第21話
二十四
「はあ……誕生日の後は、クリスマスか。どうしたもんか。王手」
「溜息吐きながら、随分と舐めた真似してくれるじゃねえか」
クリスマスまで既に一週間を切っていたが、プレゼントが何も思い浮かばず、匠吾は悩んでいた。あまりにも良い案が浮かばず頭が煮詰まってきたがため、将棋でも打ちながら、気楽に考えようと思い、時計屋を訊ねた次第である。この日は珍しく匠吾が厳時郎に買っていた。
「ほれ、詰みだ」
「っく、こんな孫へのプレゼントも思いつかない奴に負けるとは」
「それとこれとは関係ないだろう。しかし、本当にどうしたものか」
「っち、人の店に何時までも居座りやがって。おい、刻音。こいつに知恵を貸してやれ」
「私はクリスマスプレゼントは時計か機材しか欲しがらなかったから参考にならんよ」
「そうだった。誰だ、こいつをこんな時計馬鹿にしちまったのは」
「お前だろ」
「あんただよ」
前にもこんな会話があった気がする。
「それじゃ、今貰えるとしたら、何か欲しいものはないか?」匠吾が問うと、
「ドイツ語の参考書とか?」
「結局時計関係じゃないか」
ドイツ語はスイスの公用語の一つである。
「というか、プレゼントに何が欲しいかなんて、人それぞれなんだし、いい加減本人に聴きなよ」刻音は呆れたように溜息を吐き、煙管に火を付けた。
「それもそうなんだが、あの娘何も欲しがらないんだよな」
「何貰っても嬉しいタイプか、物欲がないタイプか。あの娘も難しいねぇ」
「ん? そう言えば匠吾。お前さん、この間内で時計を買っていかなかったか。あれはどうしたのだ」
「……それが、母親から貰った最後のプレゼントが腕時計らしい」
「……そりゃあ、時計はプレゼントできないわな」
厳時郎が刻音に続いて、煙管を吸い始めた。
「ああ、困ったな」
それとは別に、匠吾は煙草が吸いたくなって困っていた。厳時郎は煙管の他に、普段から紙煙草も携帯していた筈だ。一本貰おうか。などと考えていると、
「ところで、時計と言えばなんだが」
「なんだ?」
「今度は和時計が良いと思うんだが、どうだ?」
厳時郎がなんてことも無いように問うてきた。
「色はどうするつもりだ?」
「黒が良いだろう」
「それなら煮色は黒四分一……いや、ただ黒いだけじゃつまらんな。烏金や紫金も試してみたい」
「それなら、デザインはどうする?」
「地金が黒なら、金象嵌が映えるだろうな。どれ、幾つか描いてみよう」
と匠吾が手帳に筆を走らせようとしたところで、ようから延びてきた手が、その筆を取り去っていく。
「む、何の真似だ刻音」
「何の真似はこっちのセリフですよォ匠吾さァん? あんたら、また良からぬものを作ろうとしてるでしょ。それもウチの経営を圧迫するようなとんでもない爆弾を」
「何を想像しているか知らんが、常識の範囲内で作るから安心しろ」
「ああ、俺達はあくまで、自分達の実力で作れる範囲で、最大限のものを作ってるだけだ」
刻音は頭を抱え、溜息を吐いた。その視線は、この店で最も高い時計が置かれているガラスケースへと注がれていた。
「実力の範囲内でトゥールビヨン作れる時計職人がこんな田舎町にいる事がもうおかしいんだよなあ……」
「まあ、それは同意だな」
「……他人事みたいに言ってるけど、匠吾さんも大概おかしいですからね。もっと個展や展覧会に出品してれば、今頃大金持ちですよ、あなた」
「俺は職人だが、芸術家じゃないからな」
昔馴染みの古美術商や物好き達のためにたまに個展を出してはいるが、彼自身は芸術家など気取る気はなく、あくまで自分は職人という立場のつもりである。そのため、率先して個展を開こうという気になれないのだ。個展を開くくらいなら、露店を開いた方が、彼の性には合っている。
「あんなに高値で売れる作品作れたら、それはもう芸術の域だと思いますけどね」
「作品の価値は必ずしも作品の質とは一致しないものだ。どんな良い作品でも、作者が無名ならば売れないし、どれだけつまらない作品でも、作者が有名ならば売れる。俺は若い頃に、運良く有名になれたから、今も食べていけている。それだけの話だ。俺程度の人間幾らでもいる」
「……匠吾さんって、たまに謙虚を通り越して傲慢ですよね」
「そう思うのならば、そう思っておけ。だが、作り手が金と名声でしか物の価値を見れなくなったら終わりだぞ」
