第37話 私が出るまでもないソラよ

 一行が駆け付けた先で見た物は、闇であった。

 青空の中にくっきりと浮かび上がるその漆黒は、まるでその部分だけを塗りつぶしたかのようにそこに存在している。


 山の麓、畑が広がるなだらかな丘の上に唐突に現れたソレは、間違いなく闇であった。

 

「……観測拠点から距離は約100m。縁波密度はまだ標準内ですが、封応値は既に異常域です。言うまでもないでしょうが、灯らぬ社の異縁現象ですね」


 目視で確認しながら大河はそう告げた。

 その横では数値を小川が記録し続けている。今までの気の抜けた様子はなく、その目と手はせわしなく動き続けていた。


「これまでもこのような被害があったのですか?」

「いえ、以前は入ってしまった者を取り込むだけでした。しかしあれは……どう見ても人がいた場所を狙っていますね。あの中は迷宮と見るべきでしょう。明かりをつければ、山と同じように奴に消される」

「迷宮を限定的に展開できる……? いえ、それにも条件が何かある筈。もしかして思考寄生が可能な異縁存在なのかしら」


 畑の中に現れた黒い闇を凝視しながらセナノは推測を続ける。

 その光景をミナコは感心するように見つめていた。


「よくわかるね」

「教本にあるのよ。伝承型は人の思考に寄生することもあるって。だから伝承型は処理が難しく大掛かりになる。貴女達が何年もかけているのがその証拠よ」

「成程、確かにやたら居るなぁって思ってたんだ。確かに、ここの村は夜になると明かりがつかないんだよね。山の中じゃなくても、深夜零時を過ぎたら街灯も消えるんだ」

「それが原因で、この村の人達は半分窓のような存在になっていたのかもしれないわね。そうなると、他の村人も危険だわ。早く条件を割り出さないと」


 セナノはそう言ってギターケースを床に置き、開封を始めた。

 その行動が意味することはNARROWの使用に他ならない。

 待ってましたと言わんばかりにミナコは窓枠から降り立ち駆け寄る。


「きたきた! NARROWを使うんでしょ!」

「まだ準備の段階よ。申請を出してようやく使用の許可が下りるわ。それまでは自由に使えない」

「えー、ちゃっと出してパパッと使えないの?」

「貴女ねぇ……仮にもこれは異縁存在なのよ? いくら構文によって封じているとはいえ、その使い方は慎重になるに越したことはないわ」

「そうなんだぁ……」


 ミナコはがっかりしたように再び窓枠に腰を下ろす。

 それを見てセナノは内心で首を傾げた。


(……そう言えばこの子、何もしないんだ)


 道案内など、村人のような事を主にしているのか、今まさに縁者が対応する事象が起きているこの瞬間においてミナコは実に手持ち無沙汰であった。

 かといって、大河と小川も何か言う事はない。見ていれば役割は二人の間で完璧に完結している。

 

(地方の学校とはいえ卒業している筈だから、もう立派な縁者だとは思うのだけれど……)


 何か違和感があった。

 目の前で灯らぬ社の異縁現象が起きているというのに、一度気になってしまえばミナコの妙な異常性が浮き彫りになってくる。

 いや、こういった時だからこそだろうか。


(基本となる行動が出来ていない。……する気がない?)


 縁者であればどう動くべきか。

 そのマニュアルが全て頭に叩き込まれているセナノからすれば、今のミナコは一般人に見えた。一人だけ私服であることも相まって浮いている気がする。


「貴女も何か仕事を――」


 そう言いかけたその時、入り口の方から気の抜けたのんびりした声が聞こえた。


「セナノさんセナノさん、空に大きな社が浮かんでいますよ!」


 エイがそう言って空を眺めている。

 その視線の向こうには、逆さになった社が浮かんでいた。

 山よりもはるか上に半透明で浮かぶそれは、まるで蜃気楼のようである。

 木造の古びた社殿は、今までもそこに在ったかのように鎮座していた。


「結構はっきり目視できるわね」

「報告書で見たやつです! おっきいですねぇ」

「そうね。……って、なにしてんのよ」


 一人山ではなく社の方を観察していたエイは、何かを呼ぶように大空に手を振っていた。

 自分の存在を知らせる様に大きな動きでエイは手を振り続ける。


 その視線は、社と言うよりはその向こうへと送られているように見えた。

 まるで空の上に誰かがいるかのように。


「――っ、エイ駄目よ!」

「え?」

 

