第3話

「肝試し?」

 スクエア型の黒縁眼鏡の奥で眉間に皺が寄り、元々けんのある目つきが更に鋭さを増して芽依子をにらんだ。


「うん、エナガ水源地の池のところでやることに決まったんだって」

 芽依子は内心で「ほーら威嚇いかくしてきた」と肩をすくめ、自身の右側で支えている自転車のハンドルを握る手に力を込めた。脳裏に毛を逆立てる野良猫のイメージが浮かぶ。


 放課後、芽依子は工学部に一番近い七番ゲート前で櫻田さくらだアルトと向かい合って立っていた。


 ゲートを通る学生達が二人の横を通り過ぎていく。ほとんどが工学部生なのか男子学生が多い。何人かは櫻田といる芽依子をちらちらと見ていた。


 芽依子が所属する理学部はキャンパスの東側にあり、工学部は西北にある。工学部に行くためにはキャンパスを横断する形になる。自転車であれば五分、徒歩であれば十分以上はかかる距離だ。

 講義が終わって駐輪場に向かう前に、LINEで櫻田に連絡をしたところ珍しくすぐに既読がつき、間を置かず「七番ゲート」との返信があった。


 芽依子が自転車で到着した時、櫻田は七番ゲートを出たところの歩道の脇で、カーキ色のカーゴパンツのポケットに両手を突っ込んで立っていた。


 櫻田アルトは工学部の二年生で、芽依子や歩美とは同期生であり、彼もミステリー研究会のメンバーである。

 外ハネにセットされた髪は染めてこそいないが、両方の耳に埋め込まれるようにして銀色の太いピアスが光っている。眼鏡の奥の目つきは悪く、八重歯が覗く口からは刺々とげとげしい言葉ばかりが吐き出される。そういう具合で、彼のファッションも言動もとっつきやすいとは言いがたい。ミステリー研究会の他のメンバーとつるんでいるところも、芽依子は見たことがなかった。


「私も打合せを欠席したから詳しいことはまだ知らないけど、歩美あゆみから櫻田君にも伝えてほしいって頼まれたから」


 あくまで自分はメッセンジャーであり、文句を言われても困ると伝えるつもりで芽依子は付け足した。


「俺は行かねえ」

「なんで?」予想どおりの櫻田の返答に、芽依子は即座に尋ねた。「理由は?」

「なんで理由を言わなきゃいけねえんだよ」

「うちの研究会の新歓は二年生が主催するって決まりでしょ。自分達も去年歓迎してもらったんだから、今年は私達がちゃんとやらないと。不参加ならそれなりの理由を言ってよね」


 正直なところ、内心では芽依子だって気が進まないのだ。

 水辺、それも夜の池になんて近付きたくはない。

 芽依子に詰め寄られた櫻田は忌々しそうに顔を歪め、わずかに唇を開きかけたが、ちらりと八重歯が見えただけで、言葉は聞こえてこなかった。櫻田は男性にしては背が低いので、芽依子は視線を上げなくても彼の表情をよく見ることができた。


「まさか怖いの?」


 目を細め、芽依子は挑発するつもりでそう尋ねた。櫻田が腹を立てるならそれでもいいと思ってはいたが、実のところ、粗暴に思える言動に反して彼が何かに怒る場面をあまり見たことがない。


 一度だけ、まだ一年生だった去年、サークルの誰かが彼の名前を揶揄い半分で呼んだ時だけ「その名前で呼ぶな」と声を荒げたことがある。それについては周囲も「他人の名前を揶揄からかうほうが悪い」といった空気であったし、芽依子もどちらかといえば櫻田に同情した。アルトという名付けが変わっていることは確かだが、それを櫻田本人が選んだわけではないからである。