「言いたい事は分かるけど、あんたらには少しは金を気にして欲しいねえ。あんたらが本気で何かを作り始めるとね、うちの店は決まって赤字になるんだよ。大体にして、なんで普段ケチなくせに、こういう時ばかり、金に糸目を付けないんだか!」
折角逸れ掛けていた話題が、気付けば再び店の経営の話に戻っていた。
「そりゃあ、お前さん逆だよ。本当に作りたいもんを作るために、普段は我慢してんのさ」
「前に作った奴だって、まだ売れ残ってるんだよ⁉」
「良い道具ってのは、いつだって良い持ち主を引き寄せるもんさ。そのうち売れるだろう」
厳時郎があっけらかんと言った。
「ならせめて、ネットのホームページにも載せようよ」
「いいや、こういうのは、しっかりと店まで足を運んでくれたお客さんにこそ、買ってほしい」
「気持ちはわかるけどさぁ、こんな田舎町に、こんな馬鹿みたいな値段の時計を買いに来る人いないって……ああ、急にスイスに行くの不安になってきた」
「ほーむしっく? って奴か」
「ちげぇよ、ハゲ」
孫娘の鋭利な一言で、厳時郎は時が止まったように動かなくなってしまった。
「だめだこりゃ、完全に固まってやがる」
「匠吾さんも椿ちゃんに嫌われないようにね」
刻音がニヒルな笑みを浮かべて言った。
「……親子二代に渡って家出でもされたら溜まったもんじゃないからな」
匠吾がそう言うと、
「三代の間違いだろう」ようやく硬直が解けた厳時郎がそんなことを言った。
「え、どういうこと?」
刻音が首を傾げるのが見えた。
「どうもこうも、そいつも家出をしてるのさ」
「人聞きの悪いことを言うな。俺が家を出たのは、中学卒業して働き口が見つかってからだ」
中学校を卒業してから直ぐに師匠に弟子入りし、住み込みで師の家で働いていたのだ。それを家出とは言わないだろう。
「だが、一度も家に帰らなかっただろう」
「……まあな」
「何? 匠吾さんご両親と仲が悪かったの?」
「まあ、そんなものさ」
匠吾が幼少の頃、彼の家は比較的裕福であった。しかし、それも彼が中学項に上がる前には見る影もないほど落ちぶれていた。匠吾の父は、自分を大きく見せたがる人間だった。常に男らしい自分を演出しながら、周りにどう見られるかばかりを気にする、女々しい小心者だった。
年から年中威張り散らす鬱陶しい男だった。家に金がある頃はそれでもよかった。しかし金が無くなれば、余裕もなくなる。家が落ちぶれてからの父はいつも苛立っていた。仕事を点々としているうちに、やがて父は酒浸りになり、被害妄想に怯えるようになった。物に当たり、人に当たるようになった。匠吾はそんな父を軽蔑していた。その視線に父は目ざとく気づき、家の中では何時も怒声が鳴り響くようになった。毎晩父に殴られ、殴り返し、罵り合い、そんな日々が続いていた。
中学二年生になった頃だろうか、父の浮気が発覚し、母が妹を連れて家を出た。父の浮気は切っ掛けに過ぎず、原因はこれまでの積み重ねだったのだろう。なぜ自分を置いていったのかなどと、疑問には思わなかった。母にとっては自分も父と同じ乱暴者にしか見えなかったのだろう。そして匠吾は中学校を卒業と同時に家を出て、二度と生家に帰る事は無かった。
「お前の娘が家出をしたと聞いた時、俺はああ、お前の血だなと思ったものだ」
厳時郎が他人事の様に言うが、匠吾はそれを否定する。
「俺の血なものか。あの娘は母親似さ」
それから匠吾は壁に掛けられていた時計を見て立ち上がった。「さて、そろそろいい時間だし、帰るとするか」
「ん、それじゃ、気を付けてね匠吾さん」
「ああ」
匠吾は後ろ手に手を振って、店を出た。
曇り空の下、車を走らせながら、匠吾は先ほどまでの会話を反芻していた。
「……血なものか」
気付けば、匠吾は独り呟いていた。
そうだ、血なものか。あの娘は俺になど似ても似つかない愛情深い娘であった。
だからきっと、
――親に似ちまったのは、俺の方だろう。
だから子供にも逃げられたのだ。匠吾はあんな男にだけはならないと心に決めていた。
口先ばかりの空虚な人間になど、俺ははならない。自分しか愛することのできない、人間になど俺はならない。俺は人を傷つけることしかできないような、そんな大人にはならない。そう思っていた誰かは、一体どうなった。無自覚に人を傷つける、誰も愛することも出来ない空虚な怪物は、一体誰の末路だ。
