第十七話 お世話になってる人

ほれ、早よ妖気出さんかい。の合図で唐突に始まった籠女かごめ先生の特訓。

この日から屍々子ししこは、家の中では一日中妖気を解放し続けなければいけない。



屍々子は右手へ意識を沈め、そっと息を整えた。

ほどなくして、手のひらから白い妖気がふわりと立ちのぼる。


その気配を確認すると、籠女は軽く頷いた。


「うん。靴脱いで上がってええで」


屍々子は片足ずつ靴を脱ぎながら、口元だけで笑う。


「それ、ペットみたいで面白いな」


籠女は肩を揺らし、悪戯を返すように笑った。


「こないな生意気なペットいらんわ」


屍々子はしゃがんで靴を揃え、立ち上がると周囲を見渡した。


「でもびっくりした。籠女がこんなすげぇとこ住んでんの」


籠女は「せやろ?」と軽く笑い、廊下の奥へ歩き出す。

屍々子も自然とその後ろについていった。


「ま、ウチの力やないんやけどな」


廊下の奥、籠女が扉を押し開ける。

そこに広がるのは、思わず足を止めるほど静かな広さだった。


柔らかな照明が白壁を照らし、置かれた家具も設備も、一目でそれと分かる上質さを纏っている。


リビングに入ると、籠女はキッチンへ向かいながら振り返った。


「適当にくつろいどってな。

ちょっと準備するわ。あ、妖気は出しっぱな?」


さっきまで背負われていた怪我人とは思えない動きだった。


隅々まで掃除の行き届いた空間に、生活の気配だけが静かに漂っている。

屍々子はソファに腰を落とし、その柔らかさに身体の力が抜けた。


右手の妖気をぼんやり眺めながら、胸の奥にふと溜まる感情がある。


死んで、怪異になって、戦って。

今日の出来事が、別の人生の断片みたいだ。


深く息を吐き、腕を伸ばし、天井を見上げる。


「……すっげえ疲れたな」


そう呟いたところまでは覚えていた。

そのまま意識は静かに沈み、気づけば眠りに落ちていた。



そこは、どこにでもあるようなリビングだった。

食卓を四人で囲み、互いに向かい合って座っている。


向かいの席の女性が、柔らかな声で話しかけてきた。


「今日はしーちゃんの好きな唐揚げだよ。いっぱい食べなね」


理由は分からないが、その人はとても嬉しそうだった。


隣の、同じ年頃の少女が何か話している。


「ねぇ──ら、──あ────る」


音が途切れ、はっきりと聞き取れない。


また向かい側で、女の人が何か言っている。


「し────。─────ごめんね」


また聞き取れなかった。よく分からない。


ただ、目の前にある料理は美味しそうで、唐揚げの匂いだけははっきりと感じられた。

温かくて、どこか懐かしい匂い。



その匂いが、ふいに遠のきはじめる。



遠ざかる。

離れていく。

手が届かない場所へ、すっと。


声も──光も──座っている感覚すら薄れ──


「──子」


「────志々子」


「屍々子!」


呼び声が、遠い水面を突き破るように耳へ飛び込んできた。


目を開くと、屍々子の目の前──テーブルの上に鍋が置かれていた。

湯気が立ちのぼり、夢の中の匂いと重なって胸をざわつかせる。


すぐそばで、籠女が身をかがめ、屍々子の顔を覗き込んでいた


「屍々子。……どないしたん。泣いて」


屍々子は反射的に右手で涙を拭った。指先が濡れている。


「あれ……わかんねぇ。

それよりも、ご飯用意してくれてありがと」


涙をぬぐった指先をそっと下ろす頃には、屍々子の声にも少しだけ落ち着きが戻っていた。


その様子を見て、籠女の肩の力がふっと抜ける。

安心したのが、ほんのわずか表情に滲む。


そして、そのまま屍々子の向かいへ腰を落とした。


「ほな、屍々子が妖気出したら食べよか」


促されて右手を見ると、妖気はすっかり閉じている。


「あ、わりぃ。寝たら妖気って勝手に閉じるんだ」


籠女は当然のようにあっさりと返した。


「そらそうや。寝たら無条件で妖気は閉じられるんや」


屍々子は右手を見つめたまま、低く漏らす。


「それを、"一日中"妖気の解放ねぇ……」


そう言いながら、意識を手のひらへ沈め、妖気が立ち上がった。

籠女はじっと屍々子の手元を見つめ、ほんの少しだけ口元を緩めて笑う。


「なんや、妖気出すの慣れて来たんちゃう?」


軽く肩をすくめると、籠女は蓋に手をかける。


「ほな、そろそろ食おうや」


鍋の蓋が静かに持ち上がり、湯気とともに香りがふわりと広がった。


屍々子は吸い寄せられるように身を乗り出す。


綺麗に並べられた具材の色が、湯気にゆらぎながら淡く光を受けていた。

整えられた盛りつけは見た目だけで十分に食欲を刺激する。


「うわ! めっちゃ美味そう!」


素直な感嘆がこぼれる。


籠女は満足げに目を細め、蓋をそっと鍋の脇へ置いた。

指先の動きひとつに無駄がなく、どこか家事に慣れた落ち着きがある。


そして、自然な流れで両手を合わせた。

屍々子も、吸い寄せられるように手を合わせる。


「「いただきます」」



♦︎



食べ始めてしばらくしたころ、屍々子がふと声を落とした。


「なぁ、籠女」


籠女はお椀に口をつけたまま、横目で屍々子を見る。


「ん?」


屍々子は湯気の立つ鍋を一度見下ろし、呟く。


「アタシの妖気…。なんで白いんだろうな」


籠女は軽く眉を上げ、箸を動かしながら何気ない調子で口を開いた。


「知らん。まぁ、"白"っちゅうのは──」


そこで箸をふっと止め、屍々子へ視線を向ける。

 

