第二話 死、そして覚醒へ
それは、あの"神隠し"が遭った場所。
階段を上る。
響くのは、風の音と、自分の靴の音だけ。
「ここの階段、何回登っても結構キツイよなぁ」
歩みを進め、傾いた鳥居が見えて来た。
境内に入り、鳥居から五十メートル程離れた拝殿の階段へ腰を下ろした。
日は沈み、空は夜を迎えていた。
境内には灯などは無く、月明かりがこの廃神社を照らす。
「寒っ」
カーディガンの袖口を伸ばし、指先を隠す。
そして志々子は、ぽつりと呟く。
「ねぇ、お姉ちゃん。聞いて。
アタシの顔見た瞬間さ、ニヤニヤしながらナンパしてきてマジでしつっこいのなんのって!」
そこには誰もいない。
けれど志々子は、当時と同じ場所で語りかける。
十年前、自分の目の前で姿を消した、双子の姉へ。
「──でさ、そいつのことぶっ飛ばしちゃってさ……」
月が雲に隠れる。
空気がひんやりと変わる。
志々子がふと時の流れを感じた。
「……もう、ここでお姉ちゃんがいなくなってから十年か」
──お姉ちゃんなんて大嫌い──
十年。
後悔は、薄れも消えもしない。
ただ、胸の奥でゆっくりと形を変えながら、今もそこに居座っている。
忘れたことは、一度もなかった。
ただ、心の奥で、ずっと何かが疼いている。
当時、両親はすでに亡くなっていて、おばあちゃんが面倒を見てくれた。
学校が終わると、よくお姉ちゃんと友だちと一緒にこの神社で遊んでいた。
その日も、同じクラスの子と一緒に、四人で境内を駆け回っていた。
志々子は、おばあちゃんに買ってもらったキャラクターのヘアピンをつけていた。
当時人気だった限定品で、宝物みたいに大切にしていた。
遊んでいる途中で落としそうになり、お姉ちゃんが「預かっててあげる」と笑って受け取った。
けれど、帰るころにはそれがなくなっていた。
みんなで探したけれど、どこにも見つからなかった。
焦って、泣きながら言ってしまった。
「もういい。お姉ちゃんなんて大嫌い!」
それが最後に姉に放った、いちばん浅くて、一番深い傷。
「志々子……ごめんね」
そして、目の前から姉が消えた。
志々子は膝の上で手を握る。
月の光が、指の間をすり抜けていく。
自分があの時、姉から目を離さなければ、何かが、少しは違っていたのかもしれない。
だから、今日もここに来る。
ここに来れば、もしかしたら姉が帰ってくる気がして。
「早く帰っておいでよ……」
───キュッ、ギュッ
その時、境内の砂利を踏む微かな音が耳に届いた。
人間の足音ではないのは確かだ。
「にゃ~ん」
音の主は、真っ黒な毛並みの猫だった。拝殿の外、隅に潜んでいたのが、そっと姿を現したらしい。
志々子の目が、ぱっと輝く。
「あ、猫ちゃん! おいで?」
差し伸べられた志々子の手に、猫は軽く頬を擦りつけた。柔らかな毛の感触が、手のひらに残る。
自然と顔がほころぶ。
「あらー、ちみはどっから来たの~?」
猫の頭を撫でると、「にゃおん」と気持ちよさそうに目を閉じる。
「かわいいね──」
──あなた名前は?
背後から、自分の声が聞こえた。
志々子は反射的に振り返った。だが、そこには何の変化もない。
今の声は、自分が口にしたはずのものだ。
なのに、自分の口からではなく、背後の空間から確かに響いた。
──十年前、後ろからお姉ちゃんの声が聞こえたあの時と、まったく同じだ。
思考が一瞬で凍りつく。その直後、頭を激しい痛みが貫いた。
「くっ……」
あまりの激痛に頭を押さえ、
顔を歪ませて
痛みは十秒も続かなかった。
急に頭痛が消え、志々子は顔を上げる。
目の前の光景に、思わず目を見開いた。
「……え?」
境内は、すべて左右反転していた。
まるで鏡の世界に迷い込んだかのように。
空気の匂いも、空の色も変わっていない。
だが、先ほどまで目の前にいた猫の姿は消えていた。
志々子は立ち上がり、そっと境内を歩き始める。
「どうなってんの……」
その時、境内の後ろの方から声が聞こえた。
「なんだぁ? お前、
その声に志々子の本能が警告を発した。自分の鼓動が頭の中に響く。
違う。明らかに違う。声色とか声質の話じゃない。
声はハッキリしているがどこか異質さを感じる。
───ジャリ。後ろから足音。
「……っ!?」
後ろを振り向くが、誰の姿もない。
その刹那 ───グッ。
正面から鈍い衝撃が走り、志々子の首を一瞬で捕らえる、重くて確かな力。
「……っ!!」
咄嗟に顔を正面へ向けると、そこに立っていたのは男だった。
人間の姿をしている。
背は高く、黒い長髪が肩にかかる。
白いTシャツに黒いズボンというシンプルな装い。
呼吸をしているはずなのに、人間の匂いがしない。
男の瞳が、赤く静かに光る。深く、鋭く、志々子の奥底まで覗き込むような視線。
その圧力は、言葉を発する前から理性を揺さぶり、逃げようとする心を押し潰す。
次の瞬間、志々子の首を掴む手に力がこもり、体ごと持ち上げられ、足が地面を離れる。
心臓が跳ね上がり、全身に冷たい震えが走った。
男は声を低くし、眉間を寄せる。
「違うな……何だ?」
志々子は必死に男の右手首を両手で掴み、首から離そうと力を込める。
しかし、びくともしない。呼吸は次第に浅くなり、胸が締め付けられるようだった。
男は志々子の腹部をじっと見つめ、瞳をわずかに大きく開いた。
次の瞬間、口元に不気味な笑みを浮かべた。
「お前の"ソレ"……人間だなぁ」
続けざまに、低くかすれた笑い声が響く。
「何で"こっち"に人間がいるんだろうなぁ、普通は入って来れねぇハズだが?」
男は志々子の顔をぐっと自分の方に引き寄せ、目を細めてじっと覗き込む。
志々子はその間合いを逃さなかった。
───ガンッ。
膝が瞬間的に跳ね上がり、男の左目元に直撃する。
痛みで男が叫び、後ろへよろける。
「ぐあああっ!」
その手の力が途切れ、志々子は背中から地面に倒れ込んだ。
「くっ、げほっ……けほ」
頭がふらつく。視界が揺れる。
必死に手を突き、なんとか上体を起こす。
──早く、立たなきゃ。
「舐めんなよなぁ!! 人間がぁ!」
その時、男の怒声と共に志々子に伸びる影。
───ザシュッ。
時が止まったような気がした。
胸の深い内側、熱く鋭い痛み。
喉の奥から血が込み上げる。
「ごふ……」
それは、人間の腕の長さではなかった。
男の伸びた右腕が、志々子の胸を貫通していたのだ。
そのまま、男は右腕を振り上げ、志々子は宙へ浮く。
男は腕を振り下ろし、志々子を石畳へ叩きつけた。
───ダァンッ!!
