第29話 怪異に対して電子系のセキュリティはあまりにも脆弱

 校舎内へと足を踏み入れた瞬間、外気とはまるで異なる冷気がエイの肌を撫でた。

 縁理学園の校舎内は明かりが灯っている筈なのに、どこかひやりとした静謐さに満ちていた。


 正面には長大な廊下が伸び、その両脇には幾つもの教室が規則正しく並んでいる。

 壁は白く磨かれているが、無機質さを超えて無感情な冷たさを放っており、歩く者をじっと監視しているように感じられる。

 床に敷かれた石のタイルは磨かれすぎて光を反射し、足音が一つ響くごとに廊下の奥へと鋭く跳ね返っていった。


「中も広いんですね」

「異縁存在を応用して、空間を捻じ曲げてんのよ。だから、外から見える10倍は広いわ」


 セナノはその事に何も思っていないかのようにさらりと告げる。

 

(好奇心旺盛な方が、まだマシね。臆病だとこれ以上進めないってこともあるでしょうし)


 縁理学園は、通うこと自体が一つの修行になるとも言われている。

 日本の異縁存在に対処する組織の中枢都市とも言える廻縁都市。

 その中に設立された唯一の教育機関では、外の世界の縁者よりも多くの事を求められる。

 それは当然、学生も同様だ。


 まだ登校時間ではないものの、廊下を多くの生徒たちが行き交う。

 決められた時間だけのカリキュラムではこの先、生き残ることが出来ないと知っているのだ。


「セナノ先輩、おはようございます」

「ええ、おはよう」

「セナノちゃん、おはよう」

「おはよう。今日も朝からお疲れ様」


 生徒達とあいさつを交わしながら、セナノはどんどんと奥へ進んでいく。

 すれ違いざまにエイを見た生徒達は不思議そうに首を傾げるか、嫉妬と共に見送った。


 その誰もが、エイの正体について気が付いていないようである。

 それもその筈だ。

 異縁存在を対処するための学園に、ほぼ野放しの状態の災主級疑似媒介体がいるなんて想像できる人間はいない。


(まだエイの事は廻縁都市自体に広まった訳じゃないのね。……って事は、上層部はこの事を秘密にしたまま活動するつもりかしら。まあ、判断としては間違っていないわね)


 縁者も千差万別。

 もしもエイの事を知れば、愚かにも自陣営に加えようとする者もあらわれるであろうことは想像に容易い。


「……エイ、今から貴女は普通の縁者候補生ね。変な事言っちゃ駄目だから」

「はいっ。ふふふ、こんなに生徒さんが多い学校初めてです。私の村では多くて全校生徒10人でしたから」

「そっちの方が指導は手厚くて良さそうね」


 軽口を言いながら、セナノはエイと共にある部屋へと向かう。

 その間も、セナノは多くの生徒に声を掛けられていた。


 名実共にあるセナノは、学園でも慕われているという事なのだろう。

 セナノもそれを馴れた様子で対応していた。


 と、その時である。

 中でもひときわ元気な声が、無機質で冷たい廊下に反響した。


「セナノ先輩ー!」

「ハカネ、廊下は走らない」


 青いポニーテールを揺らす小柄な少女は、セナノの注意など耳にも貸さず目の前まで駆けてきた。

 それから、背筋を伸ばして勢い良く頭を下げる。


「今度こそ、S階位おめでとうございます!」

「ふふふ、ありがとう。でも、そんなに大声で言ったら私がエリートのS階位だってバレてしまうわ! この縁理学園きっての大天才。最年少でのS階位だなんて、そんなに騒ぐほどの事じゃないでしょう?」

