第39話 ガキが……舐めてると潰すぞ^^
最初の拍手が鳴った瞬間、世界の明度が一段、落ちた。
幼体の無数の手がゆっくりと動き、掌と掌が触れ合う。
澄んだ拍手が、空気を裂くように響く。
すると、周囲の景色の一部が一瞬で黒に染まった。
光は音に従って消え、そこには何もない空間が生まれる。
見渡す限りの暗闇。それは穴ではなく、世界の複製だった。
「っ……まさか、自身の迷宮を増やしているの?」
セナノが舌打ちする。
拍手が一つ鳴った。
黒い迷宮が生み出され、空間を侵食し現実と重なっていく。
それらは、まるで滲むように広がりを見せていた。
エイは叫ぶ。
「糸で結界を!」
伽骸ノ嫁が即座に動く。
血糸が空間に広がり、次々と黒の境界を縫い付けていく。だが幼体の手は止まらない。
拍手の音が次第に早く、重く、響きを増していく。
「駄目です、間に合いません!」
ぱん、と鳴るたびに、現実が削れていく。
丘が沈み、海がひび割れ、空が裂けて、闇が滴る。
そしてそれぞれの闇の中には、もう一つの社が現れていた。
それは幼体が生み出した影の社。
同じ構造を持ち、同質の存在を育てる暗黒の巣だ。
「数が多すぎます! セナノさん、どうしましょう」
「こういう時は、本体をぶっ叩くのよ!」
セナノは迷宮の合間を縫うように駆け出し、その歩みを舞としてヒバリに奉納する。
舞うように跳躍し、落下と同時に大地を踏み鳴らした。
その一歩の奏でる音が、波紋のように広がる。
ヒバリはより巨大な鳥へと変化し、周囲に浮かぶ迷宮へと赤い亀裂を走らせた。
「全員が同じ異縁存在なら、構文の焼却も手法は一つで事足りるわ。あのお山のボスを処理する前にまさか練習台ができるとはね!」
ヒバリの翼が刃の様に円を描き、焔が舞う。
焔は光を灯すことなく、むしろ闇を削り取るかのように回転した。
真っ赤な炎が幾重にも舞い、ヒバリは幼体の手の一つを焼き切る。
だがその瞬間、幼体はまた別の手を叩いた。
その音が空間の奥底まで響き、背後の空間が闇に覆われた。
そして焼き切ったはずの手が内側から押し出されるように復活する。
(焼却したけれど生えてきた。再生ではなく、手の再生産ね。それでもあれ以上手が増えないという事は、奴の手の数には限りがある)
戦いの中で、セナノは一つ一つ目の前の異縁存在の特徴を理解していく。
「セナノさん、気をつけてください!」
「焦らないで。異縁存在と戦う時はどんな場合でも平常心よ」
拍手が二度、響く。
その瞬間、セナノの両脇に迷宮が二つ現れた。
『縫い足らぬ……』
伽骸ノ嫁はその腕を広げ、血糸を展開し、迫り来る闇を裂く。
血の糸が闇を縫い止め、黒い空間が一瞬だけ揺らいだ。
しかし、その隙を縫って幼体の手がさらに叩かれる。
七度、八度――拍手の音が重なり、世界が崩れた。
辺りは殆どが暗黒の迷宮と化す。
丘も海も空も消え、そこに残るのはただの闇だけだ。
「これが卒業試験とか……私が選んで本当に良かったわ」
セナノは呆れたように渇いた笑みを浮かべた。
そんなセナノに見せつけるかのように、闇の中央で幼体は静かに両腕を広げる。
鳴らされた手は、合掌のように合わされ、空いている手は一組だけ。
つまり、残るは最後の一拍。
それが響けば、全ての迷宮は統合され、この辺りは全て灯らぬ社そのものに呑まれるだろう。
(どう見ても異縁存在としては完成形じゃない。狙うは、取り込まれた民間人ね!)
