第21話 あやめの名前

「あやめの、名前」

「逃げた人間が、あやめを名乗っているなんておかしいですよ。は、東條の家を率いる女の名前でしょう? 姉さんみたいな落ちこぼれの祓魔師に、あやめの名は相応しくない」

「そんなもの、いくらだってあげるわよ……」


 あやめは、ホッと息をついた。


「そんなもの?」


 イズレの声が、低く凍り付く。

 ややあって、ふんと鼻を鳴らして背中を向ける。


「……まあ。あなたにとっては、そうかもしれませんね」

「ごめんね、イズレ」

「姉さんには、謝る資格もないですよ」


 そう吐き捨てながら、イズレはあやめが抱いたユキさんに視線をやる。

 形のいい瞳が、狙いを定めるようにきゅうっと細められる。


「やっぱり。姉さんは昔から、アヤカシの肩を持ってたものね。狐憑きになるのも頷ける」

「あ……違うの、これは」

「別に言い訳なんてしなくていいです。ソレを祓いにきたわけじゃないですから」


 腕の中で、ユキさんが『なにを!』と憤る。


『ほう、わらわを祓えるとでも思うか……ナメられたものじゃ』

「ユキさん、しっ」


 イズレをあまり刺激しない方がいい。

 昔から、ちょっと思い込みが激しいきらいはあったし──今思えば、あやめの名に強い憧れを持っていたような気がする。


「それじゃ、もう会うことはないでしょうけど……あやめの名を放棄する言質をとれて感謝しています。一族の使いが来るかもしれませんが、うまくご対応ください」


 踵を返したイズレが、夜闇に溶けるように消える。

 その背中を見送って、あやめは大きく息をつく。


「……はぁ。驚いた」

『えらっそうな娘じゃのう。少しはガツンと言うてやるとよい』

「ううん。私が逃げ出したのも、落ちこぼれなのも、事実だもの……」


 でも、とあやめは思う。

 何かが引っかかる。何か。見落としてはいけない何かが……。


「……っ!」


 それに思い至って、あやめは走り出した。

 イズレが消えていった方向。アパートの裏手から、入り組んだ路地に駆け込む。

 遅かった。見失ってしまった。あやめはわずかな痕跡も見逃さないように目をこらして、走り回る。急がなくては。


「……人がいない。この感じ、人払いの術だ」


 さびれているとはいえ、ここは住宅地だ。

 こんなにも人の気配がないのはおかしい。祓魔術のひとつ、人祓いの結界が張られている。あやめに流れる東條の血のおかげで、どうしか結界の影響を受けずに済んでいるのだろう。

 

『どうかしたか、あやめ』

「ユキさん……お願い、一緒にイズレを探して」

『ふむ?』


 イズレは言っていたではないか。

 祓魔師として仕事をするために、上京してきたのだと。


「……ルシャくんが、危ないかもしれない!」


 今まさに、カクリヨから、現世に迷い出ているかもしれない子どもがいる。

 あやめとユキさんが、青鳥居を通って頻繁に現世とカクリヨを行き来している関係で、この近くはカクリヨと繋がりやすくなっている。迷子のルシャが、近くに潜んでいても不思議ではない。東條の見鬼会──各地にいる、アヤカシを発見することに長けた分家の者たちの眼にとまったとしたら、二日か三日で本家の人間が動くはずだ。

 時系列的にも、おかしくない。


「お願い、無事でいて……」

 

 祓魔師が祓う対象のアヤカシに害があるかどうかなどは、ほとんど考慮されない。ただ、目撃されたアヤカシがあれば祓う。

 たとえ子どもであろうと、無害であろうと、人里にいるべきではない『異物』であれば、排除するのだ。


『あやめよ、向こうに気配があるぞえ』

「っ、はい!」


 ユキさんが示した方向には、小さな公園がある。

 転げ込むように公園に走り込んで、目をこらす。


 鉄棒、バネ式の遊具。それから、滑り台。

 一番奥にあるジャングルジムに、小さな影があった。

 ……人間ではない。


「あ、なたが、ルシャくん?」

 

 あやめの気配に気がついて、物陰から様子を窺っている子どもは──妖の子だった。


「……だれ」

「大丈夫、あなたを探しにきたの」

 

 少年の頭の上に、ぴょこんと猫のような耳が生えている。というか、全体的に『二足歩行の猫』といった様相をしている。

 しっぽはフサフサとしていて、根元から二股に分かれている──猫又だ。

 ルシャと思しき猫又少年は、怯えた声であやめに応える。


「どうして、ぼくのなまえ、しってる」

「私は、ええっと、楢崎よろず探偵事務所の──」


 そのとき。  

 ひゅん、と鋭い音がした。

 考えるより先に、あやめはその場から飛び退く。


「なんだ、まだ身体動くんですね」

「イ、ズレ……!」


 さっきまであやめが立っていた場所に、抜き身の短刀を構えたイズレが立っていた。

 その構えには嫌というほどに見覚えがある。東條の祓魔術のひとつ、短刀術だ。


「邪魔しないで。ソレ、私のエモノなので」

「ち、違うの。やめて、あの子は──」

 

 問答無用で繰り出された短刀をギリギリで避けると、はらりとおかっぱ頭の黒髪が散る。

 考えなくても身体が動くまで鍛えられたのは、幸か不幸か。いや、まだ負傷することなく生きているのは、少なくとも「幸」なのかもしれないが。じりじりと、イズレが間合いを詰めてくる。

 まずい、とあやめは息を詰める。おなじ短刀術を修めているからこそ、イズレの実力がわかる。あやめが知っている妹とは、まったく違う。


「う、うわあ!」

「ルシャくん、逃げて……」

「させるか」


 ルシャに飛びかかろうとするイズレの腕を掴み、自分の重心移動を利用して体勢を崩す。幼い頃から叩き込まれた、東條流体術だ。

 もちろんイズレも、その使い手で。


「どうして邪魔するの、姉さん!」


 応戦されれば、事態は膠着する。


「ユキさん、ルシャくんをお願い」

『よかろ、任された』


 ユキさんが、恐怖で固まってしまっているルシャに駆け寄った。

 あやめは目の前のイズレに集中する。

 とはいえ、事態が好転したわけではない。祓魔用の短刀を持っているイズレのほうが、明らかに有利だ。

 

(どうにかして、イズレを止めないと……!)

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