第23話 灰と嘘

 無限に思える階段を上り、最上階を目指す。

 鉄とコンクリートの階段を、セナノは息を切らして駆け上がった。


(流石に舞を奉納しながら階段を上り続けるのはキツイわね……! 帰ったらトレーニングメニューの見直しをしましょう)


 昼間だというのに踊り場には影が沈殿し、蛍光灯は古びたガラスの中で死んだように暗い。


 靴底が階段を打つたび足音が高く響き、その残響が尾を引く。

 だがその音は、やがて一つ、二つと増える。

 間もなく、背後から誰かの足音が重なって聞こえ始めた。


 振り返る気はない。

 恐怖に駆られ振り返るなど、時間を無駄に消耗するだけである。


「セナノちゃん、もうすぐだよ!」


 シオンの声に、セナノはより一層強く地面を蹴り上げる。


 依然として踊り場を曲がる度、同じ景色が繰り返されていた。

 いつの物かわからない剥がれた壁紙、錆びた手すり、黒いシミの浮かぶ床。

 何階まで上がったのか分からなくなるほど、光景は寸分違わず続いていた。


 このまま一生この景色なのではないかと余計な事を想像して、セナノは首を横に振る。

 どれだけ悲劇的な結末が待っていようとも足は止められない。


 背後の足音は、もうセナノのすぐ後ろに張り付いているようだった。

 しかし、すぐに背中を押す様に包み込んだ熱が、足音を消し去る。


 そして数秒後には視界の端を緋色の鳥が翼を広げて飛んでいた。


(こうして使うと改めてこのNARROWの強さがわかるわね。防御も可能で、強引な儀式の焼却も出来る、それに単純な手数としてもカウント可能……文句のつけようがない、破格の強さだわ)


 そしてそれを与えられた自分もまたエリートである。

 そうして自分の自尊心を満たすことで、セナノは疲弊し始めている体を動かしていた。


「着いたっ!」


 シオンの声で、セナノは顔を上げる。

 最上階へと足を踏み入れたセナノは、予想以上に凡庸なその景色に驚かされた。


 普通のマンションとなんら変わりはない。

 しかし、廊下の奥。

 本来はコンクリートの無機質な壁であろう場所に、不自然に窓があった。

 1メートル四方の小さな窓は、風もないのに揺れ、中心からまるで水面のように波が走っている。

 その中から、今すぐにでも何かが飛び出してくるのではないかと想像してセナノは身震いをしそうになった。


「アレを壊せばいいのね」

「うん。私、NARROWを持ってないからお願い出来るかな」


 シオンがそう告げ、一歩踏み出したその時だった。

 彼女達の右側面から続く窓ガラスが一斉に音を立てて揺れる。

 見れば、窓の中を這いまわる様に一匹の蛇の巨大な胴が窓を埋め尽くしていた。

 手のひらほどもある鱗がびっしりとついた鈍色の胴体が、全ての窓に映り込む。


 そして次の瞬間、全ての窓から一斉に小型の蛇があふれ出した。

 濁流のようにフロアを埋め尽くす蛇たちの眼は、全てセナノを見ている。


 それはただの生物ではなかった。

 鱗は光を吸い込み、黒曜のように鈍く光り、眼窩には眼球がない。

 代わりに窓ガラスのような光沢が嵌め込まれていた。

 触れられた瞬間、自らも窓の中へ引き込まれる。

 そう直感できるほど、蛇の一匹一匹が別の世界の入口であることを訴えていた。 

 這い摺り回り、鱗が擦れる音が辺りに響き渡っている。


「ようやく決戦かしら」


 セナノはそう言って再び舞を始めた。

 飛び掛かってくる蛇を躱し、天井から落ちてくる個体はヒバリが焼き尽くす。

 自身を飲み込もうとする蠢く闇を前にしても、セナノは自分のやるべきことを見失わない。


 焔が軌跡を描き、次々と蛇を焼き尽くしていく。

 ヒバリを振るう舞は、強力な焔撃であり異縁存在全体へと有効な祓詞でもある。

 炎の羽根が螺旋を描き蛇を焼き払うたびに、その破片すらも残さず灰へと変わった。


 どれだけ数が増えようとも、変わりはない。


 「……2分56秒。まあまあね」


 舞の終わりに、セナノはそう評価を下す。

 蛇だったものは全てが灰に変わり、辺りに散らばっていた。


 縁者の仕事にドラマなどいらない。

 淡々と、自身の為すべきことを為す。それだけで良いのだ。


 そしてそれはまだ、終わっていない。 


「セナノちゃん、窓を壊して!」


 背後から聞こえた言葉に、セナノはゆっくりと後ろを向く。

 そして、右手で銃を模り指先をシオンへと向けた。


「一発、ここに焼却構文が込められているわ。貴女一人は焼き殺せる」

「……セナノちゃん?」

「案内ご苦労様。助けに来たのが私で残念だったわね」

「ど、どうしたの?」

「色々とお粗末なのよ。窓から出現できるなら、まずは行く手を阻むべきでしょう。どうして追いかけてくるの? 本当に壊されたくないのなら、まずはあの蛇で行く手を何度も阻めばいい。あんなおじさん二人に後ろから追わせて何になるのよ」


