、ここ最近は簡素なものになってきている……気がする。

 寮に入りたての時なんかは、その封筒を見た笹岡が『彼女からか!?』と騒ぐこともあったが、流石に三年経てばそんなこともない。

 本当ならメール等でやり取りをするのが今時の高校生なのだろうが、寮が山の上にあって電波が届かないこと。寮に帰って来てから消灯までの時間ぐらいしか自由時間も無いこともあって、俺は携帯を持っていなかった。


「なぁ健吉。彼女からの手紙なんて書いてんよ」

「久々だなその彼女ってくだり……何度も言うが彼女じゃなくて幼馴染みだからな?」

「はいはい。で、なんて?」

「いや、なんで普通にお前に言うこと前提になってんだよ。危うく普通にいいかけたわ」

「チッ……」

「お前なぁ……」


 笹岡を無視して美月からの手紙に目を落とす。

 書き出しはいつも通りの近況報告。他愛のない話が綴られている。

 俺はそんな他愛の無い美月の近況報告が何だか好きだった。

 時に季節の事が書かれてたり、時には授業で習ったうんちくが書かれていたり。


 そんな手紙を読み進めていくと、俺は最後の一文で目を滑らせた。


「え?」


 自分でも思った以上に間抜けな声が出たと思う。手紙の最後に書かれていた文章。


『お互い忙しくなってくる受験シーズンだし、手紙のやり取りを控えたいと思うの』


 俺はその文章を自分の中で噛み砕いて、反芻して、理解するまでたっぷりの時間を要した。

 しばらくの間手紙をもったままぼんやりしていた俺の様子に何かを感じ取ったのか、笹岡は何も言わず静かに部屋から退室していった、

 俺の頭の中には何故とどうしてが交互に浮かんでは思考の海の中へと消えていく。

 俺が何かやらかしたのかと思い、前回送られてきた手紙を引っ張り出してきて読み、そこから自分が美月に送った手紙の内容を思い出してもみたが……やはり特に美月に嫌われるような事を書いた記憶がない。

 だからといって美月が書いた受験云々が本当の事かと言えば、嘘だ。

 何故なら俺は確かに受験があるが、美月はエスカレーター式の高校に通っているので、受験で忙しいなんて事はないはずだからだ。

 一瞬、俺の事を思って言ってくれているのかと都合のいい解釈をしそうになったが、まあ十中八九そういうことだろう。


「そっか……美月の奴、彼氏が出来ちゃったか……」


 俺は衝動的に手に持っている手紙を握りつぶしそうになってしまったが、その一歩手前で思いとどまり、少しだけシワになってしまった手紙を綺麗に伸ばして、机の引き出しの中へと仕舞った。

 美月が自分以外の誰かを好きになってしまった事は何とも正直嫌な気分ではあるけれども、それに対して腹を立てるのはお門違いだと思う。

 最後に会ったあの夏の日に思いを告げられなかったのは自分の臆病さが原因だし、それを棚にあげて不貞腐れる様な真似はしたくない。


 俺は便箋を一枚取り出して、差し障りのない日常の内容と、手紙のやり取りの終了を了承する文を書いた。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  