「その割にはセナノさん、嬉しそうですね?」

「エイ、余計な事は言わない」


 にやつきを抑えることが出来ずに口元を押さえて誤魔化すセナノは、エイを自分の背後へと引っ込める。

 しかし、その姿すらも後輩フィルターを通して見ると憧れの的であった。


「凄い……流石はセナノ先輩だ。ちなみに、公式にセナノ先輩の昇級が発表されるのは今日なので、まだ皆知らないんですよ。だから、お祝いは私が一番最初ですよね? ね?」


 ハカネの言葉に頷こうとしたその時、エイがセナノの後ろからひょっこりと顔を出す。

 そして控えめに手を上げて笑顔で言った。


「お祝いは私が最初ですよ。あの日は、特別美味しいコンビニのカレーを食べたんです……!」


 本人は純粋な気持ちでそう答えたのだろう。

 しかし、そんな素直な彼女の言葉にハカネはショックを受けて固まってしまった。


「…………セナノ先輩、この方は?」

「私はエイです! セナノさんと一緒に暮らしている……あ、そうそう! 縁者候補生なんですよ!」

「は? え、暮らして……えっ、せ、セナノ先輩と?」


 ハカネは停止しかけた思考を何とか回して、問いかける。

 エイはそんな彼女に無慈悲に頷いた。


「はい」

「……わぁ」

「えっと、ハカネさん、良ければ私ともお友達になってくれませんか?」


 もはや何も言えなくなったハカネへと、エイは手を差し伸べる。

 携えた笑みと、差し出された手には何の悪意も感じない。


 それがより一層に、ハカネの心を刺激した。


「せ」

「せ?」

「セナノ先輩の浮気者ー! うわああああん! S階位はおめでとうございますうぅぅぅ!」

「あっ、ちょっと待ちなさい!」


 セナノの制止を振り切って、ハカネは生徒たちの中へと消える。

 その光景がいつも通りなのか、特に生徒たちは立ち止まることなく、セナノを一瞥するか、あるいは普通に挨拶を交わして通り過ぎていった。


「お友達……この学園で作れるでしょうか?」

「うーん……」


 大丈夫。とは軽々しくは口には出来なかった。







 窓から差し込む光に照らされる生徒たちの影は異様に長く伸びていた。

 白い制服に身を包んだ縁者らは、教室、あるいは訓練場へと向かう。


 頭上を見上げれば、高い天井には古い梁が走り、その上に吊るされた灯具は朝でも淡く光を灯している。


 進むごとに、遠くから鋭い号令が響いていた。

 それは教官の声か、それとも縁者として生き延びるために奮起する生徒たちの声か。

 耳に届くたび背筋が自然と正され、足取りが重くなる。


 縁理学園には与えられた役割は教育だけではない。

 その中には縁者の活動をサポートする指令室も存在していた。


 セナノ達が訪れたのはその中でも最も重要度が高い任務をサポートする第一指令室である。


 ここに訪れる頃には既に周りに生徒たちの姿はなくなっており、重々しい扉だけが目の前に鎮座していた。


「……ここで授業を?」

「違うわよ。というか、今日は授業をしないわ。私も貴女もね」


 そう言ってセナノは平然と扉へと手を伸ばす。

 特殊な金属により対縁性を強めた重い扉は、セナノの制服に刻まれた識別構文を読み取るとすんなりと開いた。


 指先で扉を押しながら「手品みたいでしょ?」とにっと笑ってセナノは言う。

 そして、エイを手招きした。


「入りなさい。A階位以下は本来入れない特別な場所なんだから」

「何だかよくわからないですけど……特別な場所なんですね!」


 エイはそう言って、好奇心のままに部屋へと足を踏み入れる。

 それを見届けてセナノも入室する。

 中に入ると、そこはまるで異界の中枢神経だった。

 

 壁一面に張り巡らされた、多層式視縁モニター。

 画面には数十名の縁者たちの名前とコード、バイタルデータ、精神揺らぎグラフ、そして縁因子の変動曲線が脈動するように映し出されている。

 一部には、まるで夢の断片のような映像──任務中の縁者の視界と思しき像が曖昧なまま流れていた。


 部屋の中央には指令卓。

 そこに座るのは白衣と黒衣の職員たち。

 今の彼らは教師ではない。

 この場所での彼らは、縁を読み、それを操作する存在。

 冷静かつ迅速に、異縁存在と接触する生徒たちを損耗率以下で帰還させるのが仕事だ。


 「七班、縁震レベル上昇。補助電文投入を──」

 「了解、『語補式:灯の詞』送信開始。認識層補正を……はい、回復曲線入りました」


 会話は静かで、どこか演奏のように滑らかだった。

 誰も声を荒らげない。

 この部屋では感情が縁を乱す。

 だからこそ、彼らは感情を捨てた者だけが許される職務を担っている。


 天井には、縁者の走行経路を示す立体マップがホログラムで投影されていた。

 まるで蜘蛛の巣のように入り組んだ、無数の交差。

 それは都市ではなく、縁者たちが歩む可能性そのものだった。


「わわっ、凄いいろんな物がたくさんあります……!」

「お仕事の邪魔しちゃだめだよ」


 セナノはそう言って、一応エイの手を握っておく。

 が、余裕そうなその表情の裏は疑問で埋め尽くされていた。


(今はほぼ無害とはいえ、こんな重要拠点に疑似媒介体を招いて良いものなのかしら……。わざわざ指定してきたって事は、上は何か考えているんでしょうけど)


 この行為は、災主級に人類の防衛の中枢を曝け出すに等しい。

 しかし上層部はそれを容認するかのように、エイと共にこの場所に来るようにと命じたのだ。


(1週間、充分休んだ。そろそろお仕事だとは思っていたけれど……面倒な仕事じゃないといいわね)


 エイが絡んだ時だけ、上層部はやけに違和感のある命令を下す。

 その奇妙な謎を探ろうと、セナノが思考の海に潜ろうとしたその時だった。


「時間通りですね、セナノさん。流石です」


 声に意識を引き戻される。

 見れば、自分よりもずっと小さい体躯の少女がセナノを見上げていた。


「縁者は時間厳守。これは基本ですからね」


 ウェーブのかかった栗色の短髪に、体躯に合っていない大きめで黒のレディーススーツ。

 ぱっちり開いて聡明さと意志の強さを感じさせる黒目を持つ彼女こそ、セナノの担任でもあり、信頼できるオペレーター楽楽ミラクであった。


「ラクちゃん、おはよう」

「おはようございます。でもこの場でラクちゃんは止めてください。恥ずかしいので」


 感情というものが少ないこの場所では、ミラクのように朗らかに笑う存在は異物のようにも見える。

 これで感情を一切動かしていないといわれて、果たして誰が信じるだろうか。


「それでは、早速ですが説明をさせていただきますね」


 ミラクはセナノへと数枚の紙を差し出す。

 それにセナノが目を走らせるのと同時に、ミラクはそのタイトルを読み上げるように言った。


「特別措置による縁理学園卒業試験について」














『学園編がない!? ソラ、これどうするんだよ。俺はてっきりこのまま学園異能物になると思ったのに、セナノちゃんが卒業しちゃうよ!』

『安心してください。もしも学園編が欲しくなったら、全員の思考に空白を生んで無理やりコンテンツを生み出すので。それよりも今の私は、天才エリート美少女と天然可変美少女のコンビものが見たい気分なんです^^』

『そ、そっか……』

『不満ですか?』

『いえ! めっちゃ楽しみっす!』

『ヨシ』


 

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