第3話 炎上 2
アイルが夕食用の野菜を切っていると、背後からテルハが声をかけてきた。
「アイルや、ナラはまだ帰っていないのか?」
「え、じいちゃん! 起き上がって大丈夫なの?」
「たいしたことはない。それより、ナラは? 姿が見えないが……」
窓の外を見ると、かなり薄暗い。崖によって日が落ちるのが早い村だが、いつもならナラとアイルが一緒に夕食の準備をしている時間だ。
「外れのばあさまのところに薬草を届けに行ったきりかな……。ばあさまお喋りに掴まったのだと思うよ。ばあさま、お喋り長いからね……」
「まったく、しょうがない奴だ」
テルハがため息をついて、ゆっくりと歩いて行くと、食卓の席に座った。スープと野菜と、簡素な食事を食卓に運ぶんでいく。
「じいちゃん、先に夕食を食べてて。僕はスープが冷めないうちにジェイドに夕食を届けてくるよ。あとナラの迎えも行ってくる」
籠にスープとパンを入れていると、テルハも一緒に籠に入れてくれている。その行動に、テルハもジェイドを完全に拒否した訳じゃないのだなと、アイルは安心した。
「なあ、アイルや」
「何? じいちゃん」
「ジェイドに話を聞いたのか?」
アイルの心臓が、ドキリと跳ね上がった。アイルが硬直した顔をしたのを見たテルハが、大きなため息をついた。
「聞いたようだな……お前はどう思った?」
「……僕は、ジェイドは嘘をつかないと思う。だけれど、まだ混乱しているよ」
「そうか……」
テルハは何度か頷くと、目尻を下げて微笑んだ。
「ジェイドに、夕食を届けてやってくれ。ああ、夜なのだから、ちゃんとマントと剣を持って行きなさい。近くだといっても夜は常に油断するな」
「はい、じいちゃん。行って来ます」
ジェイドに持って行くため、家に置いていった荷物を背負い込むと、ずっしりと重たい。こんな重い荷物を持って、ジェイドは村まで帰ってきたんだな、とアイルは思った。
簡易的な寝具と一緒に抱えているので、夕食のスープをこぼさないよう。アイルはゆっくり歩いた。夜目が利いてきた頃、ようやく礼拝堂に着いた。目の端にふと、鮮やかな色が写ったので、さっとアイルは森の奥の方に目をこらした。森のそばに家はないので、どこかの家の明かりとは考えにくい。結界の鮮やかな炎とも違う、誰かが暗闇に明かりを灯していたのかと思ったが、見えたはずの物はなかった。
気のせい、だろうか? アイルはそう思ったが、足の方からぞわぞわとした何かが這い上がってくるような、不気味さを感じた。森や、狩りに行った先で感じるならまだしも生まれ育った村で妙な気配を感じるのは、初めてだった。早くジェイドに夕食を届けて、ナラを迎えに行かなくては。そう思い、礼拝堂の扉に手をかけた。
ガシャン、と扉は大きな音を立てた。
「え?」
よく見ると、扉には閂がされていた。いつもは夕方に礼拝堂の閂をするけれど、今夜はジェイドが中にいるので、閂はしていないはずだった。
では誰が……? 誰かが、ジェイドがいるのにもかかわらず、鍵をした? ジェイドが出れないようにした? アイルの背中に冷や汗が流れる。中のジェイドは無事なのか、アイルは慌てて閂を外して扉を開いた。
「ジェイド! いる?」
「アイルか? どうしたそんなに慌てて。ああ夕食か、ありがとう」
ジェイドは、敷物をひいてろうそくに小さな明かりを灯し、床に座って本を読んでいた。朧気な明かりの中で、笑顔でアイルの方を見ると、軽く手を上げた。アイルは小走りでジェイドのところに行くと、アイルの顔色を見て、ジェイドが眉を寄せた。
