第11話 ここ見開きですよ!
最初にあったのは勝利の余韻だった。
不測の事態においても冷静に判断し、圧倒的な力で勝利する。
やはり自身は名実ともにS級に相応しい。
燃える異縁存在を見ながら、セナノは満足から息を吐いた。
「はっ、口ほどにもなかったわね。ラクちゃん、これを試験だったことに出来な……」
違和感は突然に訪れた。
鼻を突くのは、目の前の異縁存在が焼ける焦げの匂い。
しかし、それに血の匂いが混じっていた。
徐々に匂いは強さを増し、すぐに無視できない程に強くなる。
それは確実に目の前の異縁存在から発せられていた。
煌々と燃える花嫁衣装から漂う焦げの匂いが、次第に錆びた鉄のような匂いへと変わっていく。
「……ラクちゃん、伽骸ノ嫁には血に関するデータはあるかしら。燃やされると血の匂いを発するとか」
『いいえ、そんなデータは一つもありません。何かありましたか?』
「血の匂いがする。それもかなり強い。どう考えてもアイツが何か仕掛けてきているとしか思えないんだよね」
異縁存在と相対するならば、警戒を怠ってはならない。
この世の理を無視した独自のルールで生きる怪物達を前にするなら、並み大抵の用心では足りないくらいだ。
「一応、花嫁と血で検索してくれる? たぶん、ヒット数多くて特定しきれないだろうけど」
『二体目の異縁存在がいると?』
「可能性があるってだけ。本来、異縁存在同士が同じ迷宮にいることはない。そんなことしたら、せっかくの窓が壊れるからね。けど、今回のこれはどうもきな臭い。縁者テストと称してこんな化け物と戦わせたり、そもそも素人相手に即日テスト実行しようとするのもおかしい。ラクちゃん、私面倒なことに巻き込まれたかも」
伽骸ノ嫁の頭上には、未だに警戒するようにヒバリが旋回している。
「……うん、もう伽骸ノ嫁の蒐集は諦めてぶっ殺そう。なんか、嫌な予感するわ」
『わかりました。十分に気を付けてください』
セナノは伽骸ノ嫁を見据える。
未だに燃えているそれは、形を保っていた。
「二発ぶち込めば流石に死ぬでしょ」
ヒバリの焔が有効であることは実証済みである。
故に、セナノは伽骸ノ嫁にトドメを刺すべく、駆け出そうとした。
その一歩目、足裏が水面を叩いたような感触が響く。
「……?」
セナノは足を止め、足元を確認した。
そこには赤い水たまりが広がっている。
セナノの足を中心として水面が広がるその水たまりからは、酷く錆びた鉄の香りが漂っていた。
「これって――」
セナノが観察しようとしたその時だ。
赤い水たまりが意志を持ったかのように激しく波打ち、更に大きく広がる。
それはあっという間にセナノの周囲を満たしてしまった。
「やばっ、何か領域に入ったっぽい!」
『大丈夫ですかセナノさん!』
「わからないわ。取り敢えず、赤い水を地面に広げる異縁存在って事は確か!」
セナノは慌てて脱出しようとする。
しかし、その足はまるで縫い留められたように動かなくなっていた。
見れば、靴から徐々に赤く染まっている。
まるで体を塗り替えるように昇ってくるそれを見て、セナノは迷いなく足を焔で包み込んだ。
「くっ」
間もなく、這いあがる血が停止し、あっという間に焼却される。
しかし、次の瞬間にはセナノの足に鋭い痛みが走っていた。
「っ……成程」
『セナノさん、どうかしましたか!』
答えは足を今まさに縫い付けた黒い糸にあった。
骨のような白濁した針がセナノの足を容易く貫き、糸を通す。
足を動かそうにも、既に地面に縫い付けられていた。
「ラクちゃん、ヒバリを使った感想だけどさ。これ、多数戦には向かないわ。一度に焼却できる対象が一つだけだと、同時に攻撃を仕掛けられたら終わる。たぶん、儀式を二つ同時に始められても完全には止められないわね。あくまで、対処法がわかっている異縁存在との一対一に限ってのみこのNARROWは最強だと思うわ」
『セナノさん、どうして急に……まさか』
すぐに彼女の言葉の意図を悟り、オペレーターは声を荒げる。
『今、救援のために縁者を派遣します。それまで持ちこたえてください!』
「無理無理間に合わないわ。それよりも、保護した子を救出してあげて。迷宮の外へと私が責任をもって送り出す。座標は私のNARROWを頼りにすればいいから」
