三章 がびがび編

第50話 さ、今日も張り切ってコンテンツコンテンツ!

 潮目村から帰還して一週間。

 セナノは灯らぬ社を処理した功績が認められ、無事に卒業した。


 本人は報告書に空澱大人の事を記したのだが、その全てが不要かつ荒唐無稽な情報として削除された状態で受理されるなど、おかしなことがあったがそれ以外は概ね順調である。

 

 これから彼女は、最年少S階位の凄腕縁者として活躍していくのだ。

 のだが。


「はぁっ、はぁっ、セナノさん、ちょ、ぜぇっぜぇっ」


 彼女には悩みの種があった。


「もう、まだ走り始めて五分じゃない」

「きゅ、きゅうけいを……」


 いつもの早朝ランニング。

 それに同居人であるエイが加わった。


 潮目村での一件で思う所があったのか、以降はセナノの訓練に付き合うようになっている。

 それ自体は大変好ましくセナノからしても好印象なのだが、問題はエイの特性に合った。


「ふぅ……」


 エイは立ち止まり、襟をつかんでパタパタと仰ぐ。

 汗が鎖骨をなぞりその中へと流れ込んでいく光景を見て、セナノは顔を真っ赤にして顔をそむけた。


「セナノさん?」

「お、女の子なんだから、そんなに胸元開けるのやめなさい! エリートじゃないわ!」

「大丈夫ですよ!今日は男の子ですから!」


 エイはそう言って自信満々にサムズアップをする。

 が、それならそれでセナノの内心は大変なことになっていた。


「もしかして、疑ってます? なら、上を全部脱ぐので――」

「ワッ、ワァ!? やめなさい!」


 声が裏返った悲鳴を上げながら、セナノはエイの手を掴む。

 そして、首を振った。


「わかった。信じる。信じるから絶対にそういう事をしないで」

「? わかりました」

「最後に確認するけれど、今日はなのね?」

「はい! です!」


 そう言って胸の前で拳を作る姿はどう見ても華奢な少女である。

 その見た目で男であるという事実と、汗でぴったりと張り付いたTシャツを見て、セナノの中にあるエリートメンタルが一瞬揺らぐ、

 が、すぐにぐっと持ち直した。


「そ、そう。まあ、別に私はどっちでもいいけれどね。エリートは状況に左右されずに必ず結果を出すものよ」

「流石セナノさん!」


 エイは感動した様子でセナノの手を握る。

 その瞬間、カッっと顔が熱くなるのを感じてセナノは空を見上げた。 

 相変わらず廻縁都市では青空は見えそうにない。


「これからも私をビシバシ鍛えてくださいね!」

「っ、わ、わかったわ!」


 目下最大の問題は、エイの性別が男にしろ女にしろセナノにとってどストライクな事であった。

 そこに無自覚にエイが積極的に接触してくるものだからたまったものではない。

 自分がエリートであると何度も暗示をかけることで、彼女はS階位としての尊厳を保っている状態であった。


 そして、悩みの種はもう一つ。


「あ、セナノ先輩ー!」

「来たわね(絶望)」

「あ、ハカネさん、おはようございます!」


 朝霧の向こうから、同じジャージ姿の後輩が姿を現す。

 その顔は、主人を見つけた忠犬の様に輝いていた。


「おはようございます! セナノ先輩、そしてエイちゃん」

「はい、おはようございます!」

「……相変わらず、お美しい」


 ハカネがぼそっと呟いたのをセナノは聞き逃さなかった。

 ここ数日で、セナノは気が付いたことがある。


 それは、ハカネから自分へと向けられるBIGLOVEについてだ。

 ここ数日間、一緒に走ったのだがその視線の動きや会話の妙なズレなどが、エイに翻弄されている自分に酷似しているのである。


 妙な興奮状態にあるその姿を、セナノは自分という名のサンプルを通して恋であると看破していた。

 よもやハカネも、数年間秘めていた思いが可変式生贄疑似媒介体をきっかけに思い人本人にバレるとは思っていないのだろう。


(まあ、私のエイに対する感情は、単に今まで人と接する機会がなかった故のものなんでしょうけれど。馴れよ馴れ)


 エリートは、ぼっちを内心で孤高と言い換えた。

 同時に自分はまともであるという暗示をしっかりかけて置く。

 メンタル調整はエリートの基本技能なのだ。


「……セナノ先輩、良い……」


 思考が漏れ出ている事に気が付いていないのか、ハカネはそう呟きセナノを見つめる。

 セナノはその視線に気が付かないふりをしていた。


 やがてハカネはカッと目を見開いてエイを指さす。


「エイちゃん、絶対に負けないからね……!」

「はい。今日もよろしくお願いします!」

 

 ハカネは恋のライバルとして、エイは一緒に頑張る仲間としていつもの様に挨拶を交わす。

 ここ数日のルーティンだ。


(うーん、胃が痛いわね!)