「どうした? 何かあったのか?」
「ううん、ジェイドが何もないならいいんだ。礼拝堂の閂が閉まっていて、ジェイドに何かあったんじゃないかって思っちゃって……何もないならよかった」
ジェイドは何もなさそうで、アイルはほっとした。テルハに殴られた頬以外は、特に怪我もなさそうだ。テルハに殴られた頬も、自分で後から手当てしたらしく、頬に大きな布が当てられていた。ジェイドは、怪訝そうに首を傾げている。
「はい、これ夕食。それとジェイドの荷物も全部持ってきたよ」
「ありがとう、助かるよ」
寝具も敷物の上に置く。
「なあ、アイル。礼拝堂の閂は、ナラがかけていったんだが……」
「え? ナラが?」
「ああ、お前が出て行った後、扉の方で音がするから声をかけたら、ナラが『危ないから鍵をしておく』って……」
「危ないからって、なんでそんなこと」
「さっきの話、お前かじいさまからはナラにしていないのか?」
アイルが首を横に振る。ジェイドは開け放たれた扉の外を見つめ、すっと目を細めた。夜の冷たい空気が、扉から忍び寄ってくる。ジェイドは小さく「そうか……」と呟いた。
ジェイドは籠からスープとパンを取り出すと、スープを一気に飲み干した。籠の底にへばりついた紙にジェイドは気がついて、拾い上げた。紙に書いてある一文を見てすぐに、懐の中にしまい込んだ。
「すぐに村を立つ」
「え、今? じゃあじいちゃんとナラに挨拶だけでも……あ、でもナラは外れのばあさんの家に行っていて……」
アイルの言葉も聞かず、ジェイドは旅装束を身につけている。マントを羽織って、靴の紐を締め上げる。腰のベルトに、しっかりと長剣を差し、カチャカチャと外れないか確認をしている。準備の早さ、確認作業の早さに、アイルはジェイドの動きを止める隙がない。ジェイドは重い荷物を背負い込むと、灯されていたろうそくに息を吹きかけ、明かりを消してしまった。
礼拝堂内が暖色の色から、寒色の色に一瞬で切り替わる。高い天井にある窓から、月の細い光が幾筋にも降ってきている。
「ジェイド?」
声を低く落とし、アイルがジェイドを見上げた。
「アイル、これを食べておきなさい」
そう言うと、ジェイドはアイルの口にパンを押しつけた。落ちそうになるパンを、アイルは慌てて手で押さえた。家には夕飯があるのに、何故パンを押しつけられたのか、よく分からないまま、アイルはジェイドの言葉に従った。再びアイルがジェイドを見上げると、鋭い目つきで、扉の外を見つめている。見たことのないジェイドの目つきに、アイルは背中から毛が泡立つ。
扉の外にかすかな足音と、誰かの気配を感じ、アイルも扉を振り返って見る。
「ジェイド、アイル」
微かな声は、テルハのものだった。
「じいさま……」
小走りでアイルとジェイドは扉の方に行った。明かりも持たずに、テルハが礼拝堂まで歩いてきたようだ。
「ジェイド、妙な気配が村を取り囲んでいる。村の結界もかなり揺れた。どうやら大人数できている。なんとか誤魔化すから、少し隠れてから出て行きなさい」
テルハがそう言うと、ジェイドは小さく頷いた。
「じいさま、ありがとう……不幸者で、本当に申し訳ございません」
ジェイドが、絞り出すような小さな声で言った。テルハが、目尻の皺を深くして頷いた。