『セナノさん!』
「ラクちゃん、優先すべきは異縁存在の情報収集と民間人の保護よ。私はエリートだから、いつでも死ぬ準備は出来ているわ。というか、こいつ相手だと正直死ぬ気しかしない」
セナノは伽骸ノ嫁を睨みつける。
轟、と焔の中で弾ける音がした。
灰になるはずの肉体が、紅に濡れた糸でつぎはぎのように縫い止められ、崩壊を拒む。
次いで、血の匂いが空気を完全に支配した。
地面が沈むように赤黒く染まり、村全域が瞬く間に血の海と化す。
「くそっ、第二形態とかラスボス気取ってんじゃないのこいつ!」
炎の残骸から現れたのは、焼け爛れるどころか、なおも花嫁衣装を纏った異形だった。
しかしそれは伽骸ノ嫁ではなく、より濃厚な血の因縁を纏う新たな存在。
衣は純白から血に染まり、裾は無数の糸で地平と繋がり、血の海そのものを纏っている。
顔は花嫁の仮面のままに見えるが、裂け目から覗く瞳は赤子のように濁り、無数の声で「誓い」を繰り返していた。
その身体は『伽骸ノ嫁』の縫合に加え、何かの呪われた血脈を吸い込み、より不完全で強固な花嫁の姿へと進化を遂げていた。
「……縫い終わらぬ……まだ、終わらぬ……」
声が血の海の底からも、空へと伸びる糸の束からも響いてくる。
セナノは己の足を縫いつける糸が骨にまで食い込むのを感じた。
ヒバリで燃やそうにも、糸と血の二つが混ざり合い完全に消し去ることはできない。
目の前の存在がA級でないことは、既に明らかだった。
故に、セナノは自身に出来る唯一の仕事へと移行を始める。
まず初めに、自身の解放を早々に諦めた。
そしてヒバリをエイへと向かわせ彼女の周囲を焔で包み込む。
「その焔がある間は安全よ! 糸が来る前に逃げなさい。きっと迷宮の壁も燃やせるわ!」
「逃げて良いのですか?」
「勿論。というか早く逃げて」
それ以降、返事が聞こえなくなった事でエイが逃げたと判断したセナノは改めて目の前の異縁存在を注視した。
「赤い血に触れたら足を固定される。放たれる糸も同じ。おそらくは、物理的な強度は関係ない。縫うという行為に、対象の表面を布にする効果がある。目視による精神への干渉は無し。物理的攻撃は伽骸ノ嫁の時は有効だったけど今はどうかわからない」
それは、次へと託す行為だった。
彼女はその身を賭して、情報を残すことを選んだのである。
『セナノさん! 縁者の派遣を依頼しました。本当にあと少しですから、諦めないで!』
「本当に来るのかしら、それ」
『どういうことですか』
「上が、色々と理由を付けて止める気がする。だって普通の依頼じゃないもの。施設から逃げ出した伽骸ノ嫁が、別の異縁存在と融合してこんな場所にいる。そんな事、偶然であり得ると思う?」
セナノは既にこの事件の裏にいる者に気が付いていた。
「縁理庁がまた何かしようとしてる。私はたぶん、そこそこの腕を持つ丁度良い実験体にされたわね。くそ、死んだら呪ってやる」
『セナノさん……!』
「そんな泣きそうな声で呼ばないでよ。むしろ最後までお仕事できるこのエリート性を賞賛して頂戴。それよりも早く、民間人の保護もお願い。縁者適正も、私を誘い出すための嘘である可能性があるわ。記憶処理班も一緒に派遣した方がいいかも」
『…………わかり、ました』
「ありがとうラクちゃん。最後まで付き合ってくれてありがと。それと、優秀な縁者がいたって後輩に語り継いで」
セナノはそう言って、覚悟を決めたように息を吐く。
(縁者なら、長くは生きれない。最初からわかってた、だから大丈夫よ)
超常の存在と戦う以上、一度の任務で縁者が死ぬ確率は4割を超える。
A級ともなればなおさらだ。
故にこれは当然の結末とも言えた。
情報とは違う異縁存在が、別の異縁存在と融合した状態で現れたとして一体どれだけの縁者が対応できるだろうか。
少なくとも、まだ学生であるセナノには不可能であったことは確かだ。
「……はぁ」
セナノは異縁存在を凝視する。
そして、更に一つでも多くの情報を得ようとしていたその時だった。
『い、
「もういるっての」
