第19話 迷子の手がかり



 あの廃れ神にやった、アレ。

 ユキさんの記憶に潜って、妖魔落ちに至る傷を探した『アレ』だろう。


「む、無理です……あのときは、夢中だったからやりましたけど……すごく危ないんですよ、アレ!」

「は? 出し惜しみかよ」

「出し惜しみってわけではない、ですけど……」


 ちら、と、あやめはミロクとシャクドウの様子を盗み見る。こちらを見つめている四つの瞳は、期待にキラキラ輝いていた。

 どうしよう。思わず、あやめはこめかみを揉む。

 あれは『潜魔術』といい、本来は強力な妖魔の弱点や真名を探るための術だ。東條が代々伝える祓魔の技のなかでも、かなり危険なもの。最悪、魔に飲み込まれて戻ってこられないこともあるという。

 妖魔になりかけたユキさんを元に戻せたのは、ただただ運がよかったのだが……。

 ミロクとシャクドウのまっすぐな視線に、あやめはついに観念した。


「す、少しだけなら」


 恐る恐る、給食袋に手を伸ばす。

 相手は妖魔ではなく、あやかしの子どもだ。飲み込まれて戻ってこられないほどの危険な過去の記憶を持っている可能性は低い。


(大丈夫、大丈夫……)


 あやめは指先に霊力を集中して――給食袋に残された、ルシャの意識に潜った。


 ◆


 雨だ。

 雨が降っている。

 不安定な、脆弱な記憶。


 あやめは目を凝らす。

 けぶるような雨の向こうに、人影が見えた。


(……ルシャ、くん?)


 二足歩行の猫のような姿をした、子供が立っている。

 迷子になって行方がわかっていない、カクリヨの子供。手には給食袋を持っている。間違いなさそうだ。

 ルシャは、何かを追いかけている。


『あ、まって! 行っちゃだめだって!』


 慌てた様子のルシャは、給食袋を取り落として。

 そうして、どこかへ消えていった。


 降り頻る雨の向こうに、何かが見える。

 澄んだ空のように青い光。

 ……鳥居?



「……現世ウツシヨ?」


 探偵事務所のソファに座った龍彦が、目を丸くした。

 あやめは頷く。給食袋に触れたときに見たものを、龍彦にすべて伝えた。


「ルシャさんの姿も、それから私が潜魔術に使った給食袋が校庭に落ちていたことも、お友達に確認しました。たぶん、間違いないかと」

「参ったな……カクリヨにいない可能性は、ちょっと考えていなかった……」


 龍彦が頭を抱える。

 あやめが見た光景は、こうだ。

 迷子になったというルシャが、『何か』を追いかけて向かった先には青く光るものがあった。あやめが毎日出勤するのに使っている、現世とカクリヨを繋ぐ青鳥居だ。


「はっ、ポンコツめ。とっとと探偵なんてやめちまえ」


 聞き込みを終えて、すでに酒を飲み始めている鉄夜が悪態をついた。

 怒るでもなく、龍彦は「そうだねぇ」と項垂れる。


「返す言葉もない、けど……そこまでハッキリ言われると、さすがに僕だって凹むよ」

「うるせー。だいたい、よろず探偵事務所だとか大仰なこと言ってるが、頼まれごとが断れないだけだろうが」

「それはそうだけど」


 はぁ、と龍彦がため息をつく。

 一応、龍彦は鉄夜の雇い主のはずなのだが……。

 龍彦が力なく笑顔を作る。

 

「とにかく。あやめ君のおかげで、捜査が大きく進展したよ。ありがとう」

「いえ、大したことは……。でも、これからどうするんです?」

「どうするって?」

「迷子のルシャくん、現世にいる可能性が高いんですよね」


 だとしたら、急いで探し出してあげなければ。

 異界に迷い込んでしまったときの心細さを、あやめは嫌というほどに知っている。


「だったら、私が現世ウツシヨでルシャさんを探します」


 現状、あやめはウツシヨとカクリヨでの二重生活をしている。

 ウツシヨでの活動に利がある自分が、積極的に動くのがよいに決まっている。

 けれど、龍彦の反応は芳しいものではなかった。


「……少し考えさせてほしい」


 渋い顔で、龍彦がつぶやく。

 いつも、あやめの提案や意見は諸手を挙げて賛成してくれるが、今回ばかりは色々と思うところがあるようだった。


「とにかく、今日はここまでにしよう。迷子……ルシャくんがウツシヨにいる可能性だけでも、依頼人に報告できる。助かったよ」

「……はい」


 ここは大人しく引き下がっておこう。

 龍彦がこの探偵事務所の所長だ。あやめはあくまでも、助手として雇われている身である。

 勝手なことを、してはいけない。


 ──勝手なことをするな!

 ──なぜ、東條の伝統を守らない。

 ──お前のような役立たずが、なぜ長子なのか……。


「……っ」

 

 今はもう、昔のことになったはずの罵詈雑言があやめの耳によみがえる。

 まただ。

 過去がずっと、追いかけてくる。


「おい。どうした、顔が青いぞ。大丈夫か?」

「だい、じょうぶです」


 怪訝な顔をする鉄夜に、笑顔を作って見せる。

 ぎこちなくないといい。がさつに見えるが、鉄夜は敏い人だ。


「あやめ君、無理をしたんじゃないかい……。途中まで送ろう。早く帰って、よく休むといい」

「はい」


 あやめの背中に龍彦の大きな手があたる。

 あたたかくて、気づかいに満ちた体温だった。


 ◆


 青い鳥居を通って、現世に帰る。

 目を開くと、キツネ耳と尻尾は消え去って、小さな白狐の姿になったユキさんが、あやめの足元にチョコンと座っていた。


「もう、夜」


 あやめのアパートの近くに出たらしい。あたりはすっかり、ひんやりとした夜闇に包まれている。

 カクリヨで青鳥居の前まで送ってくれた龍彦も、もういない。

 早く帰って、眠ろう。


 カクリヨにいる間には忘れていた疲れが、どっと押し寄せてきた。

 よろよろと足を引きずるように歩いていると、数歩先をゆくユキさんが、フシュウッと鋭い息を吐いた。

 

「……え」


 毛を逆立てているユキさんが、睨む先。

 ひとつの人影があった。

 じっと、こちらを伺っている気配。


 あやめは、その人影に見覚えがあった。


「ああ、やっと見つけた」


 人影が、低く唸る。

 まだ少女らしさを残す声だ。


 ゆらりとこちらに近づいてくる人影が、街灯の下に姿をさらす。

 黒い巫女服をまとった少女。その面影は、あやめに似ている。


「探しましたよ、姉さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る