第5話

 六月の第三週の金曜日、午後九時半。

 芽依子を含むミステリー研究会の面々は、エナガ水源地の駐車場から階段を降りたところ――遊歩道の一部が半円形に池に向かってせり出して広くなっている場所に集合していた。


 池の周囲はぐるりと遊歩道になっている。街灯はないが遊歩道は舗装されており、整備もいきとどいているため雑草も生えておらず、むしろ見通しが良いくらいだ。もちろん明るければの話である。

 午後六時からの飲み会を終え、アルコールを飲まないメンバーの運転する車に分乗する形でここに来たのだが、そもそも芽依子を含めまだ未成年のメンバーもおり、三分の一くらいはシラフの人間であった。


「はーい、それでは今年度の新歓イベント、肝試しを始めたいと思います!」


 二年生の神田かんだ玲奈れいなが一同の前に立ち、右腕を振り上げて注目を集める。今日は彼女の兄であり、ミステリー研究会のOBでもある神田和馬かずまも参加している。妹と後輩のためにわざわざ車を出してくれたのだ。


「肝試しの説明を始めまーす。まず最初に、ここで皆さんに私達二年生が語る怪談を聞いていただきます。それから二人一組になって、一組ずつ三分おきに出発してもらいます。出発の時は二年生のスタッフが合図をするので、一組につきペンライト一本と、この御札を貰ってスタートしてください。池を反時計回りに回ることになりますが、一本道なので迷子になる心配はありません。ちょうどここから向こう岸――池の反対側に小さな赤い社がありますので、そこの扉を開けて、中に御札を入れてください。それが終わったら、またぐるっと池を半周して、今私達がいるここに戻ってきてくださいね」


 玲奈はメモを片手に明るく説明をしていく。それを聞きながら芽依子達はそれぞれの役割分担に沿ってペンライトを持ったり御札を持ったりしていた。


 以前、藤村歩美が語ったとおり、企画者が当日にやることは少ない。


 肝試し当日までに準備しなければならないことといえば、半紙を切って御札のレプリカを作ること、必要な数のペンライトを用意すること、そして肝試しの最初に話す怪談を考えておくことだった。

 御札についてはメンバーの誰も詳しくはなかったが、雰囲気を出したくて形だけでも真似まねた。インターネットで見つけた画像を参考に、毛筆で疫病厄除御札と書いたものに朱書きでそれっぽい模様を施し、半紙にカラー印刷をしたものを厚紙に貼り付けて封紙で包んだ。

 結果として嵩張かさばるものになってしまい、段ボールに入れて運ばなければならなくなった。


 人工池の上を渡る夜風が、少し湿り気を含んだ涼しさを運んでくる。

 梅雨入り直前の季節、昼間はかなり暑いが日没後はまだ過ごしやすい。お化けが出るには少し爽やかな過ぎる気がする。

 もっとも、芽依子は幽霊や妖怪に代表される怪異というものを信じていない。

 怪異というものは観測者の勘違かんちがいか、そうでなければ観測者の無知によるもの――観測者が不思議だととらえているだけで、それはただ単に観測者にその現象が起きる原理が理解できなかっただけだのもの――彼女はそう考えている。


 それでも一応、ミステリー研究会に所属する者の端くれとして、怪談を語るためにエナガ水源地にまつわる噂話を簡単に調べた。

 消える助手席の女性、何度も同じ場所に現れる首つり自殺者、水面から伸びる手、深夜に人目を避けてやしろに供えられる呪いのヒトガタ、どこからともなく聞こえる赤ん坊の泣き声、深夜に走る首なしライダー。

