第10話
14歳を迎えた私に、新たな役が回ってきた。それは、トップアイドルを目指す少女たちの青春と挫折を描く連続ドラマのヒロイン、ミクの役だった。
『マスクライダー』での怪人役で、私は初めて自分の本物の感情を解放した。あの時の涙は、演技の壁を打ち破っただけでなく、私の心に「感情を表に出しても拒絶されない」という、小さな安心感を植え付けた。
だが、師匠の松岡は、そんな私を再び「虚飾の世界」へと押し戻した。
「悠。君は今、本物の感情を知った。ならば、今度はその真実の力を使って、世界で最も純粋な嘘を演じろ」
アイドル。それは、世間の夢と期待を一身に背負い、自身の全てを清く正しく見せ続ける、究極の「仮面」だ。私のこれまでの演技は、感情を排して真実を再現することだったが、この役は、感情を排して幻想を再現することだった。
最も危険な役
撮影は、これまでのどの現場よりも過酷だった。歌とダンスの訓練。そして何よりも、常に「希望に満ちた、笑顔の少女」を維持すること。
(この役は、私にとって最も危険じゃ。感情を捨てる怪人よりも、感情の裏にある虚飾を完璧に演じきる方が、私自身の魂を摩耗させる)
私は、再び自分の観察データを使った。学校で見た、友達といる時の純粋な輝き。オーディション会場で見た、合格を心から願う少女たちの、濁りのない「憧れ」の感情。私は、それらを全て集積し、ミクというアイドル像に注ぎ込んだ。
私の演技は、世間に熱狂的に受け入れられた。ミクは「天性のアイドル」と呼ばれ、その純粋な努力と輝きは、多くの若者の共感を呼んだ。
「君のミクは、完璧だ。なぜなら、君の演技には、この業界に蔓延する『売れるため』の計算や、『自分を見てほしい』というエゴが一切混ざっていないからだ」と監督は言った。
それは、私自身の感情が「不在」であることの証明でもあった。私は、私自身に何のエゴもないからこそ、誰よりも純粋な「憧れ」を演じることができたのだ。
海斗への問い
ドラマの撮影が佳境に入る頃、私は海斗と久しぶりに施設で会った。海斗は、私の出演したドラマやダズニーの映画を、誰よりも真剣に見てくれている。
「アオ。ミクのダンス、すごく上手になったな。でも…」
海斗は、言葉を選んでいるようだった。
「でも、どうしたんじゃ、海斗」
「ミクは、すごくキラキラしてて、誰よりも遠い場所にいるみたいだ。俺は、アオが笑っているのは嬉しいけど、あのミクの笑顔は、なんか無理してるみたいに見えるときがある。あの笑顔は、アオの本当の笑顔なのか?」
海斗の純粋な疑問は、私の心を抉った。私は、彼らの前で「ミクの笑顔」を演じたくなかった。
「…私の笑顔は、どれも、演技じゃよ、海斗。あの時、お前が私に教えた笑顔のデータで、私は世界中を欺いておる」
海斗は、悲しそうな顔で私の手を取った。
「違う。アオは、マスクライダーのとき、本当に泣いただろ? あの涙は、演技じゃなかった。アオの心の声だった。アオはもう、誰かのフリをしなくてもいいんだ。…そのキラキラした場所と、俺たちの、感情を借りなくてもいい場所、どっちがアオの居場所なんだ?」
私は、答えられなかった。私が今立っている「アイドル」という華やかな場所は、両親への無自覚な復讐を完全に遂げ、世界的な名声を手に入れた場所だ。この光を捨てることは、私の百年分の努力と、新しい人生の全ての成功を捨てることを意味する。
しかし、海斗の隣にある「感情を借りなくてもいい場所」だけが、私という魂が、静かに息を吸うことのできる、唯一の安息の地だった。
(私は、誰を演じるために、この人生を繰り返したのか? 両親を倒すためか、それとも、たった一人の自分自身として、静かに笑うためか)
14歳の私は、アイドルの仮面の下で、人生の最も重要な選択を迫られていた。このドラマが最終回を迎えるとき、私は、女優・相良悠のキャリアを続けるのか、それとも、人間・相良悠としての人生を選ぶのか、結論を出さなければならない。
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