第16話

「私、ユウ君のことが好き」


 絞り出すような、切実な声だった。太陽のような振る舞いは砕け散った。恋焦がれて剥き出しの、無防備な少女の声だった。


「きゅ、急にごめんね? ……でも、もう私、我慢できない。ユウ君のことが好きで、好きで……一日中、ユウ君の事ばかり考えているの。どうして、こんなになっちゃったのかな……。ほんとに、急にごめん。でも、もしユウ君さえ良ければ……私と、付き合って欲しいの」


 熱に浮かされたように、言葉が次々と溢れ出す。


「ユウ君にはきっと、複雑な事情があるんでしょ……? なんとなく、分かっているつもりだけれど……。ほんの少しでいいから、私だけには、ユウ君のことを教えて欲しい。ユウ君、いつも声を低く押し殺してるよね? でも、私はユウ君のありのままの、高くて綺麗な声が好き。ありのままのユウ君が、大好きなの……」


 それは梨花が持ちうる、最大限の誠意を込めた告白だった。何の計算も打算もない。胸の内で張り裂けそうな衝動を、ありのままにぶつけたのだった。


 一方の優は、梨花の熱っぽい視線に目を見開いていた。優の世界は、梨花によって音を立てて揺らぎ始める。


 優は、どう反応すれば良いのか分からない。梨花の「好き」という言葉が、カラオケボックスの空気の中に溶けて消えずに、鉄の槍と化して喉元に突きつけられているような気がした。

 

 酷く動揺しながらも、その頭の中は、自分でも驚くくらいに冷静だった。まるで、青春ドラマの名場面を観ているかのように、ただ客観的に、俯瞰的に、目の前の梨花を観てしまう。


 ――こんな時、映画やドラマのラブストーリーなら、僕はどんな反応をするべきなんだろうか。「僕もリカのことが好きだ」、と言うべきなんだろうか。それとも、「ごめん、僕には歌しかないんだ」とでも言うべきなんだろうか。


 怖いくらいに頭の中は冷え切っていて、梨香に共感することができない。目の前で瞳を潤ませている、熱に浮かされたような梨香。その熱を分かち合う日は、永遠に訪れない気がした。梨花は、優にとって良き理解者、深い対話者のはずだった。独房の中で一人きりだった優に、手を差し伸べてくれたはずだった。それなのに。「好き」と言われたその瞬間から、梨花との間には分厚くて頑丈で、透明な壁があるように思えてしまう。


 やがて、梨花の放った1つの言葉が、優の心を捕らえて離さなくなった。

 

「ありのままのユウ君」


 ありのまま。その言葉が、優の思考の中で何度も反響する。


 ――リカの言う「ありのままの僕」とは、一体何なのだろう。僕はまだ、何者にも成れていない。男でも女でもないような、中途半端な身体。声を出すのが怖くて、満足に人と話せない。歌うことでしか、他者と繋がることができない。そんな僕を、なぜ梨花は「好きだ」と言うのだろう。


 ――もしかしたら梨花は、自分に都合の良い幻影を見ているだけではないのか。歌にひたむきで、人間離れした、天使のような存在とか?そんな、自分で作り上げた虚像を、「僕のありのまま」と呼んでいるだけではないのか。


 カラオケボックスの一室は、静かだった。他の部屋で熱唱している誰かの声が、かすかに聞こえてくる。梨花の告白から、ほんの5秒程度の静寂だった。その間ずっと、優の冷たく冴えた思考はぐるぐると回り続け、出口を見つけられずにいた。梨花の真剣な眼差しから逃れるように、うつむいた、その時。

 

 ぽろり、と。

 

 自分の意思とは関係なく、熱い雫が頬を伝った。一度流れ出すと、もう止まらない。視界が滲む。こぼれ落ちた雫が、テーブルの上に次々と染みを作っていく。ぐるぐると回る思考が最後にたどり着いたのは、やり場のない自己嫌悪だった。

 

「ごめん……本当に、ごめん……」


 嗚咽混じりの声で、優はただ謝った。この中途半端な身体と心は、やはり呪われているのかもしれない、と。


「梨花と一緒に練習ができて……本当に、嬉しかったんだ。こんなにたくさん友達と話せたのは初めてで……梨花とカラオケに行くのはいつも楽しくて……。そんな梨花が好きだ、て言ってくれたのに。……僕はどうして、嬉しくならないんだろう、どうして、こんなに冷めているんだろう……。ごめん、ごめんよ……。僕はやっぱり、どこか変なのかもしれない……」


 子供のように泣きじゃくる優の姿は、ひどく脆そうに見えた。ほんの少しでも触れたら、ひび割れた硝子が砕け散るように、その身体はがらがらと崩れ去ってしまいそうだった。


 その姿は、梨花の胸を深く抉った。


 泣きじゃくる優に、触れることも声をかけることも出来ずにいるうち、その身体を満たしていた熱は、すうっと引いていった。その熱の代わりに、冷たい罪悪感が梨花の胸中を満たしていく。

 

 ――ああ、私、なんてことを。


 優を、傷つけてしまった。なぜ優が謝るのか、梨花には分かりかねていた。確かなのは、自分の想いをぶつけたことで、優を深く追い詰めてしまった、という事実だけだ。私の告白が、優を傷つけてしまった。


 梨花は、自分を納得させるよう努めた。好きとか嫌いとか、そういう話じゃない。そもそも優は、私が焦がれていた甘く切ない恋愛の対象には、なり得ない人なのだ、と。


 そう理解してしまった梨花の目にも、優との間に、分厚くて透明な壁が見えていた。

 

「ううん、私の方こそ、ごめん……! 急に変なこと言って、困らせちゃったよね。忘れて……!」


 気まずい沈黙が、二人を支配した。あれほど二人を繋いでいたはずの音楽は、もうどこにも聞こえなかった。


 その翌日から、楠本梨花は、元の「太陽」に戻った。


 教室の中心で、屈託なく笑い、誰にでも明るく声をかける。優に対しても、他のクラスメイトと何ら変わらない、気さくな態度で接した。昨日の出来事など、まるで最初から無かったかのように。それは、梨花なりの優しさであり、彼女自身の心を守るための、精一杯の鎧だった。


 しかし優にとっては、それは決定的な断絶を意味していた。自分と世界を隔てていた、居心地の良い独房。梨花だけが固く閉ざされた扉を叩き、自分に手を差し伸べてくれていると。そう思っていた。だが、その手はもうない。

 

 優は再び、居心地が良くて快適な独房の中で、独りになった。


—————————

読者の皆様へ。

『令和のカストラート』Chapter2 “You & I”、お読み頂き、ありがとうございます。ここまでが、本章の前編、『梨花と優』の物語でした。


この後中編、後編と、少し異なる形の”You & I”をお届けします。少し鬱展開も入りますが、最後には暖かなラストをお送りする(予定)です。


引き続き、お読み頂けたら幸いです。

良いね!と思って頂けたら、❤️や⭐️でフィードバック頂けると、励みになります!

今後とも、拙作にお付き合い頂けたら嬉しいです。


ages an

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