「さっきは悪かったな、ジェイド。お前は自慢の孫だ。もう一人の自慢の孫も、どうか頼んだぞ」
テルハは手を伸ばし、手当てされたジェイドの頬にそっと触れた。触れても痛くないだろうくらいの、優しい触れ方だったが、ジェイドは苦しそうに顔を歪めた。
「ありがとうございます、じいさま。アイルこちらに行くぞ、身を低くしなさい」
「じいちゃん? ジェイド?」
テルハとジェイドの会話の意味も分からず、アイルは二人を交互にきょろきょろと見る。テルハが、そっとアイルの背中に手を回してきた。
「アイル、お前はわしの三人の自慢の孫の一人だ。本当によく努め、よい子に育った。これからはジェイドについて行きなさい」
テルハが「自慢の孫たち、さあ行きなさい」と言う。アイルはまだ状況が分からない。けれど、ジェイドが手を引き、身を低くしたので、そのまま連れられ身を低くし、ジェイドについて行った。アイルが振り返るが、テルハはアイルの方へは振り返らず、村の広場の方に歩いて行った。
「ジェイド、どういうこと!? ジェイド!」
ひそひそとジェイドを呼ぶが、ジェイドは答えない。ずっと手を引かれてずんずんと歩いて行く。
ジェイドと一緒に、アイルは身を低くしたまま、家々の裏を通りながら歩く。村の入り口の反対側の森にある、村で共同の管理をしている小屋の裏に身を潜めた。少し高台になっていて、更に上の方へ続く急斜面の道がある。急斜面を上がれば、崖上にまで上がることができる場所だ。村人しか知らない、崖上へ行くための近道だった。
身を低くしたまま、ジェイドは息を殺して村の方を見ている。アイルもつられて、吐息が漏れないように身をかがめていた。
村には夜霧が立ち込め始めている。しかし広場には、炎を持った村人たちが集まってきていた。うっすらとかかる霧に表情はまでは伺えない。
村人たちの他に、見慣れない姿の者たちが、ぞろぞろと広場に来ているのが見えた。白銀鎧、武器を携えた者たちだ。その先頭に、ナラが歩いていた。
「ナラ? ジェイド、ナラが!」
「わかっているさ。さて、どうしたものかな……」
「ジェイド、あれは何かわかるの?」
「ああ、あれは……憲兵隊だ」
「憲兵隊? あれが? 憲兵隊がなんでこの村に」
「誰かが呼んだんだろう」
ジェイドは眉間の皺を深くして、広場の様子を見ている。アイルも、広場の方を見た。
憲兵隊は、神王家の番人的な存在だ。神王家に逆らう者を捕らえるのを主な役割にしている。その他にも、悪事を働いたものを捉えに行く役割も担っている。
テルハが村人の前に出て、憲兵隊と何か話をしている。ナラが憲兵隊の側から前に出て、テルハと村人たちに向かって何かを話している。村人たちのざわめきが、木霊し呼応するように大きくなっていく。
アイルは、ざわざわとする胸を押さえつけるように、ペンダントを握った。
やがて、憲兵隊側から怒号がする。何を言っているのかそれは分からないが、汚い言葉のように聞こえる。おおよそ神王家に仕える憲兵隊が使う言葉ではない、この村では響くことがない言葉だ。
そうしていると、村の一画から爆音とともに爆煙が上がった。その場所は、礼拝堂のある方向だった。
「礼拝堂が!」
アイルが立ち上がろうとするのを、ジェイドが腕を引っ張って止めた。
「駄目だ、絶対に立つな。身を低くしなさい」
ジェイドの鋭い声がする。
「でも、でも……」
真っ赤な炎は大きく、夜空を焦がすような勢いだ。真っ黒な煙と、焦げ臭い匂いが辺りを覆っていく。