 令和二年 八月十日 AM10:28


 突然の事だった。夏休みで実家に帰省していた俺が自室でゴロゴロとしていると、お袋が部屋に入ってきた。


「健吉、あんたスーツは向こうに置いとるの?」

「いきなり部屋に入って来んなよ……あぁ、大学の入学式で着てそのままだよ。どうしたの?」

「お隣の長濱さん家のおばあさんが亡くなったらしいのよ」

「……マジで? あの婆さんこの間なんかでっかい石の像担いでたぞ」

「うん……なんかその像を運んでたらうっかり下敷きになっちゃったらしくって……」

「まじか……すげえな色々と。どうしよう、親父のスーツとか無いかな?」

「どうかねぇ……少し小さいかも知れないけど……」

「どうせ上着は着なくていいんだろう? シャツはこっちにも予備があるし、スラックスさえあればいいよ」

「わかった、探しとく。後で一回おばあさんに顔を見せに行ってきなさいよ」

「りょーかい。というか、今から行ってくるわ。どうせ暇だったし」


 玄関から出て、お隣の家の方を見ると慌ただしく皆通夜の準備を始めていた。

 田舎ということもあるだろうが、近所の人も総出で用意しているので結構な人の数が出入りしている。

 忙しく準備をする人達を掻い潜り、家の人に挨拶をしながら俺は家に上がらせてもらった。


「こんにちは、おばさん」

「あら、健ちゃんじゃないの。ごめんなさいね、ばたばたしちゃって」

「いえ……この度は急な事で」

「やだよぅ、そんな改まっちゃって。ささ、お義母さんに顔を見せてあげて」

「お邪魔します」


 久しぶりに上がる美月の家であったが、案外家の間取りなんかは覚えているものですんなりと一階の客間に到着した。

 美月達が引っ越してからは、美月の婆さんがこの家で独り暮らしをしていたので割りと家の中は綺麗だ。

 所々婆さんの趣味である変な石像の置物がある以外は昔のまんまで、俺はそれを眺めては懐かしい気分になっていた。


「やあ、健吉君。久しぶりだね」

「親父さん、ご無沙汰しています。この度は御愁傷様です」

「うん、ありがとう。急なことだったからね、健吉君も驚いただろう?」

「はい。ついこの間まで元気に走り回っていたので」

「母さんは元気だけが取り柄だったからなぁ……健吉君、母さんに水をやってあげてくれないか」

「はい」


 渡された水を含んだ脱脂綿で婆さんの唇を湿らせる。

 綺麗に化粧をされているも、婆さんの唇の色が薄いのをみて、本当に逝ってしまったんだなと思うと急に涙が込み上げてきた。


「おいおい、男の子が滅多なことで泣くんじゃないよ。そんな顔してると母さんが起き出して『しっかりしな! 健!』って怒鳴り付けられぞ」

「はい……でも、なんだか、寂しくて……」

「うん……ありがとうな健吉君。あぁ、そういえば午後に美月が帰ってくるんだった。もう随分と会ってないだろう?」


 親父さんの言葉に俺はドキリとした。

 そうか、婆さんの葬儀があるんだから美月も当然帰ってくるんだよな。

 親父さんの言う通り、美月とは最後に会ったのは小学校の時の別れの時だ。

 親父さん達は何度かこっちに帰って来ることがあったけれど、美月は部活で忙しいから帰ってこれなかったこと。俺自身全寮制の学校に入ってしまったことなどでタイミングが合わず、結局今まで会えず仕舞いだったのだ。


 俺は美月の家を出て、直ぐに家に帰らずにその辺りをぶらついていた。

 先程から頭のなかでは美月と会った時どんな顔をしたらいいのか、どんな話をすればいいのかと、一人で考えても答えなど出てこない問答をしていた。


「いっそ、会わない様に逃げるか……?」


 暑さで頭がやられてしまったのか、自分でもバカな事を呟いたものだと思う。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつのまにか俺は恋木神社に辿り着いていた。


 田舎といえど時代の移り変わりに対して、なにも変わらないなんて事はない。

 少し車を走らせた所には大型スーパーが出来たし、コンビニだって近所に数件立ち並んでいる。

 この十年でゆっくりとではあるが、この田舎も随分と様相が変わったと思う。

 しかし、この恋木神社だけは何も変わることがない。まるでここだけが時間から切り取られたかの様な、そんな気分にさせられる。


 この神社に来る度に俺はあの日の事を思い出す。

 美月が去ったあの日、神社に来た俺は美月の書いた相合い傘を石で擦って全部消してしまった。

 それは子供特有のなんとも小さい拘りというか、今に思えばアホな事であるが、本気で相合い傘の事を信じていた。


 それ故に、俺以外の誰かが美月の相合い傘に名前を書いてしまう事を恐れて。


 美月以外の子の名前を、俺が自分の相合い傘に書いてしまう事を忌避して。


 だから壊してしまった。二人にとっての最後の思い出を。

 その時はこれでいいと思ったけれど、後々凄く後悔をした覚えがある。


 俺は例の木の前まで行くと、落書きがあった場所の根っこを覗き込んだ。

 かつて落書きのあった場所は、不自然に皮を削り取られて時間の経過で少しくすんでツルッとしていた。

 その部分を指でなぞってみるけれど、やはりもうあの落書きがあった痕は残っていない。


 懐かしさと後悔に胸の微かな痛みを感じる。

 俺はその苦味を来る途中の自販機で買った、少しぬるくなってしまったサイダーと一緒に腹の奥へと一気に流し込んだ。


「通り雨とか最悪じゃねーか! ちくしょう!」


 感傷に浸りながらぶらぶらと家路についているといきなりの通り雨に見舞われ、びしょびしょになりながら帰るはめになった。

 すると、ちょうど美月の親父さんが傘を持って家から出るところに鉢合わせをした。


「あれ? 親父さん、どっかいくの?」

「おぉ、健吉君か! ちょうど良かった……といっても健吉君びしょ濡れだね」

「まさかの通り雨でしたからね。で、親父さんはどこへ?」

「あぁ、美月が恋木神社にいると家内が言ってたんだけどこの雨だろう。傘を持って迎えに行ってあげようかとね」

「美月が? 入れ違いになったか…………親父さん、俺が行ってこようか?」

「いいのかい? 助かるよ。本当だったら、僕がここを抜けるのはまずいからね」

「じゃあ、ちょっと着替えて来ますね。傘、そこ置いといてください」


 急いで着替えた俺は自分の傘と、美月の傘を持って急いで恋木神社へと向かった。

 さっきまでは美月に会ったときどんな話をすればいいのかなんて考えていたが、そんなもの決まっている。


 まずは俺の幼稚なワガママで思い出の落書きを消してしまってごめんなさいだ。

 それから、いつも手紙で元気づけられていた事。

 それから、それから……ああ、考えがまとまらない!

