第8話
スキャンダル暴露から半年。私の生活は劇的に変わった。世間は私を「相良悠」という一人の少女としてではなく、「逆境に負けず健気に生きる悲劇のヒロイン」という物語として消費し始めた。
そんな私に舞い込んできたのが、国民的な人気を誇る連続テレビ小説(朝ドラ)、『青空の下』のメインヒロインの幼少期役だった。この役は、戦後の混乱期を生き抜き、やがて国民的歌手となる主人公の、純粋で強い芯を持つ少女時代を演じるというものだった。
松岡師匠は、このオファーを「最高のキャスティング」だと評した。
「悠。世間が君に求める物語と、このドラマのテーマが完全に一致している。『哀れな隠し子』だった君が、『国民の娘』として生まれ変わるんだ。これは、君自身の再生の儀式になる」
師匠の言葉に嘘はなかった。私は、この役を引き受けた。
朝ドラの現場
撮影現場は、映画とは違い、優しく穏やかな空気に満ちていた。共演する俳優やスタッフは、私の出自を知っていても、それを口にすることはなく、ただ私の才能と、その裏にある努力を尊重してくれた。
私は、主人公の少女「サヤ」の、過酷な状況下でも希望を失わない強さを演じた。これは、私が海斗や藤原先生から観察した「人間の持つ温かさ」と「諦めない意志」のデータを使った、最もポジティブな演技だった。
(この感情は…私自身にはない。だが、海斗がいつも私に与えてくれる、あの純粋な光を、そのまま再現すれば良い)
カメラが回っているとき、私の魂は、少女「サヤ」として生きた。サヤの屈託のない笑顔、困難に立ち向かう涙、そして未来への希望。それは、私自身が百年の人生でも、新しい生でも、手に入れられなかった感情の全てだった。
しかし、カットがかかると、私は元の「相良悠」に戻る。サヤの感情が、私の体から抜け落ちた瞬間、私は再び、あの冷たい「じいちゃん」の魂を抱えた、孤独な少女に戻るのだ。
真の「ざまあ」の完成
『青空の下』が放送されると、視聴率は高騰した。私の演技は、日本中のお茶の間で愛され、私は国民的な「サヤちゃん」として、知らない人々にまで親しまれるようになった。
この成功は、両親に最も決定的な打撃を与えた。
桐生翔太と白石美咲は、彼らが最も価値を置いた「世間からの称賛」と「スターの地位」を、彼らが捨てたはずの娘に、完全に奪われたのだ。彼らの名前は、私に関するニュースの「負の注釈」としてしか語られなくなった。
彼らのキャリアは、もう再生不可能だった。彼らは、自分の子どもを捨てたという「悪役」の物語を永遠に背負い続けることになった。
それは、私が一切、復讐の意図を持たず、ただ自分の居場所を探すという純粋な行動によってもたらされた、最も残酷で、最も清々しい「ざまあ」の完成だった。
自己の問い
夜、私は静かなマンションで、松岡師匠から渡された次の台本を読んでいた。
私は今、富も名声も手に入れ、世間から愛されている。
だが、私は問う。この「愛」は、相良悠に向けられたものなのか? それとも、私が演じている「悲劇のヒロイン」という物語に向けられたものなのか?
(私は、サヤの感情を演じることで、初めて人から愛される。ならば、私の魂が本当に望むものは、この名声か? それとも、海斗の隣で味わう、感情を偽らない一瞬の安堵か?)