村人側からも怒号のような声が上がり始める。憲兵隊と村人たちの間に立っていたナラが、憲兵隊に向かって叫び声のような声を上げている。
憲兵隊が、剣を抜いた。炎に照らされて、切っ先が鋭く尖っているのが映し出されている。その剣は、真っ直ぐにナラに振り下ろされた。甲高い声が響き渡る。
「ナラ!」
大声を上げ、アイルは立ち上がった。しかし、ジェイドが再び腕を引いて、アイルは地面に引き戻された。勢いがよく、地面に叩きつけられるような感覚がする。
「アイル、これを持ってここにいなさい。決して手放さないようにもっているように。絶対にここを離れてはならない」
いつの間にか旅装束を脱ぎ捨てたジェイドが、布に包まれた棒をアイルに渡してきた。ずっしりと重たく、かちりとわずかに金属のこすれた音がする。
ジェイドは立ち上がると、錫杖と腰から抜いた剣を構えて、急斜面を走って降りていった。
村人たちが逃げ惑うのを、憲兵隊が追いかけている。男も女も、子どもも関係なく剣が振り下ろされていく。炎が燃え広がっていき、家々を飲み込んでいく。焼け焦げる嫌な匂いが漂い、叫び声が響き、普段は霧に包まれる村を真っ黒な煙が村を覆っていく。
——どうして……。
憲兵隊が、倒れているナラを抱きしめて座り込んだテルハに、剣を振り下ろしている。そこに、ジェイドが間に入り、錫杖と剣で受け止め弾いた。甲高い笛の音ともに、憲兵隊が広場に集まってきて、ジェイドを取り囲む。憲兵隊が一斉にジェイドに襲いかかってくる。
村人がテルハとナラを抱えて、広場から出ようとしてくれている。しかし、いつの間にか憲兵隊が広場全体を取り囲んでおり、弓矢を構えている。
村人たちが、声を上げている。ひときわ大きく、響くのは隣のおばさんの声だった。おばさんの喉元に憲兵隊の放った矢が当たって、その場に倒れ込んだ。武器を持った村人が、憲兵隊に向かっていく。その中には、アイルが日頃剣術を教えている子どもたちもいた。
ジェイドの錫杖から白く光る魔法が放たれ、剣がぶつかり合っている。振り返りながら、村人たちに何かを叫ぶジェイド。憲兵隊が何人もジェイドに襲いかかり、ジェイドは倒れていく村人に近づくことができない。
——どうして。
ペンダントを握りしめたアイルの手は、真っ白になっている。
神王族は、民を守っている。その恩恵があったから、民は神王族を尊敬し信仰してきた。しかし目の前には、神王族の名の下に悪に鉄槌を下すはずの憲兵隊が、村人に襲いかかっている。
村人が何をしたというのか。何も悪いことはしていない、ただ日々を穏やかに生きていただけだ。真面目に働き、神々の末裔である神王家を信仰してきた。礼拝堂は、かつて村人たちが貧しい中でもお金を出し合って作り上げたものだ。それだけの信仰心が、この村の者たちには根付いている。誰よりも、神々とその末裔たちを信じてきた。その村人が、何故神王族の番人たる憲兵隊に鉄槌に襲われているのか。何故信仰の象徴たる礼拝堂は燃やされているのか。
——どうして、どうして。
炎は燃え広がり、家々を飲み込んでいく。広場から逃げようとした村人が、降ってきた矢に当たって倒れていく。
正しくあった者が、何故裁かれているのか、何故蹂躙されているのか。
——どうして、どうしてどうして!
唇をかみしめても、目の前の理不尽な光景が全く理解できない。
——どうして! どうして!!