 突然の声に観測拠点にいた全員がセナノの方を見た。

 注目が集まる中、セナノは必死に言葉をくみ上げる。


「も、もしあの社に手を振って何かあったらどうするの? ほら、こっちで一緒に数値の確認!」


 そう言ってグイグイとエイの手を引いたセナノは、誰にも聞かれないように周囲に気を使って小声でエイに告げた。


「貴女、空澱大人を呼ぼうとしてたでしょ? 絶対に駄目よ。それで灯らぬ社がどんな反応をするのかわかったもんじゃないから」

「? 呼ぶも何も、御空様はずっといたじゃないですか」

「……っ」


 空澱大人は、空という巨大な空間そのものに巣食う異縁存在である。

 故にエイの言葉は至極真っ当だ。

 しかし、こうして改めてそう言われると、それがどれだけ恐ろしい事なのか実感できた。


「後はこちらを見て貰うだけでいいんです。それに、おじいさんが大変なんですよね? だったら、早く助けてあげないと!」

「それはそうなんだけれど……」


 確かに、空澱大人であれば灯らぬ社を無力化できる可能性は十分にある。

 しかし、それは果たして無事に終わるだろうか。


(霧笑の時には大量の被害があった。ただその場に顕現しただけで、多くの人が心神喪失になってる。それに、あの時だって)


 それは、セナノが花嫁型の異縁存在と戦っていた時の事だった。

 空澱大人の力を行使する時、彼女はセナノの眼を隠していたのだ。

 まるで見てはいけないともで言うかのように。


(視覚による精神汚染があるなら、今ああやって社がある空に視線が集まるタイミングで絶対に使っちゃ駄目! 最悪、この村の人間が全員廃人になるわ!)


 灯らぬ社を処理したとしてもそれでは意味がない。

 今、セナノにはエイを納得させる理由が必要だった。


「……そ、そうだわ、貴女は切り札なの!」

「切り札……?」

「ええ。貴女はすっごく頼りになるわ。だから、いざという時に取っておきたいの。今はまだ様子見の段階だから、待っていて欲しいわ」

「切り札……私が、セナノさんのお役に立てるんですか……!」


 訝しげに話を聞いていたエイだったが、その言葉を聞いた瞬間にぱぁっと表情を明るくする。

 それはまるで、子供が親に褒められたかのように純粋なものであった。


「わかりました、セナノさんがそう言うなら御空様お願いしません!」

「そう、わかってくれてありがとう」


 セナノはホッとして胸を撫でおろす。

 取り敢えず、身内の脅威は一時的に封じることが出来た。


(あとは、私がヒバリでどうにか中にいるご老人の救助を)


 そう考えてギターケースへと視線をやったその一瞬の間に、エイはするりと人と機材の合間を縫って観測拠点の外へと飛び出す。

 そして村に響き渡る程の声でこういった。


「セナノさんに頼りにされているんです! 私、頑張りますよ!」

「ちょっと、私の話聞いていたの!?」

「はい!」


 エイは満面の笑みと共に何度も頷く。

 そして、奥に広がる闇を見据えて、指をさした。


「だから、こっちを使いますね」

「……は?」


 何か猛烈に嫌な予感がする。

 セナノがその勘に従い止めようとしたが、既に遅かった。


 空が一瞬硬化し、青が世に満ちる。

 刹那の間を空という名の支配者が満たし、やがてそれをエイの背後に堕とした。


「――伽骸とぎがらノ嫁」



 

 

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