 同性の後輩が自分へと好意を向けている。

 それだけでも悩みであるというのに、その恋のライバルが災主級の疑似媒介体であるのだ。

 しかも、エイはエイでセナノに執着心のようなものを持っている。


 二人が本当に敵対心を抱いた場合、まず間違いなくハカネがすぐに死ぬだろう。

 彼女が死ぬだけで済めば良い方である。


(私に関わりのある人全員を始末する可能性も……いやいや、考えすぎね。ナイナイ……無いわよね?)


 最悪の未来を辿った先にいるヤンデレエイを想像しそうになったセナノは自身に喝を入れて誤魔化す。

 そんな彼女の目の前では、ハカネがエイに何か紙を見せつけているところだった。


「エイちゃん、これを見て!」

「なんですかこれ?」

「私、今度から異縁存在の処理を請け負うことが出来るようになったんだ!」

「? よくわからないですけど、おめでとうございます!」


 エイはとりあえず、祝い手を叩く。

 セナノも感心するように声を上げた。


「へえ、やるじゃない。異縁存在を実際に処理できるってなるとD階位よね?」

「はい。プロの縁者に手伝って貰う形ではありますけれどね。そ・し・て」


 ここからが本題だと言いたげな様子でハカネはセナノに紙を差し出す。


「丁度目の前に参考にしたいプロの縁者がいます! どうか、手伝ってくれませんか!」

「私?」

「はいっ!」


 まるで恋文を渡すように、勢いよく頭を下げてハカネは紙を差し出す。

 それは任務の認可書であった。

 既にセナノの名前を書くところ以外は全てが埋まっている。


「うーん……」

「駄目、ですかね」


 セナノはエイを見る。

 もしも一人であったのならすぐにでも受けたいところだったが、セナノが移動するという事はエイも一緒に移動するという事だ。

 エイの無垢ゆえの勘違いで今はハカネとの関係を保っているが、この任務を経てどうなるか分かったものではない。


(けど……私以外にもこの子は交流が必要ね)


 セナノはやがて、その紙を受け取った。

 自分やハカネの為ではなく、エイの成長のために。

 自然と優先順位をつけていたことに自覚のないまま、セナノはハカネへと笑顔を向ける。


「言っておくけど、私は厳しいわよ?」

「望むところです……!」

「ハカネさん、頑張ってください!」


 意気込むハカネを、エイは他人事のように応援している。

 その光景を見ていると、なんだか問題が無いように思えた。


「で、どんな異縁存在なのかしら。私達、前は海に行ったから、別の場所がいいわね」

「ご安心を。今回私が担当するのは、とある一家に発生した小規模な異縁存在ですので」


 そう言ってハカネは、胸を張り笑う。

 まるで、この任務を達成できることを確信しているかのようだった。

 


 


 

 

 