うつ伏せの状態で叩きつけられ、胸の傷に直接大きな衝撃が加わる。
「がふッ……」
口から血が吹き出した。
脳が呼吸すら忘れる。
何も考えられない。
制服の胸元に血が広がっていく。
衝撃で割れた石畳へ血が流れ、その隙間が赤に染まる。
痛い。痛い。痛い。痛い。
景色が、白に溶けていく。
血が流れるたびに、体温も、体の感触も、失われていくのが分かる。
志々子は薄れ行く意識の中、頭の中で繰り返す。
──お姉ちゃん、ごめんね。
目の前で男が何か言っているが、何も聞こえない。
視界が暗くなっていく。
その、最後の光景。
──え?
鳥居の向こうに誰かいる。
自分と同じ、灰色の髪。
あれは
「……おねえ……ちゃ──
──ブツン──
♦︎
そこは、四畳ほどの白い部屋だった。
壁一面に縦長の棚が並び、本やファイルがびっしりと詰め込まれている。
中央にはグレーの机と椅子。
机の上には書類や印鑑、見慣れない器具が雑然と散らばっていた。
その前に、自分と同じくらいの大きさの、光を帯びた球体が一列に並んでいた。
丸いもの、半分欠けたもの、歪んだ楕円。
どれも白く淡く輝き、呼吸をしているようにかすかに脈打っている。
その列の先頭から、低い男の声が響いた。
「上、お前は下。お前も……下」
そう告げられた玉はスッとその場でどこかへ消えていく。
自分の番が近づく。
その男は椅子に座り、書類を見ながら目線をコチラに向けた。
「ハイ次……って、何で"
ここの管轄は"
白い学生帽のようなものをかぶり、白衣にも似た着物のような制服を着ている。
前髪で片目が隠れ、もう一方の目は切れ長で鋭い。
肌は紙のように白く、唇の端から覗く八重歯がやけに目立った。
男が書類を放り出し、顔を近づけてくる。
「あ……? コイツ人間か?」
男が眉間を寄せた。
「……何で怪異界から"人間の魂"が流れて来てんだ?」
一拍の沈黙。
次の瞬間、男の顔色が変わった。
「てかお前!! 何でそんな気持ち悪りぃモン持ってんだぁ!?」
舌打ち。
「こんなん通しちまったら俺ぁクビんなっちまうだろうがぁ!」
「アイツらに報告すんのも面倒くせぇ!」
すると、男は左手で妙な形を作った。
人差し指と中指をそろえて立て、残りを握る。
その二本を真下に向け、叫んだ。
「テメェは"戻り"だ!! 今すぐ、戻りやがれええ!!」
───ギュオン!
その瞬間、真上からとてつもない圧力がかかる。
──ブツン──
♦︎
志々子の目が開いた。
視界に広がるのは、意識を失う直前に見た景色だった。
鳥居。境内。拝殿。
体の痛みはない。
胸を貫いたはずの穴も、どこにもなかった。
だが、制服と石畳には、乾きかけた血の跡がこびりついている。
「え……?」
ゆっくりと上体を起こす。
体が軽い。
痛みから解放された軽さ。
それ以上に、肉そのものが薄くなったような、重力から切り離されたような軽さだった。
何故自分が起き上がれているのか、何故生きているのか分からない。
ふらりと立ち上がり、周囲を見回す。
その時、境内の奥から、あの異形の声が聞こえた。
「……お前、何で立ち上がれる。今、確かに死んだはずだよなぁ」
その声を聞いた瞬間、志々子は悟った。
あの痛みも、あの苦しみも、すべて現実だったのだと。
「……そっか。アタシ、やっぱり死んだんだ」
──あれ? 今、手のひらに何か"力"を感じた気がした。
その手の"力"を確かめるように、ギュッと拳を握る。
「でもさ、さっきまで、身体がすげえ痛かったんだ……。けど今は、全然痛くないんだわ」
男が一歩、後ずさる。
「お前……さっきまでとは"まるで違うな"。一体誰だ」
──名前?
志々子は首を傾けた。
「アタシの名前……」
──志々子? いや
「一旦死んで、復活したから──そうだな」
視線を上げる。
「
月を背に、屍々子は微かに笑った。
「……さぁ、反撃と行こうか」
──少女屍々子、始動。──
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