第8話
(もっと歌いたい。もっと、聴いて欲しい。――でも、僕はどこで歌えば良いのだろう)
それは、優の複雑な境遇と繊細さが生み出した悩みだった。既に合唱団は体験したが、あの活気ある男女の集団に、自分の居場所は無いと思い知らされている。かといって、梨花のようにバンドのボーカルとして人前に立つなんて、考えただけで足がすくんだ。男性としての容姿と、男性とは思えない高く美しい声。その乖離から生まれる奇異の目線が、優から歌う場所を奪った。
「――最近、増えたよね〜。インターネットだけで活動して、顔出しはNGな歌い手。昔じゃあ考えられないよね」
「ああ、Vtuberみたいに、架空のキャラクターになりきって歌うアーティストだって珍しくない。色んな表現ができる時代になったもんだ」
日曜の夕暮れ時。テレビを見ながら交わされた、母と父の何気ない会話。それが、迷える優に気づきを与えた。
(そうだ。――何故、気づかなかったんだろう。姿を現さなくても、顔を出さなくても、ネットの上に、いくらでも表現の場があるじゃないか。僕だって、Youtubeで色んな歌い手の歌を聴いてきた。でも、その歌い手の外見や素性なんて全く気にしなかった。僕もまた、Youtubeで自分の歌声を配信すれば良いじゃないか)
その気づきを実行すべく相談したのは、やはり、最も身近なプロフェッショナルである父だった。
「――Youtubeで、自分の歌を配信したい? うむ……そうか、なるほどな――」
その日の夜。そろそろ寝ようかという父へ、優は相談を持ちかけた。父は、就寝前の弛緩した表情を急に硬くさせ、真剣な表情で考え始めた。
「未成年の高校生が無闇にSNSで発信するのは、普通なら勧められたもんじゃないが――」
「優には、向いているやり方かもしれないな。もちろん、ネットには特有のリスクだってある。学校でも散々習ってるだろうから、僕からは言わないが」
「まあ、顔を出さずに録音した歌声を配信するなら、危なくもないんじゃないか? ――それに、ふふふ……」
父は、そこまで話すと、表情を緩めた。悪戯っぽく口角を上げる。
「父さんだって、これでもプロ歌手だ。少しでも売れるように、SNSの運用は散々やってきてる。お前の歌の再生数を上げるための、『コンサルティング』だってできるさ。なに、これも家庭内サービスだ。風呂掃除1週間分で、コンサルティングしてやろう」
優も、ふっと笑った。
「――なにそれ。父さんが家の中で暇にならないように、そいつは遠慮しておくよ」
優は自室へ戻ると、早速ノートPCを立ち上げた。デスクトップから「録音音源」という名のフォルダを開く。そこには、楽曲を研究する過程で録音した自身の歌声が、びっしりと保存されていた。その中から、最も良く歌えたと思う一曲を選ぶ。その音源と、楽曲の世界観に合いそうな著作権フリーの画像を検索して組み合わせ、動画ファイルを作成。自身のYoutubeアカウントを開き、動画の投稿画面を開く。
そこまで進めて、優は立ち止まった。
このまま投稿ボタンを押せば、自分の歌声が、世界中へ配信される。期待と不安が、優の胸中を、嵐のように支配した。どんな反響が来るだろうか。上手な歌だと、褒められるのだろうか。それとも、下手くそだと貶されるのだろうか。そして何より、自分が歌に込めた想いを、感じ取ってもらえるのだろうか。父が言う通り、「炎上」のリスクだってゼロではない。しかし、この投稿ボタンを押さなければ、優の歌声はいつまでも、誰にも届くことはないだろう。
その思いはついに、優に投稿ボタンを押させた。アップロードが進み、優のチャンネルに、初めての歌が投稿された。もちろん、即座に反応なんて来るはずもない。日付も変わり、深夜になっている。優はしばらくPCの画面を睨みつけていたが、眠気に負け、ベッドへと横になった。
翌朝、月曜日。優は目が覚めると、すぐさまPCを立ち上げた。反応は来ているだろうか。はやる気持ちを抑え、自身のチャンネルへと画面を遷移させる。
しかし、その時点では再生数すらゼロだった。――こんなものなのか。もしかして、これから何度音源を投稿したとしても、誰にも聴いてもらえないのではないか。投稿ボタンを押す際の不安とは別種の焦燥感が、優の胸中へ募っていく。
「何を言っているんだ。最初からそんなに反応が来る訳ないじゃないか。父さんなんてなぁ、……」
その件を朝食時に父へ伝えると、長話が始まってしまった。自身がプロ歌手として如何にSNSの運用に苦心しているか、ウェブ上でコンテンツに触れてもらうことがどんなに大変か、そのために、どれほど地道な努力を積み重ねているか……。朝食のシリアルが牛乳に浸されてドロドロになっていたが、父は構わずに続けた。
「とにかく、色んな歌をアップロードしてみるといい。コンテンツを増やすといい。リスナーの目に触れる機会を、少しでも増やすんだ。そのうち誰かの目に留まり、バズれば、あっという間に拡散する。ウェブ上での活動なんて、そんなもんさ」
父の助言めいた長話をありがたく頂戴すると、優は早めに登校した。活動を始めたことを、どうしても報告したい人物がいた。自分の声を『贈り物』と呼んでくれた、合唱部顧問の木下先生だ。
コンクールを間近に控え、合唱部は朝練を行なっていた。優は音楽室へと向かい、朝練が終わったのを見計らうと、木下へ声をかけた。
「あれ……、朝比奈君? どうしたの、何か用かな?」
「はい、木下先生。実は、ご報告というか……お伝えしたいことがあって」
優は、ウェブ上で自分の歌を発信していく道を選んだことを、手短に伝えた。木下は、真摯な眼差しでその報告を受け取った後、微笑んだ。
「そっか、君にとっては一番のやり方かもしれないね。……もし良かったら、今、君の歌を聴いてもいいかな? ……Youtubeで」
思いがけない、木下からの提案。優は恐る恐る、スマホの画面でアカウント名を伝えた。木下はワイヤレスイヤフォンを取り出すと、自身のスマホを操作し、そのアカウントから優が初めて配信した音源を聴き始めた。
「なるほど、最初は流行りの一曲を選んだんだね。色んな人に聞いてもらえる、良い選択だと、おも、う、よ……」
「…………! ……………………! …………………………!」
曲の入りを聴きながら話していた木下は、優の歌が流れ始めると、黙り込んでしまった。木下はかつての父と同様に、優の歌声に五感を乗っ取られていた。耳から視える、匂う、感じる、味がする。
――共感覚。その魔法をかけられたかのような体験に、木下は言葉を失ったのだった。
やがて曲が終わると、木下は静かに口を開いた。
「……凄い。やっぱり君は、『贈り物』を授かっていたんだね。ただ単に高くて美しい声、てだけじゃなかったんだ。……その歌、色んな人に聞いてもらえるといいね」
そして、悪戯っぽく微笑んだ。
「私が、最初のフォロワーだね。頑張って。陰ながら応援しているよ!」
優がスマホの画面を見ると、チャンネル登録者が、0から1に変わっていた。
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