私は、この大きな成功の波の真っ只中で、名声と、本当の居場所という、二つの極の間で揺れ動いていた。百年の魂は、初めて、自分のアイデンティティと、未来の選択を迫られていた。
翔太は、自宅の書斎に籠もっていた。彼がいたはずの豪華なオフィスや、華やかな撮影現場の喧騒は、今はすべて娘—相良悠の周囲に移っている。
テレビのニュースは、連日、悠が主演する朝ドラ『青空の下』の視聴率の記録的な高さを報じていた。画面に映る、屈託なく笑う少女「サヤ」の姿。それは、彼がかつて愛した女性の美しさと、彼自身の端正な顔立ちを完璧に受け継いだ、紛れもない娘の顔だった。
「国民の娘、か」
彼はグラスの酒を一気に飲み干した。その味は、かつて感じた栄光の味ではなく、苦い敗北の味だった。
マネージャーの高橋は、もはや具体的な仕事のオファーを持ってくることはなかった。彼の仕事は、翔太の過去の資産を売却し、賠償金や違約金の清算をすることに変わっていた。
「桐生さん。今、世間は相良悠の『逆境を乗り越えた健気なヒロイン』という物語に完全に酔いしれています。この状況では…私たちの再起は非常に困難です」
翔太は、壁に飾られた、自身が主演男優賞を受賞した際のトロフィーを見つめた。あの頃の自分は、世界を手の内に収めていると信じていた。
「なぜ、我々を責めないのだ。憎しみを持って攻撃してくれた方が、まだ…」
彼の恐怖は、悠が彼らを責めないこと、つまり存在を無視していることだった。悠は、彼らを恨むエネルギーすら無駄だと判断し、ただ自分の道を歩いた。その結果、彼らの存在は、世間から「ヒロインの成長を妨げた悪役」として役割を終え、切り捨てられたのだ。
彼が感じたのは、憎悪による復讐ではなく、社会的な抹殺だった。娘の成功が、自分たちのキャリアと人生を、歴史から完全に消し去ってしまった。
「私は…間違えたのか。あの時、彼女を施設ではなく…」
彼は、一瞬、もし悠を自分の傍に置いていたら、という可能性を考えたが、すぐに打ち消した。彼は愛のない男だ。悠を愛することはできなかった。結局、彼は、自分自身のエゴと保身のために、自らの血筋がもたらした最大の才能と光を、自らの手で葬り去ったのだ。
翔太は、崩れ落ちる城の中で、過去の栄光という残骸に埋もれていく絶望を感じていた。
白石 美咲:鏡に映る敗北
美咲は、化粧台の前に座っていた。かつて、この場所で彼女は、世界を欺く「清純な美貌」という鎧を完璧に着装していた。しかし今は、その鎧はボロボロに剥がれ落ちている。
彼女の主演する予定だった映画は中止となり、テレビ出演は激減した。世間は、彼女を「偽善者」として見ている。
美咲は、テレビで放映されている朝ドラのダイジェストを、無音にして見ていた。画面に映る悠の、純粋で希望に満ちた笑顔。
(あの笑顔は、私のものだったはずなのに)
美咲の敗北は、単なる仕事の喪失ではない。それは、自身が最も価値を置いた「美」と「イメージ」の分野での、完全な否定だった。
彼女は、自分自身の顔と、悠の顔を重ねて見る。悠の顔には、美咲の冷たい計算高さと、翔太の優雅な骨格が混ざり合っている。だが、悠の瞳には、美咲の瞳には決して宿ることのない、「孤独を乗り越えた者の強さ」があった。
「あの強さは、施設での孤独と、私たちの冷酷さが作ったものだわ」
美咲は、悠の存在が持つ「物語の力」に敗北した。彼女が必死で隠蔽し、否定した過去こそが、悠の演技と人気に深みを与え、国民的な共感を呼んだ。
美咲は、自身が女優として最も嫉妬したのは、悠の持つ「純粋な器」としての才能だったと悟った。感情の濁りがないからこそ、どんな役にもなれる。それは、彼女が「清純」という一つのイメージに縛られ、感情を偽り続けてきた人生とは対極にあるものだった。
美咲は、化粧品を手に取ろうとして、ふと手を止めた。もはや、完璧な美しさを維持しても、誰もそれを信じない。彼女が作り上げた虚飾の人生は、娘の無垢な成功という光によって、焼き尽くされた。
彼女は、静かに、そして完全に、自分たちが「親」という役割だけでなく、「スター」という役割からも退場させられたことを受け入れた。残ったのは、血の繋がった娘に、自分の全てを破壊されたという、冷たい真実だけだった。
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