第20話 東條イズレ

「お前は、あやめとして生きる。それに相応しい振る舞いを学ぶのだ」


 ──あやめの名に恥じぬ女に。

 東條家の長女として生まれた者が、生まれてから幾度となく聞かされる言葉だ。

 『あやめ』の名は、代々、東條家の長女として生まれた者が継ぐ特別な名前だった。祓魔の力は、東條の女が受け継いできた。

 歴代のあやめは、女たちを率いて東條の家を守り、祓魔師の一族としての名声を高めてきた。そういう意味では、一個人の名前というよりは、むしろ看板といってもいい。


 魔をあやめる家の長に相応しい名前だ。

 

 当然、東條家の当主と、次代の当主は同じ名を持っていることになる。

 正直、ややこしい。けれども、襲名制を採用することはなく、長子として生まれた女児はあやめ以外の名を持たない。他の『あやめ』がいる場合には、『お嬢様』とか『若奥様』とか、そういった名前をあてがわれて、それが生活のなかでの呼称となる。

 なにせ、狭い世界での話だ。それで事足りてしまう。

 開国以来二百年は、祓魔や呪術を生業とする一族は、大衆の目から隠れるようにしてその血を繋いできた。科学信仰からの迫害から逃れるために、積み重ねてきた知識を山奥の秘境に身を潜めて、あるいは目に見えぬ者への畏怖を失った人々の中に埋没して。

 東條家もその例外ではない。

 歴史の流れの中で、消えゆく存在。

 東條家がかつて浴した脚光も、賜った栄誉も、過去のもの。

 だからこそ、あやめの名を継ぐ女児への期待は、代を重ねるごとに苛烈なものとなっていった。


 世間に妖の気配があれば、必ず見つけ出して討ち滅ぼす。

 かつては、妖が悪さをしたとか、人々の生活が脅かされているとか、そういった相談事があって初めて東條一族が動いていた。

 けれども、見鬼の才をもった人間も減っていき、妖が人前に姿を表すこともなくなっていった。相談事を待ってなどいられない。

 各地に散った同胞たちが、妖を見つけ出す。祓魔の術を受け継いだ本家筋の人間が、妖を討ち滅ぼし、祓う。なかば意地のように、そんな営みが続けられていた。


 

 当代あやめは──この世界の脇役である、東條あやめわたしは、その役割から逃げ出した。



 十二才の頃。

 生まれてから続いてきた祓魔師としての修行を一通り終え、裳着を済ませた。昔でいう、成人の儀式だ。

 はじめての実地での祓魔──東條家の者たちが、初陣と呼ぶ通過儀礼の日を迎えた。

 

 その日の東條あやめわたしは、世界の主役だった。

  

 初陣の標的に選ばれたのは、犬神だった。対処法も生態も研究し尽くされた、初心者向けの簡単な妖だ。野犬や飼い犬が変化した、どこにでもいる妖である。犬は古来から人と近しい領域で生きてきた。だからこそ、妖となった犬神たちのなかには人に恨みをもつものもいる。だからこそ、見つけ次第すぐに祓うことが大切なのだ……東條家の人間たちは、みなそう信じていた。


 しかし、東條あやめわたしはその犬神を祓うことができなかった。

 犬神と相対した瞬間に、犬神の記憶が自分の中に流れ込んできたのだ。


 強烈な恐怖に襲われた。


 飼い犬として幸せだった時代の記憶を、人に虐げられて絶望に塗れた心の傷を、生々しく追体験した。

 ただの、幸せで不幸せな、犬の一生。

 今から殺そうとしているものは、そういう存在だ。

 それを、身体の芯から理解してしまった。


「いやだ、いやだ、祓えない! やめて!」

 

 突然のことに取り乱すあやめに、周囲の人間は驚いた。

 『潜魔の術』を使ったのだ、と持て囃された。『潜魔』は強力な妖を祓うための、危険で難易度の高い技である。それを無意識に発動したことで、幼い祓魔師は取り乱してしまった――そう好意的に受け取られた。

 結局、その日、あやめは犬神を祓うことができなかった。自分となんら変わらない、幸せと不幸せを抱えて生きてきた記憶を垣間見てしまったあやめは、祓魔の力を秘めた血をその犬神にふりかけることができなかったのだ。