 焦る気持ちのまま、俺は雨の中を走る。

 跳ねる水溜まりが靴を濡らすのもお構いなしに。


 神社に到着した俺は、拝殿の軒下で座っている人影へと歩みを進めた。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  


 令和二年 八月十日 PM2:51


 近づいてきたその男性は、かつての面影を残した、それでいて年相応の成長の影が見える健吉君であった。


「久しぶりだな、美月」

「うん、久しぶり。でも、なんで健吉君が?」

「親父さんに頼まれたのさ。ほら、傘」

「そっか、ありがとう……」


 そこで途切れる会話。

 まさか健吉君がこっちに帰ってきているとは思ってもみなかった私は、何を話せば良いのかわからず固まってしまっていた。

 しかも、成長した健吉君はなんというか逞しいといえばいいのか……頼もしさのあるといえば良いのか。とにかく格好いいのだ。

 まるで初めて恋をした女の子の様に私は気恥ずかしさを感じる

 ……んん? よくよく考えれば、結局健吉君以外の人を好きになったことがなかったので、初めての恋で正解なのか。


 そんな事を考えていると、健吉君は鼻の頭を掻きながらポツリポツリと話し始めた。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  



 令和二年 八月十日 PM2:52


 久しぶりに見た美月はとても綺麗になっていた。

 子供の頃は一緒に蝉を取ったり、カブトムシを取ったりと、一緒に田舎を駆け回っていたこともあって髪も短く、色も日焼けして真っ黒だった。

 それが、こんな色白美人になるなんて誰が思うだろうか。

 まあ、小さい頃に好きだった理由は別に見た目どうこうの話ではないけれど。

 それでもこうなんというか、とても綺麗で、その、あの……なんだよ、俺。まるで成長できてないじゃないか。


 ダメだな。

 こんなことじゃ美月にまた笑われてしまう。

 それにいまは、まずあの落書きの事を謝らなくちゃ……


「美月……さん?」

「……はぇ?」

「え?」

「い、いや、美月『さん』何て言うもんだから……別に昔と一緒で呼び捨てでいいよ。というかさっき呼び捨てしてたじゃん」

「うっ、ま、まあそうなんだけどさ……まあなんていうか、その、ごめんな」

「ん? なにが?」

「落書き。見たろ?」

「うん……誰が消しちゃたのかな……」

「本当にごめん!! 消したの、俺なんだ……」



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  



 令和二年 八月十日 PM2:53


「本当にごめん!! 消したの、俺なんだ……」


 深々と頭を下げる健吉君。

 その言葉に私は再び固まってしまった。

 無性に込み上げそうになった涙を堪えつつ、なんとか声を出す。


「……理由、聞いてもいい?」

「えっとな、その…………」


 そうして健吉君はゆっくりと語り始める。


 健吉君が実は私の事が子供の時に好きだった事。

 健吉君なりに考えがあって落書きを消してしまった事。

 それをずっと心残りにして、後悔をしていた事。


 何度も何度も頭を下げながら説明する健吉君を私はぼんやりと見つめながら話を聞いていた。


 そっかぁ……健吉君も私の事が好きだったんだ……ちょっと、残念だな……もっと早くそれを知っていれば、もっと違った未来があったのかなと。


 私の心は嬉しい気持ち三割、悲しい気持ちが七割の曇り空。

 でも、健吉君がちゃんと言ってくれたのなら、私もちゃんと言わないとフェアじゃないよね。

 

 私は、十年前に置き去りにしてしまった、あの日の私の気持ちを口にした。


「健吉君、あのね……私、実は──」



  ◆◇◆◇  



 令和二年 八月十日 PM3:45


「これで、満足かいのう」

「ああ、バッチリじゃよ。願掛けに、重たい石像を運んだかいがあったってもんさね」

「まったく……孫と孫同然の子をくっつけるために自分の命を差し出すとかイカれてるじゃろ、このババア」

「お黙り。その願いを叶えた腐れ神様はどこのどいつだい?」

「おお、怖い怖い。ほれ、願いを叶えたのを見届けたんじゃし、そろそろあの世に逝かんかい」

「まだだよ。まだ孫の花嫁姿を見るまでは安心して逝けんわい」

「勘弁しろこのババア。いつまでも魂を引き留めておったら、ワシが怒られるじゃろうが!」

「細かいこというねぇ……なんだい恋木なんて大層な名前をしてるのにそんなモアイみたいな面して」

「顔は関係ないですー…………この梅干しババア」

「なんじゃと!?」

「なんじゃい!?」


 雨上がりの虹の下、拝殿の屋根で子供の様に言い争いをする一人と一柱。


 それを笑うかの様に、参道を歩いていくひとつの相合い傘がくるりと回った。

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