「──どの怪異も産まれてから一年は全員"白"や。

ただ、その一年間は妖力も発現せんけどな」


その言葉に、屍々子は思い出す。

籠女から、妖気の色を指摘された時の事を。


「……赤ん坊って、そういう……」


籠女は目を細め、どこかおちょくるように口元を緩めた。


「アンタが一年過ごしたら、もしかしたら色が変わるかもしれへんな」


屍々子は、にやりと口角を上げながら言い放つ。


「え、どうする? アタシの妖気が虹色とかなったら」


籠女は間髪入れず、にこっと返した。


「うーん、それはないな」


「あ、そっすか」


屍々子はまたひとつ、口へ放り込む。


籠女は鍋からそっと具材をすくい、自分のお椀に落とした。

湯気の向こうで視線だけを屍々子へ向け、口を開く。


「怪異の因子は、"三原色"の範囲でしか色が付かんねん。光の方のな」


屍々子は咀嚼して飲み込み、思い出すように視線を上げた。


「……んと、なんか色が三つあるやつだっけ?

赤とか青とかの。あ、あと黄色もだっけ?」


籠女は箸を少し止め、軽く息を漏らす。


「ちゃう。ウチらの因子の範囲やと、緑が正解や。黄色は、赤と緑が混ざった色な」


屍々子は手元のお椀にそっと口をつけ、ひと口すすった。

熱を飲み込んでからお椀を離し、軽く息を吐く。


「ん……? てことは、籠女の青緑はその三原色ってやつ?」


籠女は自分のお椀へ箸を運びながら、淡々と答える。


「翠は三原色やあらへんけど含まれとるで。

"混色"って括りやな」


屍々子はぼそっと漏らす。


「なんか絵の具みたい」


籠女は小さく息を含むように笑い、わずかに首を傾けた。


「んー……言いたい事はわかるけど、それとはまたちゃうな」


───たん。


籠女の箸は、箸置きへ置かれた。


「ええか? 因子の色は、"原色"と"混色"っていう二つの分類がされとる」


「原色の因子は──赤、青、緑。

ほんで、混色の因子は──黄、紫、翠。

これは一般の光の三原色と同じ理屈でええ」


屍々子は思わず内心で呟いた。


──籠女先生の授業が始まった。


気づけば自分もお椀と箸を置いていて、そのまま身じろぎもせず耳を傾けていた。


籠女は淡々と続ける。


「ほんで、神社降りとる時も言ったけどな。

因子には色それぞれ固有の能力とルールがあんねん」


屍々子は口を挟まず、聞く姿勢を整えた。


「まず、赤な。

赤は妖力を自分の身体に纏わせて、肉体を強化出来る。

黄色と似とるけど、黄色みたいに身体そのものの形を変化したりは出来ん」


籠女は話の調子をそのまま滑らせるように続けた。


「ほんで青。

青は物に力を与えて、自分の武器にする事が出来る。

例えば、この鍋──」


籠女は言いながら、そっと指先で鍋を示した。


「──力を与えて頑丈にしたり出来るんや」


示していた指をそのまま引き戻し、今度は顎へ添える。

思案するように目線がわずかに上をさまよった。


「頑丈って言っても、硬くするんやなくて耐久性を上げる感じな。あと、道具の修復とか。

ウチの翠と似とる部分もあるけど、青にしか出来んことも多いな」


屍々子は黙ったまま、耳を傾ける。


「で、緑な。緑は、妖力の特性とか性質を変化させられるんや。

例えば、そこにある水──」


籠女は屍々子のそばにあるコップを指さした。


「──それが妖力やと仮定して、そのコップに入っとる水をお湯に変えたり、毒に変えたりできるんや」


屍々子は思わず素の声を漏らした。


「え! こわ!」


籠女はふぅ、と軽く息をついて肩の力を抜く。


「原色は、ごく一部やけど大体こんな感じや。

ほんで、混色なんやけど──」


その言葉を途中で遮るように、屍々子の左手がすっと上がった。


「ちょ、ちょっと待って籠女。一旦ストップして」


籠女は一拍置いてから、首をかしげる。


「なんや、もうええの?」


屍々子は少し疲れたような顔で息をついた。


「……うん。何となく把握したから一旦ストップ」


「ん、ほうか」


屍々子は鍋を眺めながら、ふと思い出したように口を開く。


「籠女ってさ、すっげー知識あるよね。それ、誰かに教わったの?」


籠女は一拍、言葉を選ぶように視線を落とした。


「……オトンに叩き込まれた」


その声音は、いつもの調子とは違う。

淡々としているのに、どこか遠い。

触れれば崩れそうな静けさがあった。


「オトン、今もずっと眠っとるから……"預かっててもろてん"」


預かってもらっている──

屍々子の胸の奥に、微かなざらつきが走る。

それは施設や病院という響きではなかった。


屍々子は慎重に尋ねる。


「……預かってもらってるって、"誰に"?」


籠女は顔を上げ、迷いのない調子で答えた。


「すごい世話んなっとる人やねんけどな──」


小さく息を吸い、言葉を落とす。



「──ミズトさんって言うねん」



屍々子が視線を落としたその時、籠女は静かに続けた。


「ウチが因喰を集めとる理由も……そこにある」


気のせいだと思った。

その声は、少し震えていた。



──傷。──




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る