『ソラ、この子もコンテンツですか……?』

『後輩キャラは必要です! こちらで栽培する手間が省けて良かったですね!』

『人間は野菜じゃねえぞ』


 今日の空も良く晴れそうだ。







 最初に感じたのは、家の中の空気が言い訳を始めたことだった。


 何かが起きる前から、起きた理由を先回りして用意しているような、そんな気味の悪い重さ。


 兄が死んだ日、セイカは自分の部屋でスマホを見ていた。


 友人とアプリ上でメッセージのやり取りをしていた彼女は、友人からの返事がなくなってしばらくしたところでショート動画を見始める。

 いつも通りの怠惰な日常だ。


 そう、いつも通り。


 廊下の向こうで、母が兄の名前を呼んでいる。

 おそらくは風呂に入れとでも言いに行ったのだろう。


 一度名を呼ぶ。

 返事はない。

 二度、苛立ちと共に呼ぶ。

 しかし、それでも返事は返ってこなかった。

 三度、母は苛立ちをアピールするように足を踏み鳴らしてセイカの隣の部屋へと向かう。

 四度目は声にならない。

 劈くような母の悲鳴だったから。


 兄の部屋は暗かった。

 ベッドに縋りつく母に、顔を青くして救急車を呼ぶ父。

 幼い弟を抱えて一階に降りる祖母。


 セイカだけはその光景を夢のような浮遊感と共に眺めていた。

 その中でもはっきりと覚えているものがある。


 それは兄の部屋にあったモニターであった。

 モニターはついたままなのに、画面は真っ黒で音だけが潰れたノイズとして残っていた。


 セイカはその音を最後まで聞かなかった。

 死が電子音となって自分の鼓膜をすり抜けて脳へと入り込んできていると錯覚してしまうからだ。


 後日、警察は首を傾げ、医師は言葉を濁し、誰も「原因」を言わなかった。

 否、わからなかった。


 それが一番、家族を不安にさせた。


 祖母は兄の遺影の前で何度も手を合わせていた。


 祈っているのではない。

 何かを探しているように見えた。


 葬儀の夜。

 母が居間でぽつりと呟いた。


「……うち、昔さ」


 セイカは覚えている。

 その瞬間、家の奥がほんの少し息を吸ったことを。


「神様、祀ってたよね」


 言葉は軽かった。

 だからこそ、セイカ達に深く刺さった。


 それから、一家に神棚が戻った。

 押し入れの奥にあったそれは埃をかぶっていたが、壊れてはいなかった。


 神棚が戻ったその時、祖母は何も言わなかった。

 ただ、目を伏せただけだった。


 そして謝る声が増える。

 父は朝、母は夜。

 誰に謝っているのか、セイカには分からなかった。


 分からないのに、家は理解している前提で静かになっていく。


 祖母が死んだのは、それから一週間後の雨の日だった。

 老衰だった。


 けれど母は、ぽつりと呟いた。


「……続いたね」


 その言葉で、家の中に順番が生まれた。


 セイカは、夜中に目を覚ます。

 台所の方で、紙が擦れるような音。


 行ってみると、何もない。


 ただ神棚の前だけが少し暗い。

 暗いというより、深い。

 まるで一歩そこに足を踏み出せばどこまでも落ちて行ってしまうのではないかと錯覚してしまう。

 


 朝、母は神棚の前であっさりと死んだ。

 正座の形で前屈みになっているその姿勢は座っているようにも見えた。


 近づくまで、セイカはそれを死だと認識できなかった。


 母の顔は、泣いていなかった。

 セイカはその顔に覚えがある。

 あれは、謝りきった人の顔だった。


 喧嘩をして、悪さをして、自分に非があって何度も謝って受け入れて貰った時の安堵の顔だ。

 だから、セイカは悲しまなかった。

 母は許されたのだ。


 父は、それからほとんど話さなくなった。

 仕事から帰ると、神棚の前に立ち、何も言わず長い時間そこにいた。


 セイカにはわかる。

 待っているのだ。


 それが何なのか明確にはわからない。

 しかし裁定であることは確かだった。


 その日以降、弟は夜になるとセイカの布団に潜り込んできた。


「なんか、みられてる」


 幼い弟は最近ようやく言葉を話せるようになったばかりである。

 その言葉はたどたどしく要領を得ていない。

 でも、間違えてもいなかった。


 そして父が死んだのは、静かな朝だった。


 浴室のドアは半分開いていた。

 水は止まっており、浴槽は空だった。


 父は、その中で服を着たまま座るように倒れていた。


 目は閉じられ、表情はやはり納得しているように見えた。

 その瞬間、セイカの中で何かが切れた。


(次は私だ)


 自分は一度も祈らず、手も合わせず、過去の日常にしがみついて生きてきた。

 故に、こんなふうに安らかには死ねない。

 もっと苦しみ、後悔の中に顔を歪ませて死ぬはずだ。


 その夜、セイカは神棚の前に立った。


 弟は後ろで息を潜めている。

 二人共、手は合わせなかった。


「……嫌だ」


 セイカの声は震えていた。

 その瞬間家がきし、と音を立てた。


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