『そうではありません! 新たな反応が迷宮内で確認されたんです。わかりますか? 本来観測が難しい筈の迷宮内の観測情報が、明らかに異常な数値としてはっきりと記録されているんですよ!?』
オペレーターの声は、やけに焦っていた。
ふと、セナノは自身の背中が汗で濡れている事に気が付く。
「……暑い」
思わず口にしてしまう程の暑さが突然体を襲う。
辺りは相変わらず暗い。しかし、どういう訳か体は炎天下に晒されているかのようだった。
『この数値が本当なら……』
静かだった筈の村内に、いつの間にか蝉の声が響き始める。
夜が塗りつぶされ、青が空を支配していく。
何かが、迷宮を作り替えていた。
『階級はΩ。災主級が、その場に顕現した事になります!』
「……質の悪い冗談ね」
そう言って、強がりから笑い飛ばそうとしたその瞬間。
彼女の視界の端を見知った顔が横切った。
艶のある黒い髪が、穏やかな夏風に揺れている。
透き通った白い肌は、日差しに照らされより一層輝いて見えた。
身に纏う白い装束は、青空に唯一浮かぶ雲のようにはっきりとその輪郭を表している。
「……どうして、貴方がまだここにいるの」
目の前にいたのは、逃げた筈のエイであった。
その顔に微笑を浮かべるエイは、異縁存在を一瞥してセナノへと向き直った。
「何してんのよ! 早く逃げなさい!」
エイは何も答えない。
異常だらけのこの場所に一般人をおいてはおけないと、セナノは精一杯に退避を命じる。
しかし、依然としてエイは逃げようとしない。
それどころか、異縁存在から完全に背を向けてセナノへと顔を近づける。
(この子、なんでここまで来たの……いや、違う。どうしてここまで来れたの!?)
セナノはその異変にようやく気が付く。
それはまるでかかっていた霧が晴れ道が見えたかのように、今までの異変が次々と繋がっていった。
(そもそも、この子の存在がおかしいじゃない。どうして、今まで普通の民間人だと思っていたの? 硝声ノ水槽の時だって、そもそもあそこにいる時点で異縁存在の窓を疑うべきだった。なのに、どうして私は……)
普段であれば絶対にしない思い込み。
いや、認識の改変と言うべきだろうか。
セナノは今になってようやく、目の前の存在の異常性に気が付いたのだ。
同時に彼女は悟る。
(ああ、成程ね。縁理庁の狙いは私じゃなくて――)
エイは何も言わず、掌でセナノの視界を覆う。
不思議と、抵抗する気にはなれなかった。
(この子だったのか)
納得すると同時に、より辺りが夏へと変化していく。
間もなく、エイの吐息が耳元で聞こえた。
「何も見ないで、笑わないで、泣かないで。ただ、そこに在ってください」
そう告げられ、セナノは小さく頷く。
その時、エイが笑った気がしたが確認出来るわけがなかった。
『セナ■さ■! ■■■■■て■だ■■!』
オペレーターの声が、次第に遠のいていく。
代わりに聞こえてくる蝉の声は、やがて洪水のようにあふれかえりセナノの鼓膜を震わせる。
それは、何かの降臨を祝っている拍手のようであった。
いつの間にか血の匂いは消え去り、草木の柔らかな匂いが鼻をくすぐる。
今までの異縁存在との戦いがまるで夢であるかのように思えてきたその時、エイの声が再び聞こえた。
「もう、いいですよ」
手が外される。
開けた視界に映るのは、夜空でも、嘘のような青空でもない。
本物の青い空であった。
周りは、最初見た時と同じ廃村のままであり、地面にもなんの変化もない。
そう。何も変化はない。
異縁存在はおろか、糸の一片に至るまでこの世から姿を消していた。
(伽骸ノ嫁が完全に消滅した……?)
呆然とするセナノの顔を覗き込んで、エイは首を傾げる。
「大丈夫ですか?」
その声でハッとしたセナノは、一歩後ずさりエイの顔をまじまじと見つめる。
相変わらず美しい顔だが、今はそれが少しだけ恐ろしかった。
「……貴方、何者なの」
問いかけに、エイは優しい笑みを浮かべる。
そして、白く細い手をセナノへと差し出しながらこう言った。
「折津エイです。改めて、よろしくお願いしますね。セナノさん」
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