 あやめの名を継ぐ長女が、初陣に失敗した。

 本来であれば一大事にも関わらず、周囲の大人たちは大喜びをした。『潜魔の術』を使うことができる祓魔師は、この数世代生まれていなかったのだ。それを無意識に使いこなす女児が生まれた……次の当主は、きっと偉大な祓魔師になる。大人たちは、そう期待していた。


 しかし、そうはならなかった。

 あやめはさらに厳しい修行を続け、少しずつ『潜魔』をコントロールできるようになってきた。

 けれど、どうしても、妖を祓うことができなかったのだ。


 ただ討ち祓うべき存在だと教えられてきた妖は、自分と同じ喜怒哀楽を抱えた存在だ。それを知ってしまった。


「お前は、あやめとして生きる。それに相応しい振る舞いを学ぶのだ」


 毎日、そう聞かされて過ごした。

 祓魔師として落ちこぼれていくあやめを、東條家の何度も何度も、叱りつけた。そのお決まりの文句でもって、あるいは、『しつけ』と呼ばれる折檻でもって。


 ──それでも。

 東條あやめわたしは、ついに、一度も妖を祓うことはできなかった。


「祓魔ができぬお前に、なんの価値がある? 世俗で生きていく力もない、地味でしみったれた女に、誰が目をかける?」


 里で暮らした最後の時期には、かなり直接的な罵詈雑言が投げかけられるようになっていた。

 妖を祓えば。

 そう、妖を祓い、この世から消し去る──祓魔師として、当たり前のことを成しさえすれば、落ちこぼれの汚名を返上できる。そうすれば、『潜魔の術』を使うことができる当代・東條あやめとして生きることもできるだろう。

 ……けれど。

 をしたときに、正気を保っていられる気がしなかった。

 

 生まれ育った故郷を棄てて逃げ出したとき、東條あやめわたしは思った。

 東條家の次期当主となるべき東條あやめわたしはもう、死んだのだ。祓魔師でも、なんでもない。

 もうこの土地でともに暮らした人たちに、会うことはないだろう……と。


 ◆


「久しぶりだね、姉さん」

「……イズレ」


 誰も知り合いのいない東京で住み着いた、ひとり暮らしのアパートに帰ろうとする道すがらで、かつての血縁に出会った。

 長く伸ばした黒い髪。暗色の巫女っぽい服──式服と呼ばれている。

 数年ぶりに目にする面差しは、記憶の少女とは別人だ。


「可愛い妹が、会いにきましたよ」


 東條イズレは、無表情に言った。

 イズレもまた、東條の家系に伝わってきた伝統のある名前だ。長女ではない女児──主に次女に与えられてきた。長女あやめが死んだときのための、代替品として。


「よくここがわかったわね。何しに来たの……」

「仕事よ。アヤカシの痕跡があったと、見鬼会から報告があってね。わざわざ上京してきたの……でも、周辺を探っていて、驚いた。買い物袋をぶら下げた、間抜けな女がいるじゃない」


 祓魔の術は、長期戦だ。

 妖が出たという地域を探り、ことの真贋や土地の様相を調べる。


(そうか見られてたんだ……うかつだった……)


 里から逃げ出してすぐの頃は、東條の手の者が近くにいるかもしれないと気を張っていた。外出も最低限に、目立たぬように細心の注意を払っていた。

 近頃は、気が抜けていた。

 あやめは自分の迂闊を呪う。まったく、情けない。


「長話をする気はないの」


 イズレは祓魔師の装備のひとつである、短刀を鞘からスラリと抜いた。


「っ、ユキさん、こっちへ」


 あやめは足元で毛を逆立てているユキさんを慌てて抱き上げる。

 祓魔の術を喰らえば、元・屋敷神とはいえ、ユキさんも無事では済まない。

 だが、イズレの標的はユキさんではないようだった。


「見つけちゃったんだから、仕方ないわよね──死んでもらえない?」

「っ! 待って、私はもう東條の里には帰らないし……」

「うるさい。どうでもいい」


 イズレは吐き捨てる。


「あやめの名前、私に頂戴よ」

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