第二章 真の異世界戦線へ

第6話 静寂の村に残ったもの

「……レン様。来ていただけて助かりました」


 いつもは穏やかな宰相セオドアが、今日は顔色を失っていた。


 彼の背後には、騎士たちが何重にも警戒線を張っている。そこに広がるのは――


“村だったものの残骸”。


 建物の形は残っている。道もある。井戸もある。食器も散らばっている。


 だが。


 人が、一人としていない。


「……全滅、か?」


 俺――篠宮レンは、喉の奥でその言葉を転がした。しかし、それは“戦い”の形跡ではなかった。


 血の跡もない。争った形跡もない。扉は破られていない。


“まるで、人だけが跡形もなく消えたように。”


 俺は地面に膝をつく。


 焦げ跡でも、魔力痕でもない。何か――未知の“体液”のような跡がべたりと残っていた。


(……嫌な匂いだ)


 嗅いだことはないはずなのに、脳が本能的に拒絶する。


 そのとき、騎士が駆け寄ってきた。


「レン様!

 ……生存者が、一人だけ!」


 生存者――そう言われて胸が跳ねたが、その姿を見た瞬間、俺は息を呑んだ。


 それは、男でも女でもない。**“人型に成形されかけた肉の塊”**だった。


 呼吸をしている。辛うじて人の輪郭を保とうとしながら、細胞が常に泡立ち、壊れ、増殖している。


 そして、その肉塊は――俺を見た。


「……たす……け……」


 声帯が壊れた声。涙腺の位置を見失ったような液体。


“これは、生きているのか。”


“すでに死んでいるのか。”


 判断できなかった。


「セオドア。いつからだ?」


「昨晩……この村に“帰還者”が戻ったのです」


 全身の血の気が引いた。


「……帰還者、というと。

 例の異世界に……?」


「ええ。葵斗殿、砂月殿のように。

 あの世界に試験的に送られ、帰還した兵士です」


 つまり――


 召喚された者が、向こうで“何かを付着させたまま”帰ってきた。


 俺は思わず、耳鳴りを覚える。


「状況をまとめろ」


 宰相は震える手で記録を読み上げた。


「帰還直後、体調に異常はなし。

 だが、翌朝、村全域から悲鳴。

 騎士団が駆けつけた時には……すでに“人だけが消えていた”」


「“食われた”のか?」


「わかりません。ただ――」


 宰相は、震える指でさっきの肉塊を指した。


「この……ものが。 帰還者の“胸部”から、破裂するように出現したと」


 俺は息を呑んだ。


(寄生……?)


(いや、違う。これはもっと……悪い)


 向こうの世界は巨大兵器と合金装甲がメインで、魔法や生体エネルギーは存在しない。


 だから、向こうでのアバドンは“ただの凶悪生物”としてしか扱われていなかった。


 だが――


 こっちには魔法がある。 魔力がある。

 魔物がいる。 生命エネルギーが豊富だ。


 そんな環境でアバドンが孵ったら、どうなるか。


「レン様……これは一体、何なのです?」


 宰相は恐怖で声を震わせた。


 俺は、答えるしかなかった。


「……向こうの世界の終末兵器だ」


「終末……?」


「“アバドン”。 人類を滅ぼしかけた存在。

 ……向こうでは“ただの化け物”だった。

 だが、こっちに来たら――」


 肉塊がふるりと痙攣した。


 その瞬間、魔力の流れがその細胞に吸い込まれるのを感じた。


(魔力を……学習している……?)


(細胞単位で……最適化して……?)


 寒気が背中を走った。


「……成長が早すぎる」


 俺は立ち上がる。


「宰相。すぐに王に会わせろ。 重大な軍事案件だ」


「りょ、了解しました……!」


 騎士が震える声で次の報告をした。


「そ、それと……レン様。

 村の南側の森から……新たな“反応”が……

 増えております」


 俺は目を閉じた。


(……もう、増えているのか)


(最悪だ)


 帰還者が村に帰ってきたのは――昨晩。孵化が今朝。


 わずか一晩で、繁殖が始まりつつある。


 これは偶然ではない。向こうの世界で何百年も人類を追い詰めた理由は、“こういうこと”だったのだ。


 俺は小さく呟いた。


「……砂月、葵斗。 なぜ……もっと早く教えてくれなかった」


 砂月も葵斗も、向こうの世界では“前線の下っ端”だった。アバドンの核心情報を知らなかったのだ。知らなくて当然だ。


 だが、今はもう違う。


“こっちの世界が、向こうの絶望に片足を突っ込んだ。”


 宰相が問う。


「レン様……どうすれば……?」


 俺は、村の中央に残された肉塊を見て言った。


「……処理班を呼べ。 魔力ごと焼き尽くせ。 ひとかけらも残すな」


 宰相は頷き、走っていった。


 残された俺は、静かに空を見上げた。


 一つだけ、確信がある。


 ――世界は、もう後戻りできない。


 俺は拳を握りしめた。


「……レン様?」


 騎士が不安げに声をかける。


 俺は呟いた。


「……“準備”を始める。

 これはもう、召喚の善意だけで済む話じゃない」


 レンの背筋に、初めて本当の戦慄が走った。


 アバドンの卵事件――それは“異世界戦線”にとって最初の侵食であり、新たな戦争の始まりだった。

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