長年の経験から、セナノはその力の根底に囚われた人間の存在があると看破していた。
彼女はこの状況でも焦ることなく、エイへと指示を出す。
「エイ! あの赤ん坊に吸収された民間人を救出することを優先しなさい! 私はあの手を焼き切るわ!」
「はい!」
二人は同時に動き出した。
地に封じた血糸が一斉に解き放たれる。
ヒバリが焔を生み、嫁の糸が血の渦を描く。
焔と血が絡み合うように、幼体へと伸びた。
と、その時幼体の最後の手が動く。
その手が鳴るのが先か、それとも二人の攻撃が届くのが先か。
一秒の遅れが命取りになるその攻防の最中――空が鳴った。
ぱん、とまるで幼体を真似る様に拍手が空から響く。
幼体とセナノはその音に驚いたのか、弾かれたように同時に空を見上げた。
視線の先、空の青が裂けている。
雲の様に白い亀裂が走り、そこから目が覗いた。
誰もが知るはずのない、■■■■の眼差し。
「あ……ぁ」
セナノの口から、言葉にならない音だけが絞り出されている。
直立不動で空を眺めるその傍らでヒバリが機能を停止して堕ちた。
世界の上層から、透明な圧が降りた。
光も音もない。
ただ空そのものが見下ろすように、幼体の腕を視線だけで掴んだ。
それに抵抗するように幼体は再び動き出し、無理やり拍手をしようとする。
――ぱん。
最後の手が叩かれるはずの瞬間、乾いた音が違う形で響いた。
手が潰れ、肉が爆ぜ、腕が花のように弾けた。
暗闇の膜が裂け、血と光が混ざり合う。
幼体は叫びもせず、もがいた。
光と闇の境界が崩れ、無数の迷宮が一気に瓦解していく。
ひとつ、またひとつと、何事もなかったかのように消えていった。
エイは慌てて駆け寄り、背伸びしてセナノの背後から視界を覆う。
「……ありがとうございます、御空様。もう大丈夫ですから、お帰りください」
彼女の小さな声は、青く澄み渡った空に吸い込まれていった。
やがて静寂が訪れる。
迷宮は完全に消滅し、丘には再び風が吹いた。
だが、その空はもう以前の青ではなかった。
より高く、深く、まるで誰かが覗き続けているようであった。
【縁理庁提出報告書】
文書番号:EN-RPT-06
提出者:三鎌セナノ(S階位縁者)
所属:臨時調査班『灯らぬ社』派遣班
同行者:折津エイ(見習縁者)/封祀管理班所属縁者数名
対象存在:EN-XX43-JP『灯らぬ社幼体(仮称)』
補足干渉存在:EN-XF-SORA-0815-ACT2『空澱大人』干渉痕確認
■任務概要
本任務は、潮目村山中に確認された「灯らぬ社」影像構造の異常膨張に伴う緊急対処および封祀維持を目的として実施されたものである。
現地では「社の影」の拡大および迷宮化現象が観測され、通常の封祀結界による抑制が不可能な段階に至っていた。
これを受け、当班は現地班(封祀管理班)との連携のもと、異縁存在の挙動分析・結界修正・内部干渉を試みた。
■発生状況
・14:34 初回の「拍手音」発生。
以降、対象存在が拍手を行うたびに局所的空間の明度・音響が低下。
一定範囲の景観が完全に黒化、すなわち迷宮断層が形成された。
以降、拍手回数の増加に比例して複数の黒層が重なり合い、それぞれが独立した異界構造を有する迷宮群を構築。
これを当班は「自律的多層迷宮生成」と定義。
・14:45 伽骸ノ嫁の血糸結界により初期侵食を抑制。
しかし、拍手による迷宮生成速度が予測を超過。
同時に、黒層内部に影の社と呼称される反射構造を確認。
・14:47 迷宮が八層に達し、周辺地形(丘・海岸・空)が一部に黒化。
折津エイの指示により伽骸ノ嫁を媒体とした外部干渉を実施。
結果、幼体の手部一基を焼却(再生確認)。
再生ではなく再生産型組織の可能性を確認。
・14:50 対象が最終段階の拍手動作を開始。
その際、上空にて異常現象発生――空が鳴る。
拍手音に酷似する二次音が、明確に空上層から逆位相で発せられた。
・14:51 空中に裂け目発生。
白亀裂状の視覚異常と、内部に視線構造を確認。
NARROWが起動を停止し、これ以降の映像、および時刻の確認は不可能。
一時的に視覚麻痺を発症。
その直後、幼体の最終手部が破裂・消滅。
以後、迷宮群は全層同時崩壊。
■観測結果および推定
・拍手動作と空間生成の関係性
幼体の拍手行為は音響波ではなく、異界層の増殖指令として機能していたと推測される。
音ではなく、位相的なリズムにより空間の再構築を行っていた。
・空澱大人の干渉について
最終段階で観測された空上層の裂け目および目状構造は、
過去記録 EN-XF-SORA-0815-ACT2『空澱大人』における上層観測干渉現象と一部一致する。
同存在が拍手(空遮断)の成立を拒絶した結果、幼体の右上腕部が自壊的破裂を起こしたと見られる。
ただし、両者の意図的干渉・共鳴関係については不明。
・灯らぬ社の本体について
本件における幼体は、明らかに媒介体もしくは代替であり、灯らぬ社そのものの本体(神格核)は未確認。
空澱大人による干渉が一時的な表層封鎖をもたらしたのみで、根源的存在は依然として山中深部、もしくは別層に残存している可能性が高い。
■被害および影響
封祀管理班:負傷者無し。
折津エイ:軽度の位相汚染痕を確認。現在経過観察中。
伽骸ノ嫁:外形変化なし。干渉後、沈黙状態に移行。
現地環境:丘周辺の磁気異常値が依然として高い(観測継続中)。
■結論
灯らぬ社本体は未確認であり、今回の幼体は器の一部、もしくは媒介体。
空澱大人の干渉により対象は一時的に停止したが、恒久的な封祀・鎮静には至っていない。
今後の対応として、
- 潮目村山域の封鎖強化
- 折津エイおよび伽骸ノ嫁への心理・位相検査の継続
- 灯らぬ社本体の所在調査許可申請(深層儀式記録の再解析)
を要請する。
■補記(個人記述)
迷宮が崩壊した後、空は異様に澄んでいた。
だが、その澄み方は「清らか」ではなく、むしろ覗かれている感覚を残すものだった。
あの瞬間、空澱大人は確かにそこにいた。
あれが神格の連鎖なら、私たちはいずれ空を見ることすら、許されなくなるのかもしれない。
――三鎌セナノ(S階位縁者)
添付資料:
・現地写真データ(赤外線/結界干渉波形)
・位相観測ログ抜粋(封祀管理班記録No.077)
・エイ体表汚染分析値報告(縁理医研試料No.1025-EI)
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