 それ以来、櫻田の下の名前を話題に出すことは一種のタブーとなった。


 ただ一人の例外を除いて。


「アルトさん」


 芽依子の背後から涼風のような声がした。

 振り返ると、いつの間に近付いていたのか、背の高い女性が立って微笑んでいた。


 腰まである長い髪は僅かな歪みもなく真っ直ぐに伸び、風に遊ぶ毛先の輪郭すら、まるで放物線のグラフのような滑らかな曲線を描いている。


 ぴったりとした黒のレザージャケットに、細く長い足を包むタイトな黒い革製のパンツ。そして、よく見なければ境目が判らないほどにラインに馴染む黒色のピンヒールのブーツ。


 長い手足と高身長、そして白い小さな顔。ややエキゾチックな雰囲気の切れ長の目は長い睫毛まつげに縁取られている。上品な稜線を描く鼻と、常に微笑んでいるかのように口角の上がった薄い唇。


 まるで高級ブランドのカタログからモデルの写真を切り抜いて、そこの景色に重ねたように見えた。


蜘蛛塚くもづか」と櫻田が彼女の名前を呼んだ。

「近くまで来る用事がありましたので、ついでに寄りました」

 女性はそう言って、ピンヒールのブーツに包まれた足を正確に動かして、櫻田と芽依子に歩み寄ってきた。


 蜘蛛塚くもづか百合ゆり

 芽依子も彼女の名前だけは知っている。

 裏を返せば、名前以外は何も知らない。

 知っているのは名前と、少なくともこの大学の学生ではないということくらいだ。落ち着いた雰囲気から、なんとなく年上――二十代半ばから後半だろうと推測している。最初に見かけた時には櫻田の恋人かと思った。しかし、恋人というには二人の間には他人行儀な距離がある。


 蜘蛛塚百合は櫻田と芽依子から二歩分ほど離れた位置でピタリと足を止めた。

 モデル並みに背が高い。彼女の表情を見るためには、この距離でも芽依子は顔を上に向けなければならない。

 蜘蛛塚は監視カメラのように顔の角度を変え、伏し目になって芽依子の顔に視線の照準を合わせた。


「こんにちは」笑みの形を保ったまま唇が動く。

「あ、こんにちは……」

 芽依子が会釈を返す間に、蜘蛛塚の視線は再び櫻田に固定される。


「お邪魔でしたか?」

「いや」と櫻田は簡単に答えた。「サークルの催しで肝試しすんだと」


「まあ」

 蜘蛛塚は笑みを深くし、しなやかな両手の指を揃えて顔の前に上げた。

「楽しそうで良いですね」

「どこがだよ」

「アルトさんも参加されるのですか?」

「いや、俺は……」

「櫻田君、不参加だって言うんですよ。新歓イベントは二年生が企画しなきゃいけない決まりなのに」


 芽依子はここぞとばかりに声を上げた。櫻田と蜘蛛塚の関係は謎であるし、芽依子と蜘蛛塚に至っては、この二年近く、たまに櫻田を挟んで顔を合わせると簡単な挨拶を交わす程度で親しく喋ったこともない。だが、少なくとも今の蜘蛛塚は味方だと思えた。


「アルトさんは怖がっておいでなのです」

 蜘蛛塚は芽依子の方を見て、さらりと暴露した。

「おい」

「でも、それは仕方がないことです。アルトさんはこう見えて、とてもお友達思いですから」

 そう言って、蜘蛛塚は櫻田に向き直った。


「さあ帰りましょう。アルトさん」

「……ああ」

 櫻田は不承不承ふしょうぶしょうといった感じで彼女に従う。確かにぶっきらぼうな態度であることには変わらないが、それでも櫻田は蜘蛛塚に対しては、他の人間に対するよりは比較的当たりが柔らかいように見えるのだ。


「あ、ちょっと櫻田君」

梶山かじやま

 歩き出しながら、肩越しに櫻田が芽依子を見た。


「どうしても参加しなきゃいけないなら仕方ねえけど、俺は反対だからな。可能なら今からでも別の企画に変えてもらえよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る