 集まったのはどこかで聞いたことのあるような都市伝説や怪談ばかりであった。


――そもそも戦時中に作られた人工池に置かれた社に、呪いの力なんてあるわけがない。


 これらの怪談を調べながら、芽依子は馬鹿馬鹿しいと思ったが、これも創作のかてと思い直して短い怪談を一つ用意したのだった。

 それはこの池で肝試しを行った若者グループのうち一人が巫山戯ふざけて社の扉を開け、そこに御札ではなく、たまたまポケットに入っていたゴミを入れる。後日、その人物はアパートで窒息死しているのが発見されるのだが、解剖したところその喉には水草がぎっしり詰まっていた――という話だ。

 考えているときはそんなに怖いとは思わなかったが、夜の暗い池の側に立って話し始めると、なかなか雰囲気が出た。

 最初は明るく話を聞いていたミス研のメンバー達も、順番に語られる怪談を聞くうちに口数が少なくなっていった。


 怪談が終わると、あらかじめ引いていたクジで決めたペアごとに出発していくメンバーに御札とペンライトを渡していく。


「ふーん、こうやって見ると、池の半分くらいまでなら明かりが見えるのね」


 二年生メンバーの間宮まみや香奈かなが腕を組んで池の方を眺めながら言った。

 確かに彼女の言うとおり、池の上には遮蔽物がなく、周囲の遊歩道の草も刈られているため、スタート地点から円周上の四分の一程度までの位置であれば、参加者が持つ小さなペンライトの明かりが蛍の光のように見えていた。

 しかし、小さなダムと呼んでも差し支えがないほどの規模の池である。スタート地点のちょうど反対側にある社のあたりは全く見えない。その社を囲むように植え込みが作られているせいだ。


 二十分ほどかけて、ほとんどのペアが出発した頃、神田玲奈が「はい、じゃあ私達も行くよお!」と明るい声を出した。

「え、私達も行くの?」芽依子は驚いて声をあげた。

 そんな話は聞いていない。

 慌てて周りを見ると、他の二年生達も聞いていなかったようだ。


「ちょっと玲奈、そんなこと聞いてないんだけど」


 歩美が口元だけで笑いながら言った。口では笑っているが、声の響きには固いものが混じっている。間宮香奈も歩美に同感のようで、芽依子に向かってしきりと目配せをしていた。


「えー、だって、先に教えてたら肝試しにならないでしょ。サプライズだよ」

「いや、サプライズじゃなくて。そろそろ一番最初のペアが帰ってくるじゃん。企画のメンバーが待ってないと困るでしょう?」

「お兄ちゃんが帰ってきたらお願いするから、それでいいんじゃない?」

「いいわけないでしょう。そこは兄妹じゃなくて先輩後輩として考えるべきじゃないの? この企画は二年生がやるものなんだし」


 言い争う玲奈と歩実を横目に、芽依子は小声で間宮香奈に「神田先輩って何番目くらいに出発した?」と尋ねた。香奈は少し上目遣いになり「えーっと、一番目ではなかったと思うけど……」と眉を下げた。これでは神田和馬がいつ戻ってくるかもわからない。サプライズだと玲奈は言うが、これは行き当たりばったりだ。


「まあまあ」

と、玲奈と歩美の間に割って入った者がいた。

 二年生メンバーの中島なかじま誠司せいじだ。なかなかのイケメンであり、穏やかな物腰でありながら意見をハッキリと言うタイプで、二年生の中ではリーダー格である。言い方を変えるならば発言力がある、いわゆる声が大きい人間とも呼べるだろう。


「玲奈ちゃんも皆が楽しめるようにって提案してくれたんだろうから、それ自体は有難いことだよ。歩美ちゃんが真面目にがんばってくれてるのもわかるけど、どうせ社に納めた御札は回収して帰らないといけないんだし、それなら最後に企画のメンバーが行くのは悪くない案なんじゃないかな」


 中島誠司の発言を聞いた玲奈は「わあ、ありがとう誠司君」と嬉しそうな声をあげ、両手を合わせて小さく飛び跳ねた。


「あそう、それなら御勝手に。私は他の人達が帰ってくるのを待つから行かない」


 歩美はそう言うと唇をきゅっと結び、ぷいっと二人に背中を向けた。

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