第7話
師匠との戦略会議 (11歳6ヶ月)
スクープの翌朝、私は師匠である松岡典雄が手配した、都心の静かなマンションの一室にいた。施設は既にマスコミに囲まれ、私の安全な「居場所」ではなくなっていたからだ。
松岡師匠は、新聞の一面を飾り、憔悴した両親の顔写真が並んだ記事を、私に見せた。
「見たか、悠。君の存在は、既に一つの核爆弾だ。そして、君は今、世界中から注目される、最も悲劇的なヒロインを演じる機会を得た」
師匠の目は爛々と輝いていた。彼は、この現実の出来事を、私にとっての最高の舞台稽古と捉えている。
「師匠。私が演じるべき役は、決まっていますね」
「ああ。『哀れな被害者』だ。愛する両親に捨てられ、逆境の中、才能で立ち上がった、可憐で悲劇的な少女。世間は今、その物語を渇望している」
私は静かに首を振った。
「その役は、私が心から望むものではありません。ですが、この役を演じることが、私自身の尊厳を守り、彼らの虚飾を永遠に打ち砕く、最も効率的な方法です」
私には、彼らへの憎悪がない。だが、彼らが私という存在を無価値なものとして排したことへの、冷徹なまでの「正しさの証明」が必要だった。私が成功すればするほど、彼らの選択は間違いだったと、世界が証明してくれる。
「ならば、演じろ。君の『魂の不在』は、この場面で最高の武器になる。君は涙を流さない。だが、君の静かな絶望は、世間の涙腺を破壊するだろう」
師匠は、私の初めての公式声明、つまり「公開の場で話す言葉」を指導し始めた。彼は、言葉よりも、表情と間(ま)を教えた。
「言葉は事実を語るが、君の表情は真実を語る。君の瞳の奥にある、あの百年の夜を、世間に見せてやれ」
2. 初めての公開演技:哀しみの再現
その日、私は所属事務所の簡単な会見に臨むことになった。場所は都内のホテル。集まったマスコミの数は、両親の緊急会見を遥かに上回っていた。フラッシュの光が嵐のように降り注ぐ。
私は、松岡師匠の隣に座った。私の顔は、ファンデーションで隠せないほどの疲労感と、それに耐える強さを表現していた。これは、私が海斗や藤原先生の顔から借りてきた、過去の「絶望に耐える人間のデータ」の完璧な再現だった。
記者の質問は、両親への感情、施設での生活、そして今後の活動について、矢継ぎ早に飛んできた。
「桐生さんと白石さんの行動について、どう思われますか?」
私は、用意された台本に従い、ゆっくりと、そしてはっきりと話し始めた。
「…私は、彼らが私を守るために、最善の選択をしたのだと信じたいです」
私が「守るため」という言葉を選んだ瞬間、会場の記者はざわついた。普通なら憎しみや悲しみをぶつける場面で、私は両親を擁護したのだ。
しかし、私の瞳は、それを言っているにもかかわらず、全く動揺を見せなかった。その平静さが、逆に真実の「底知れない哀しみ」を伝えた。
そして、最も重要な質問が来た。
「今後、ご両親に対して、会いたいという気持ちはありますか?」
私は、深呼吸をした。松岡師匠から教えられた、最も長く取るべき「間」だ。
私の表情は、一瞬、八歳の学芸会で演じた「宝物を失くしたリス」の、静かな絶望を帯びた。
「…私にとって、彼らは遠い星の出来事のようです。私は今、私の居場所を探すことに夢中です。そして、私には、施設の先生方や、友人の海斗がいます。それだけで、十分です」
私は、涙を流さなかった。だが、その言葉には、愛を求め、拒絶され続けた少女の、全てを諦めた静かなる尊厳が宿っていた。
無自覚な「ざまあ」の連鎖
この私の会見は、瞬く間に世界を席巻した。
世間は、私の「哀れな被害者」としての演技に、完全に感情移入した。
「あの子は、自分を捨てた親を責めないなんて…どれだけ心が清いんだ」
「桐生夫妻は、こんなにも美しく、心優しい娘を捨てた罪は重い」
私の演技は、両親への同情の余地を完全に消し去った。彼らの緊急会見での演技は「嘘」だと断罪されたが、私の演技は「真実」として受け入れられた。
私が感情を排して演じた「哀れみ」は、逆に彼らの転落を加速させた。両親のキャリアは急速に失墜し始めた。
私は、無自覚な復讐者として、彼らの築いた虚飾の塔を、内部から崩壊させる役割を担い始めたのだ。私はまだ、憎しみの炎は知らなかったが、自分の存在が持つ、恐ろしいまでの破壊力に、静かに気づき始めていた。