知らず知らずのうちに、匠吾は最も忌み嫌う人間の同類と慣れ果てていた。否、初めから彼はそちら側だったのかもしれない。しかし今となっては、最早そのどちらでも同じことだ。結末はとうの昔に迎えていた。
あの男を匠吾が酷い父親だと思うように、この男を明美は酷い父親だと思い、彼女は家を出た。それだけの話だ。
家に帰り着いた匠吾は、珍しく何もやる気が起きず、ソファに座り、ぼんやりとテレビを眺めていた。
「ただいま」
ふと、廊下からそんな声が聴こえてきた。椿が帰ってきたようだ。時計を見れば、もう既に夕飯の支度をしなければいけない時間帯であった。彼は立ち上がり、廊下へと出た。
「お帰り」
「うん、ただいま」
彼女がまたそう口にした。
匠吾は台所へと向かおうとして、足を止めた。急に夕飯を作るのが面倒になったのだ。
「今日は外食でいいか?」
自室に戻ろうとしていた椿が、立ち止り振り返る。
「私はそれでも構わないよ」
「何か食べたいものはあるか」
「……蕎麦、とか?」
思案するよウニ首を傾げた後、彼女はそういった。
「蕎麦か」それならば、最近新しくオープンした店があった筈だ。そこに行ってみるのもわるくない。「よし、分かった」
「うん、その前に制服着替えて来る」
「ああ、待っとる」
椿の着替えを待ち、二人は家を出た。
「ところで椿、クリスマスプレゼントは決まったか」
まだ夕飯には、少し早い時間である。もしもクリスマスプレゼントがまだ決まっていないようなら、ショッピングモールで彼女の欲しい物でも探しながら、時間を潰そうと彼は考えたのだ。
しかし椿の返答は意外なものであった。
「うん、実は欲しいものがあるんだ」
彼女が何かを欲しがるとは、思ってもいなかった。匠吾は僅かばかりか、驚いていた。勿論、それを顔に出したりなどはしなかった。
「ほう、言ってみなさい」
ただ彼はそう訊いた。
「……油絵具、が欲しい」
「そうか、分かった」
彼女が絵に興味を持っていることは、匠吾も薄々感付いていた。以前に彼女の部屋の前を通りかかった時に、僅かにシンナーの臭いがしたのは、恐らく油絵の画材の匂いだったのだろう。
椿はこれまで自分から絵に興味があると、明確に意思表示したこともなければ、絵を描いている素振りも、匠吾には見せようとしなかった。ただ彼女の瞳には、小さな情熱が燻っていたことを、匠吾は知っている。
彼女がどうして絵を描かないのか、匠吾走らなかった。明美の死が原因なのか、それとは別の何かが原因なのか。何にせよ、彼女には描かない、或いは描けない、事情があると思い、彼は敢えてそこに踏み込もうとはしなかった。
それがまさか、椿が自分から油絵具を欲しいと口に出すとは、彼は思いも寄らなかった。
椿が何を抱え、何を乗り越えたのか。匠吾は知らない。彼が知らぬ間に、彼女は己を乗り越えたのだ。全くもって大した娘であると、匠吾は心底感心してみせた。
それに比べて自分はと、匠吾は己を卑下したくなる。しかし、感情任せの自己嫌悪に意味はない。卑屈になって自分を攻めたところで、何の生産性もない。考えているようで、何も考えていない停滞した状態だ。
後悔に意味はない。とうに過ぎた結末を今さら悔いたところで、過去が変る事は無い。
彼の自己嫌悪も後悔も、全てが過去の記憶に紐づいている。ならそれら全ては、無駄な感情である。
ただ何の偶然か、彼はまた別の物語の登場人物となってしまった。彼にとっての後日譚は、ある少女の物語の序章であった。
匠吾は自分がその少女のために、何かしてやれるなどとは思っていない。ましてや、本当の親のように導いてやれるなどと、思い上がった考えなど持てやしない。ただ与えられた役割はこなさなくてはならない。
今はもういない誰かの代役として、彼はいつか演じきれなかったその役を、再び演じなければならなくなった。
それを償いなどとは呼ぶつもりはない。自身の罪悪感を誤魔化すために、誰かを利用する気はない。道化を演じるのが、道化師の役割であるように、彼はただそう在るべきだから、その役を演じるのだ。それが正しいことだと信じて。
不意に車の窓ガラスを雪の粒が叩いた。
匠吾は人知れず、心の中で問う。
――探し物は見つかったか。
その問いは、果たして誰に向けられたものだったのか。
溜息が多い彫金師と孫 浅沼深作 @asa_numa
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