アイルの頭の中に、何回も何回も読み上げた、アズトラ教の経典の一節が浮かんだ。それは、テルハとナラ、ジェイドとも一緒に幼いころから読み、身に染みついたものだった。自然と出てくる経典の言葉を、アイルは口から出した。一言一句間違えず、吐き出した。
「……正しくあれ、正しくあれ。正しく正義を貫き、正しく悪を裁け」
アイルの手にあった布に包まれた物。触ったことのある感触——剣と鞘だ。剣が、カタカタと音を鳴らす。布の中から、カチリと音がした。固く結んであった紐がほどけ、布がとれて地面時落ちた。鞘に入った一本の長い直刃の剣。
アイルは、柄をぐっと握りしめる。
「正しくあれ、正しくあれ。邪悪は裁かれ鉄槌を下される。正しくあれ、正しくあれ。その身の正義が誠の正義であれば、裁きは訪れぬ。正しくあれ、正しくあれ、その身の正義が邪悪なれば、その身に裁きを」
アイルは、ペンダントを握りながら、呟く。鞘からするすると刀身が出て、姿を見せる。透明な刀身は、柄を握るとじわじわと波紋を浮き上がらせる。長い両刃の美しい剣であった。
神具は、目覚めた。
アイルは、弾かれたように走り出した。
アイルは神具の剣を構え、広場を取り囲む憲兵隊の背後から剣を振り下ろす。弓を構え、広場を取り憲兵隊が見えない刃に飛ばされ、動かなくなった。突然現れたアイルに、他の兵は新手だと、アイルに弓をつがえて構えた。
大きく息を吸って、吐く。相手の動きをしっかり見る。アイルは村で学んだ剣術を思い出す。「大丈夫、鍛錬していたことは身に着く、嘘はつかない」と、それ剣術を教えてくれた村のおじさんの言葉が思い浮かんだ。
「正しくあれ、正しくあれ……」
アイルはそう唱えながら、剣を振るうと、刀身が、淡く輝くのが見えた。剣から何か、気のようなものが飛び、憲兵隊に当たると頑強な鎧を付きとおして体に何かが当たっているようだ。その様子を見た憲兵隊は、後ずさりして燃え上がった家々の方へ身を隠していった。
広場を囲む炎へ、アイルが飛び込んでいく。急に炎の中からアイルが現れ、ジェイドの前に立つと、ジェイドは目を見開いた。
アイルが神具の剣を振り下ろすと、ジェイドを取り囲んでいた憲兵隊が吹っ飛んだ。吹っ飛ばされた憲兵隊が、ピクリとも動かない。アイルが、剣を真っ直ぐ前に構える。憲兵隊は、突然現れたアイルに警戒を移した。距離を詰めようと憲兵隊がじりりと足を動かすと、アイルは剣を横に薙ぐ。見えない刃が、憲兵隊をまた吹き飛ばしていく。
「アイル……」
「ジェイド、僕がこいつらを引きつけるから! 早く皆を!」
アイルは、再び剣を構えた。広場の上から弓を構える憲兵隊に向かって、剣を薙ぐと、また憲兵隊の持っていた弓が次々と真っ二つに折れた。
ジェイドが村人の方へ振り向こうとした時、目の前に大男の影がゆらゆらと近づいてきているのが見えた。鎧を身に纏った大柄な男が、大斧を持って歩み出てくる。その男の姿に、ジェイドが向き直って大男の前に立った。
「これはこれは、ジェイド神官長殿。ご機嫌麗しゅう。まさか、のこのこと生まれ故郷に来ていらっしゃるとはなぁ」
「おやおやまあまあ、リシュー分隊長ではないか。こんなど田舎まで何用か」
ジェイドにリシュー分隊長と言われた大男は、ジェイドを鼻で笑うと、ニタニタとした笑顔をしてジェイドを見る。
「いや何、灰妃殿下殺害及び、灰妃殿下の所有していた神具の窃盗の容疑者がこの村に逃げ込んだと情報がありましてなぁ」
「そうか。残念だったな、リシュー分隊長。ガセネタをつかまされたようだ」
「ほざくな、ジェイド!」
リシューが大斧を振り下ろし、ジェイドとアイルは跳ねるように避けて離れた。大斧が下ろされた地面はえぐれてしまい、当たればひとたまりもないことが分かる。
