第7話 レンの戦争計画

 王都の会議室は、昼間だというのに薄暗かった。


 分厚いカーテンが引かれ、扉は何重にも結界で封じられ、机の上には淡い魔灯ひとつだけが灯されている。


 王、宰相セオドア、軍務卿、魔術院長、そして俺――篠宮レン。


 村一つが消えた事件は、まだ公表されていない。だが、ここにいる者たちはすでに理解していた。


 これは、ひとつの村の問題ではない。世界全体の生存戦略の問題だ。


 王が静かに言う。


「……レン。 報告を聞いた。 “あれ”は本当に、向こうの世界の……?」


「ええ。アバドン。 向こうでは“厄災”として知られています」


 魔術院長が震えた声で尋ねる。


「……向こうの世界を滅亡寸前に追い詰めたという……?」


「正確には、“人類を滅ぼす寸前まで増殖した存在”です」


 沈黙が広がった。


 俺は机の上に置かれた紙束を三枚、ゆっくりと広げた。


 ひとつは、あの村で回収した肉塊の組織分析。ひとつは、アバドン被害の現地聞き取り。ひとつは、俺が作った――戦略計画案。


「まず言っておきます。」


 俺は皆を見回した。


「“もう後戻りはできません”」


 軍務卿が身を乗り出す。


「つまり……?」


「この世界は、すでにアバドンの侵食を受けました。

 ――“戦争”は、すでに始まっている」


 再び沈黙が落ちる。


 王だけが、静かに俺を見ていた。


「……レン。 お前の知恵を貸してくれ」


 俺はゆっくりと息を吸い、三つの方針を提示した。


【第一方針:召喚システムの再定義】


「これまで召喚は“戦力不足を補う善意の交換”でした。

 だが、今後は違います。」


 俺は指を二本立てた。


「1.アバドン情報の収集

 2.対アバドン技術の取得」


 軍務卿が眉を寄せる。


「つまり……向こうの世界の“戦争のノウハウ”を奪う、と?」


「奪う、とは言いませんが」俺は淡く笑った。


「学ばなければ生き残れない。

 “勇者”では戦えない。

 必要なのは“兵士”と“技術者”です」


 魔術院長が頷く。


「……確かに、魔法はあまりにも抽象的だ。

 アバドンのような生体兵器には“理解”が必須……」


【第二方針:帰還者全員の魔力検疫】


「今回の卵事件は“幸運な偶然”です。」


 皆が驚く。


「幸運……だと?」


「もっと早く孵化していれば、被害は都市規模だったでしょう。

 あれほどの増殖速度なら、三日で王都が落ちます」


 その場の空気が一気に冷えた。


「ゆえに、今後は――」


 俺は淡々と言う。


「帰還者は全員、帰還直後に魔術院で“魔力スキャン”を行う。

 肉体の異常変質が見られた場合、即座に隔離・焼却処理」


 軍務卿が苦い顔になった。


「……焼却は、抵抗が出るぞ」


「生き残るには必要です。

 アバドンに“同情”は不要です」


 俺の声はやさしいが、冷たかった。


【第三方針:対アバドン“変異兵器”の育成】


 俺は三枚目の紙を王の前に置いた。


 そこには、砂月、葵斗の名前、そして――これから育成する予定の弟子たちの候補表が書かれていた。


「レン……これは……?」


「“変異に対抗できる人材”を育てます。

 粉塵の砂月、毒の葵斗……」


 俺は指で紙を軽く叩いた。


「対アバドン戦では、魔法系統を単発で使える者より、

 複数系統を複合できる者のほうが圧倒的に強い。


 理由は一つ。


 アバドンは、食った能力を“原始的な形で模倣”するからです。」


 魔術院長が青ざめた。


「……模倣する……?」


「ええ。 たとえば火属性単独の術者が食われれば、 アバドンは“火の呼吸”程度ならすぐ再現する。


 だが――粉塵爆発は?

 毒の複合は?

 風と火と土の組み合わせは?」


 軍務卿が息を呑む。


「……再現できん……!」


「だから複合術。

 だから“兵士の育成”。

 勇者ではなく、思考する兵士。

 “応用できる頭脳”が必要なんです。」


 王は深く頷いた。


「……レン。 お前の戦いは、ここからなのだな」


 俺は微笑んだ。


「俺は万能ですが、戦線維持はできません。

 だから育てる。

 鍛える。

 考える人間を増やす。

 それが、俺の役割です。」


 王は静かに立ち上がった。


「本日より、この国の対アバドン政策は――

 “レン戦略”に基づいて編成する」


 会議が解散し、皆が部屋を去っていく。


 残ったのは俺だけ。


 魔灯がふ、と揺れた。


 俺は窓を開け、冷たい風を胸に吸い込む。


「……アバドン。 向こうの世界を喰らった怪物よ」


 夜空を見上げる。


「ここでは、好き勝手にはさせない。

 この世界には、俺の弟子たちがいる。

 守るべきものがある。」


 拳を握る。


 その瞬間、胸の奥で小さく火が灯った。


「俺たちの戦いは、ここからだ」


 静かな決意だけが、夜空に溶けていく。

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