 セナノはずっと疑っていた。

 いや、それ以上にこの少女が既に自身とは違う存在であると理解していたのだ。


「誘導しているわよね、あの窓を壊す事が正しいように。けれど、私ってばエリートだから一目見たらだいたいわかるのよ」

「……何が?」

「あの窓、封鎖構文で押さえつけられてるわよね? 本体があの奥にいるってのは本当。でも、アレを壊せば死ぬってのは嘘ね。恐らくはアレを壊した瞬間に、別の窓があの本体が表に出てくる扉になる。大した力が無いから、出入り口を一つしか作れなかったんでしょ。なのに、ああやって固められたからどうすることも出来なくて、私に壊して貰おうとした」


 セナノの周囲を旋回するヒバリは、その真紅の眼を常にシオンへと向けている。

 主の号令があれば、すぐにでも焼き尽くすだろう。


「だから、他の窓は壊さないように助言した。せっかくあの窓を破壊しても別の窓が無ければ意味がないから」

「……セナノちゃん、言っていることがわからないよ」

「そう。なら最後に――救難信号を出したのは男でしょ? 私の眼には貴女が女の子のように見えるけど。まさか、性別が変わるだなんて言わないわよね。そういうのは間に合ってんのよ」

「枯野班長が最初は一緒に逃げてくれたんだ。途中で私を助けるために蛇の犠牲になったけど」

「おかしいわね。救難依頼には全員が窓に飲まれたと書いてあったのだけれど。自分を犠牲にするような班長が、貴女の存在を記載しないと思う?」


 これは問いではない。

 丹念に相手の嘘を暴き、理屈で雁字搦めに縛り上げる一種の処刑であった。


「最初から貴女が異縁存在に絡んでいることは知っていた。それでも泳がせていたのは、確信を得るためよ。利用できるものは何でも利用しないと。貴女みたいにね」

「……そっか」


 昼の光に照らされながら、シオンは立っていた。

 制服姿のまま、こちらに微笑みかけている。

 一見すればただの同胞の少女――しかし、どこかに違和感があった。


「……枯野班長は信じてくれたのに」


 やさしい声。だが、その響きはどこか割れたガラスを爪でなぞるように耳に痛い。

 次の瞬間、少女の頬をすっと裂け目が走り、そこに窓のような透明な板が覗いた。


 ぱきり、と音を立てて亀裂が広がる。

 顔の半分が剥がれ落ち、そこから蛇の眼をした無数の黒い鱗が覗き出す。

 血肉ではなく、窓ガラスの内側に絡みついた蛇の群れが、彼女の肉体を操っていた。


「あーあ、失敗しちゃった」


 声はその口からではなく、その中の窓から響いていた。

 そこには笑顔の自分自身が映っている。

 笑顔の少女は笑ったままゆっくりと顔を傾け、外にいるセナノを窓の向こうへ引き込もうとする。


 足元からは、蛇が幾筋も伸びていた。

 それらは彼女の体を支えているのではなく、むしろ少女を内側から操る糸のように見えた。


 笑顔は崩れず、瞳は透明な膜に覆われて人間らしさを失っている。

 正体はもはや少女ではなく蛇に憑りつかれ、媒介となった怪異の操り人形。

 

「失敗したなら、次の人にお願いしないと」


 その囁きと共に、廊下の壁という壁が波紋のように揺れ、無数の窓が現れる。

 迷宮が、その真の姿をあらわにした。


 両側にずらりと並ぶのは、どの部屋にも繋がっていない窓ばかり。

 曇りひとつない硝子面は陽の光を反射せず、むしろ奥底に暗い水面を隠している。


 振り返っても、そこには同じ景色があった。

 エレベーターも階段も消え失せ、上下の概念すら失いそうになってしまう。


 昼の光は完全に届かず、廊下は次第に淡い水底のような青暗さに満ちていく。

 最上階にいたはずの彼女は、いつしか終わりのない廊下の中央に取り残されていた。

 

「……そう」


 セナノは覚悟を決めた様子でシオンを睨みつける。

 そして、自信満々に告げた。


「次なんて無いわよ。これでお終い」







 同時刻、マンションの前に、エイは一人で立っていた。

 静かに、どこか無邪気な瞳でマンションを見上げている。


 だがその小さな動きひとつに、大人たちの息は止まり、黒服たちの緊張はさらに研ぎ澄まされていく。

 

 マンション入口を正面に見据えて並ぶのは、観測装置を抱えた白衣やスーツの大人たち。

 手には分厚い記録簿、あるいは最新の測定機器。

 表情は無機質を装っているが目の奥は不安と好奇に濁り、エイの一挙手一投足を待ち構えていた。

 誰かがペンを走らせるたびに、不自然なほど乾いた紙の音が風に混じる。


その背後、円を描くように立つのは黒服の縁者達だ。

 昼間にもかかわらず彼らのシルエットは影のようで、外套の内側には封札や短剣、銃器に似た装備が覗いていた。

 腕を組む者、ポケットに手を突っ込む者、欠伸をする者、――だがそのどれも、次の瞬間には対応できる位置と角度を保っている。


「……そろそろ時間です。エイさん」


 一人の黒服が、やや離れた位置からそう声を掛けた。


「はい、わかりました」


 エイは振り向き頷く。

 そして深呼吸をすると、再びマンションを見た。

 同時に背後に控える者達の表情が僅かに強張る。


 この場にいる全員が理解しているのだ。

 観測と記録はただの名目であり、もしそれが外へ顕れるなら即座に血と封印の行為に切り替わるのだと。













『では、針金、鏡、花嫁から好きなものを選んでください』

『急にその選択肢出してくるの怖いなぁ……』


 本人も本人で、謎の選択を強いられていた。

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