リシューの後ろから弓兵が、ジェイドとアイルを狙っており、矢が飛んでくるのをジェイとは錫杖で、アイルは腰から剣を取り出して弾いた。
「お前は日頃から気に食わないと思っていたんだよ。そのお綺麗なお顔を、いつか踏み潰してやりたいとな! 反逆者ジェイド、ここで死ぬがいい!」
リシューが吠え、大斧を振り回す。大斧の間合いに入らないよう距離を取りながら、ジェイドは錫杖を構える。
「穿て大地! 鳴り響け雷鳴!」
途端にリシューの地面から土が盛り上がり、空から雷が何本もリシューを取り囲むように落ちた。リシューは巨体からは考えられない動きで雷を軽く躱すと、ジェイドに向かって再び斧を振り下ろした。しかしそこに、背後に回ったアイルが放つ一振りが、鎧を通してリシューの背中、そして腹に当たった。
「あ、な……なんだ……まさか、神具が王族以外で……ありえない」
思ってもみない攻撃に、リシューが口から吹き出しながら膝をついた。そこにジェイドが走り込み、リシューの首に剣を振り下ろした。
司令塔を失った憲兵隊は、その光景を見て慌てて武器を置いて逃げていく。その姿を見送り、憲兵隊がいなくなったのを確認して、アイルとジェイドは倒れている村人の下に向かった。
※
「ナラ、じいちゃん! みんな!」
炎はまだ村を焼こうと燃え続けている。広場に、何人もの村人が倒れ、誰も動かない。
テルハは、ナラに覆い被さるように倒れていた。テルハの体を起こすと、手にでろりとした血がついた。血の気のない顔、閉じてしまってる瞳、服じわりと広がっていく赤色が、ジェイドのアイルの目に入った。
「じいちゃん……!」
唇をかみしめ、アイルがテルハの体を横たえさせた。テルハの下にいたナラが、かすかにうめいた目。
「ナラ! 待っていなさい。今、回復魔法を……」
ジェイドがナラの手を握った。ジェイドの手からまばゆい光があふれるが、すぐに消える。ジェイドが目を見開いた。再度、ジェイドの手が光るが、ふっと光は消えてしまう。
「ナラ、ナラ、ナラ……治れ、ナラを治せ……」
「姉ちゃん、ねえちゃん……」
何度もジェイドの回復魔法が消えてしまう。アイルが、ナラの反対の手を祈るように握った。
「お兄ちゃん……ごめんね。お兄ちゃんの話をこっそり聞いて、憲兵隊を呼んだのは私なの。村をこんな風にして……私、こんなことになるなんて……」
「喋らなくていい、回復を考えなさい、ナラ」
「駄目だよ、他の村の人に使って。お願い。私のせいで、こんなことになったんだから……」
ナラの声が、弱々しく続く。
「お兄ちゃん、私の自慢のお兄ちゃん、ごめんね。アイル……アイル、私の自慢の弟アイル……。大好きだよ、ごめんね、私のせいで、ごめんね」
「ナラのせいじゃないよ。ナラのせいじゃない……」
ナラの目から一筋の涙が流れ、ゆっくりと瞳の光が消えていった。
「くっ……う……」
ジェイドは俯き、言葉を飲み込んだ。そして顔を上げると、静かにナラの体をテルハの隣に横たえる。テルハとナラの顔が、煌々と炎に照らされている。
「アイル、まだ生き残りがいるかもしれない。村中を探す。アイル、立ちなさいアイル」
ジェイドに腕を持ち上げられ、アイルはフラつきながら立った。
ジェイドとアイルは一緒に、倒れている村人を見つけ、呼吸を確認する。誰か、誰か生存者はいないかと、そう思いながら。顔を近づけ、息があるかを聞こうとし、何回首を横に振ったか分からない。
ジェイドが家々の消火をするため、魔法で湖の水を持ち上げると、家々に水をかけていく。油がまかれたのか、炎はなかなか消えない。その間にも、アイルは村人の確認をしていく。誰も彼も、その瞳を開けることはなかった。
空が白み始めた頃、村の建物のほとんどを燃やし続けていた炎は消え去った。そうして、村人たちの体を、一人一人広場に運んだ。
