第21話
インターホンが鳴ると、優は玄関で梨花を出迎えた。
制服姿の梨花は優の姿を一目見ると、一瞬だけ痛ましげに眉を寄せた。その後、いつもの太陽の様な笑顔を顔に貼り付ける。
「ユウ君、久しぶり! ……ってほどでもないか」
「わざわざありがとう、リカ。上がって」
優は梨花を自室へ案内した。部屋へ入るなり、梨花はてきぱきと要件を進め始める。
「これ、溜まってたプリント類。あと、ノートの写しも入れといたから」
「……ありがとう。わざわざ、ごめんね」
「ううん、全然! ついでだしね。あ、これ数学の課題、範囲ここからだから気をつけてね。あと、担任の千原先生からの伝言だけど……」
梨花は明るく振る舞いながら、プリント類を並べていく。その声のトーンは、以前と変わらないように聞こえる。けれど、優にはわかってしまった。彼女の視線が、優のこけた頬や、生気のない目元から、逃げるように彷徨っていることに。その不自然な明るさは、二人の間に横たわる深い溝を埋めるための、必死の演技だった。優もまた、そのてきぱきとした所作と、作ったかの様な明るさに頼っていた。梨花と本心から対峙することの不安を、麻痺させていた。
一通りの事務連絡を終えると、梨花の手が止まった。部屋に、重苦しい沈黙が漂った。用事は済んだ。帰ろうと思えば帰れるタイミングだ。しかし、梨花は動かなかった。俯いて、制服のスカートの裾をぎゅっと握りしめている。
「……ねえ」
顔を上げた梨花の表情からは、先ほどまでの作ったような笑顔は消え失せていた。事務的なやり取りは終わり、優の元を訪れた核心に迫ろうとしている。そこにあったのは、今にも泣き出しそうな、不安に揺れる少女の顔だった。
「何か、あったの? ユウ君が学校に来なくなったのって……もしかして、私が原因……かな」
その声は震えていた。
「ごめんね。あの時、私が変なこと言ったから。困らせちゃったよね。だから、その……もし私のせいで苦しんでるなら、本当にごめんなさい。私ができることなら、何でもするから……」
その言葉を聞いた瞬間、優の中で何かが決壊した。
彼女はずっと、自分を責めていたのだ。優が勝手に殻に閉じこもり、勝手に絶望していた間、梨花はずっと一人で罪悪感を抱え続けていたのだ。どうしようもない申し訳無さと罪悪感が、優の胸を侵食する。
優は決意した。梨花にだけは、全てを打ち明けるべきだ。
「ううん、違うんだ」
掠れた声を絞り出す。
「リカのせいじゃないよ。リカは何も悪くないんだ。……悪いのは、僕のほうだ。全部、僕がやったことなんだ」
優は枕元のスマートフォンを手に取ると、何度か画面をタップした後、梨花に差し出した。
「これを……見てくれるかな」
梨花は怪訝な顔をしながら画面を覗き込む。そこに映っていたのは、Youtubeの管理画面だった。チャンネル名には『You』の文字。そして、驚異的な数の登録者数と、再生回数が並んでいる。
「これって……今話題の、"歌姫You"? え、どうして? ……ユウ君のアカウントで……」
梨花は目を見開き、優と画面を交互に見た。数秒の沈黙の後、彼女の表情が驚愕へと変わっていく。
「嘘……。"歌姫You"の正体って……ユウ君、だったの?」
優は力なく頷いた。
「……うん。僕なんだ」
梨花は絶句していた。けれど、その瞳には徐々に、納得の色が浮かんでくる。あれだけの奇跡のような歌声を持つ人間が、そう何人もいるはずがない。点と点が繋がり、彼女の中で腑に落ちていくのがわかった。だが、優が伝えたい絶望の本質は、そこではなかった。
「三日前の朝……夢を見たんだ」
優は膝の上で拳を握りしめ、震える声で語り始めた。
「ネット上で、フォロワーたちが"You"のイメージ画像を作ってたのって、知ってる……? 銀髪で、とても綺麗な女性シンガーの画像なんだ」
優は再度スマートフォンを操作し、あの『銀髪の歌姫』の画像を梨花に見せた。梨花もそれを二日前にネットで見かけて、知っていた。とても納得感のある画像だ、と思っていた。あの力強く美しい"You"の歌声を、そのまま擬人化したような姿だと。そう感心していた。
「夢の中に、この『銀髪の歌姫』が現れて、僕に言ったんだ。『貴方の声と歌は、私のものだ。貴方の伝えたいことは、全て私が伝えてあげる。だから、明日からも私のために歌いなさい』って」
「……おかしいよね。歌ってるのは僕なのに、もう僕の声とは、誰も思わない。ネットで作り上げられた、存在しないはずの女性シンガーのために、僕は歌わされている気がした。まるで、歌声を製造する機械になってしまった様な、そんな気がしたんだ」
悪夢の光景がフラッシュバックし、優の顔色がさらに青白くなる。
「そんな夢を見てから目が覚めて、歌おうとしたら……声が出なかった。喉が張り付いて、息しか出てこないんだ。歌おうとすると、あの歌姫の顔が浮かんで……どうしても、声が出せない」
優の目から、大粒の涙が溢れ出した。一度溢れると、もう止まらなかった。ずっと一人で抱えていた恐怖と喪失感が、言葉と共に吐き出されていく。
「僕には、歌しかなかったのに。この中途半端な身体と声には、どこにも居場所なんて無い気がして……歌っている時だけは、ありのままの自分でいられたのに。それすらも、奪われてしまった」
「僕には何も残っていない。もう、空っぽなんだ。何もする気が起きないんだ。今こうやって息をして生きている意味すらも、わからないんだ……!」
優は両手で顔を覆った。塞ぎ込む間に優の胸中で膨らんだ、虚脱と絶望。その2つは梨花という対話者を得た今、剥き出しになっていた。それは啜り泣きへと姿を変え、部屋の空気を重く支配する。
そんな優を前にした時、梨花の胸中に熱い「何か」が込み上げてきた。
その「何か」は、梨花がこれまで経験したことの無い熱を孕んでいた。
正体不明の熱に、恐怖すら感じる。
確かなのは、その熱い何かは、かつての熱病に罹った様な「恋」とは、明らかに異なるということ。
目の前で啜り泣く、今にも消えてしまいそうな優。
このままにしておけない。助けたい。
もし、自分の大切な何かを分け合うことで優を救えるなら。
いくらでも分け与えたい。
「……ユウ君」
その熱に導かれるように、梨花はすっと優へ近づいた。
その熱に突き動かされるように、優をぎゅっと抱きしめた。
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