桐生 翔太:優しさという名の断罪
相良悠の会見を見た夜、桐生翔太は自室のテレビを消した。彼の視界は、目の前の暗闇よりも、自身のキャリアの未来の暗闇で満ちていた。
「…なぜだ。なぜ、あの子は我々を責めない」
彼は、悠が涙を流し、怒り、彼らを罵倒することを予想していた。それが、彼のシナリオだった。憎悪による攻撃であれば、「感情的な子ども」として処理し、いくらかの同情票を集めることができたかもしれない。
しかし、悠は違った。彼女は、静かに言った。「彼らが私を守るために、最善の選択をしたのだと信じたい」と。
この一言が、翔太の築いた城を根底から揺るがした。
「守るため? 馬鹿な! 我々が守ったのは、自分自身のキャリアと、イメージだけだ!」
世間は、悠のこの言葉を「清らかさ」と「深い哀しみ」の証拠として受け取った。彼女は、自分を捨てた親を責めない、聖女のような存在として祭り上げられた。その結果、彼らの自己弁護の全てが、醜い保身の嘘として跳ね返ってきたのだ。
マネージャーの高橋誠からの連絡は、もう希望を語らなかった。
「桐生さん。CM、全てキャンセルです。ドラマの主演も、降板の方向で…世論が、完全に敵に回りました。あの子の会見後、同情どころか、反感が爆発しています。『こんな優しい子を捨てた人間は、社会から追放すべきだ』と…」
翔太は、グラスを握りしめた。手が震えているのは、怒りか、それとも恐怖か。
「あの子は…復讐しているのか?」
「いいえ。彼女に、その意図はないように見えます。それが、恐ろしいのです。彼女の存在と、その純粋な『優しさ』が、私たちへの最も冷酷な断罪になっている」
翔太は、初めて自分自身の過去の行動を、客観的に見つめた。彼は、自分の人生を美しく飾るために、血の繋がった娘を無価値なものとして排した。その娘が、今、自分たちよりも高潔な存在として世界に認められた。
彼は気づいた。悠の「無自覚なざまあ」は、憎悪よりもずっと重い。それは、自分たちが最も恐れた、自己の価値の完全な否定だった。
白石 美咲:イメージの汚染と敗北
白石美咲は、夫よりも深いところで、この敗北を理解していた。
彼女は、悠の会見を何度も巻き戻して見た。あの完璧な表情筋の動き、言葉の間、そして、愛を求めることを完全に諦めたあの瞳。
(あの子は、私たちの感情を盗んで、それを私たちに向かって撃ち返したのね)
美咲にとって、悠の存在は単なるスキャンダルではない。それは、自身が作り上げた「清純」という名のブランドの、イメージ汚染だった。
「森下さん、スポンサーは?」美咲の声は、低く、冷たい。
「白石さん…すべて、撤退です。特に化粧品と宝飾品の契約は、イメージ毀損が深刻だと。あの子が演じた『哀れな被害者』のイメージが、白石さんの『完璧な美しさ』の裏にある冷酷さを、裏付けてしまった…」
美咲は、鏡の前に立った。何百万という費用をかけて維持してきた美貌。それは、今や、娘の悲劇的な運命と比較され、虚飾の象徴としてしか見られなくなった。
彼女は、悠が「愛を求めていない」という事実に、最も打ちのめされた。もし悠が自分たちを憎んでいれば、美咲は対抗できた。憎悪は、彼女にとって見慣れた感情だったからだ。
しかし、悠は彼らを「遠い星の出来事」だと言った。それは、彼らの存在が、娘の人生において、もはや無価値であるという、最も痛烈な否定だった。
「私は…敗北したわ。才能で、美貌で、そして何よりも、物語の力で」
美咲は、自身が女優として最も価値を置いた「物語」という領域で、自分たちが「悪役」として決定づけられ、捨てたはずの娘が「真のヒロイン」として世界に受け入れられたことを悟った。
彼女が必死で作り上げた「完璧な人生」は、わずか十一歳の、感情を模倣する少女の静かなる会見によって、完全に崩壊したのだ。その夜、美咲は、生まれて初めて、誰も見ていないところで、静かに、そして激しく泣いた。それは、清純派女優の演技ではなく、自分の全てを失った一人の女の、純粋な絶望だった。
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