どの村人も、皆青白い顔をし、動くことはない。全員、見知った顔だった。全員、昨日アイルに贈り物をし、全員ジェイドが村に帰ってきたことを喜んだ者だ。
「ジェイド、皆を埋葬してあげたい……」
「そんな時間はない」
「どうして……」
「逃げていった兵が、すぐに報告に上に報告するだろう。そうしたら、またすぐにここに兵士がやってくる。準備をしてすぐに立つべきだ」
ジェイドの言葉に、アイルは絶句する。
ただ巻き込まれただけ、それで埋葬もされないなんて……何も、悪い事をしていない、ただ日々を真面目に生きていた、それだけなのに。あまりにも理不尽だ。
「一気に聖火で火葬する。そうすれば、獣にも、後から来る兵士にも手出しできない」
ジェイドはその場に座り、錫杖を構えた。
「清浄の灯し火よ、安らぎの眠りの地への導きを与え給え」
ごおおっと、勢いよく青色の炎が、村人たちの体を包み込む。ジェイドが祈りの言葉を紡いでいると、アイルも横に座り、ペンダントを握って一緒に祈りの言葉を唱えた。
「この炎は、最低でも七日は燃え続けるはずだ」
ジェイドが立ち上がった。しかし、アイルはそのまま立ち上がれずに座り続けて、青白い炎を見つめ続けている。ジェイドは一つ息を吐くと、焼け落ちた家の方へ歩いて行った。
アイルは、祖父テルハに育てられた。年の一緒な姉と、分け隔てなく。村人に助けられ、見守られ、皆に育てられた。
祖父にはアガルタ教の基礎と、経典をたたき込まれた。兄には剣術を習った。兄が出て行った後は、村の男衆が剣術を教えてくれた。女衆は料理を作ってくれて、作り方も学んだ。畑は村の皆が手伝ってくれて、まともに作物を育てることができるようになった。
この村全員に、育ててもらった。愛してもらえた。憧れていた夢を応援してくれた。
隣のおばさんの作ったパンは、ふっくらと味が詰まっていてとても美味しかった。もらったお菓子を少し食べたが、果物が入っていてとても甘かった。野菜は昨夜のスープに入れていた、味わえなくてとても残念だった。
アイルの目の前の景色が歪み、口からは絶えず嗚咽が出てくる。袖で何度も拭っても、涙は止まらず出てくる。
何も、何も返せなかった。愛し育ててくれた恩を。何も、何も返せなかった。何もできなかった。村人の笑顔と、怒られたこと、褒められたことが思い出される。
せめて、彼の地では安らかにいて欲しい。青白い炎は、空に向かって高く高く燃え続けた。
アイルがペンダントを握って、顔を上げた。朝日が差し込み、湖を照らし始めた。アイルは立ち上がって、踵を返すと歩き出した。
高台の小屋の横に行くと、ジェイドが旅装束を準備している。ジェイドの物と、もう一つ小さめであるが旅装束が用意されている。
「来たか。必要な物は残っている物を拝借させてもらって、準備した。あり合わせがだ、ないよりはましだろう」
「ごめん、ジェイド。全部させちゃって」
「いや、いい。背負えそうか?」
「うん、平気。ありがとう」
ジェイドの言葉に、アイルは頷いて答えた。
昨夜抜いた鞘は、置いたままだったので、剣を鞘に収めた。布に包んでジェイドに渡そうとすると、ジェイドが首を横に振った。
「その神具は、俺は使えない。だからお前が持っていなさい」
「使えない?」
「道中話をするさ。いろいろ、とな」
ジェイドは旅装束を背負い込んだアイルに、紐の緩みや背中に当たって不快な部分はないか聞いた。丁度よいとアイルが答える。
「行こうか」
ジェイドとアイルは、小屋横の急斜面を上って、崖上の獣道を歩いていった。
いつか語られる物語 成底ない @narisoko-nai
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